新基地をめぐり、複雑な思いの沖縄・辺野古の住民たち 諦め、容認、反対の声

諦めの声もある。一方、「諦めてはいけない」と、ある区のトップは語った。普天間飛行場の移設先となっている名護市の辺野古を訪ねた。

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新基地をめぐり、複雑な思いの沖縄・辺野古の住民たち 諦め、容認、反対の声

諦めの声もある。一方、「諦めてはいけない」と、ある区のトップは語った。普天間飛行場の移設先となっている名護市の辺野古を訪ねた。

沖縄県の米海兵隊・普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設計画。政府は8月17日にも、辺野古沿岸部に土砂を投入して埋め立てを本格化させる予定だ。

一方、8日に死去した翁長雄志知事による埋め立て承認の撤回表明を受け、県は近く撤回に踏み切る見通しとなっている。

果たして基地建設は止まるのか。注目が集まるが、地元では反対派の住民にすら諦めムードも漂う。BuzzFeed Newsは現地に入った。

「反対でも国は絶対に進める。だから、諦めている。どうしようもねえ、もうダメだ」。辺野古区に暮らす男性(64)は、そう漏らす。

施設学校や住宅が密集し、「世界一危険な基地」とも称される普天間飛行場の全面返還を決めた日米合意がされたのは1996年。

全面返還の見返りに米軍が求めたのが、代替施設。その整備地として選ばれたのが辺野古だった。

政府は辺野古移設こそが沖縄の「負担軽減」になると強調。早急に実現したいとの考えだ。

「国は強硬姿勢だ。何をしても勝てないのは知っているから。今は基地ができるのを前提に、戦争だけはしないでくれと願うしかないね」

辺野古には、実弾射撃訓練や水陸両用訓練をする米軍「キャンプ・シュワブ」がすでにある。

そのゲート前が、移設反対運動の拠点だ。

沖縄は戦後、苦難の道を歩んでいった。戦後73年が経った現在、日本の国土面積のたった約0.6%を占める沖縄には、在日米軍専用施設面積の約70.3%が集中する。

1972年まで米軍統治下に置かれた沖縄では、米軍が「銃剣とブルドーザー」で土地を強制接収し、基地を建設していった。本土にある基地の整理縮小を受けた移転も進み、このような数字となった。

米軍機の墜落の危険や騒音被害は、常につきまとう。米軍がらみの事故や事件が起きても、「日米地位協定」の壁に阻まれ、日本側が裁くことはできない。

しかし、アメリカが、ドイツ、イタリアとそれぞれ結んだ地位協定では、国内法を適用。米軍機の事故でも調査権を持つという。

沖縄県によれば、本土復帰後から2016年までの米軍人・軍属やその家族による刑法犯罪の検挙件数は5919件。そのうち、「殺人」「強姦」などの凶悪事件は576件だった。

そうした負担を背負った沖縄県では、基地反対論が根強い。

琉球新報によると、17年9月、沖縄県民への世論調査で、普天間飛行場の「県内移設反対」と答えたのは80.2%にのぼった。

また、朝日新聞が今年1月に実施した名護市民への世論調査では、辺野古への移設について「反対」が63%、「賛成」が20%となった。

地元住民をはじめ、県内外の反対派が座り込みをするなど、ゲート前を中心に長く抗議を続けてきた。

「今のまま静かに暮らしたいんです」

海沿いにある売店に入ると、店を営む男性(64)も、移設反対派の一人だった。

「一番の理由は、危険かもしれないから。ヘリが海上を飛ぶなんて言われるけれどね。そして、騒音。今のまま静かに暮らしたいんです」

反対派が掲げるひとつに、海に生息するジュゴンやサンゴを守りたい、との反対理由がある。

「ジュゴンとか騒がれているけれど、その辺は専門ではないし、わからない」

「ただ、今の自然が変わるのは、寂しいです。基地はあるよりは、ないほうがいいですよ」

海岸にあるキャンプ・シュワブとの境界にあるフェンス周辺。

県内外から辺野古を訪れた人たちが、思いおもいに結びつけた横断幕は、撤去されていた。建設現場を一人で見渡すと、重機が動いている様子は確認できなかった。

この美しい海を日々見ている人は何を思うのか。

建設現場に近い汀間区にある名護漁協・汀間支部を訪ねた。建物にいたのは、漁師3人。

報道では、反対派の意見が注目されがちだが、いずれも新基地について賛成または容認の立場だった。

「(建物に)入りな」と招き入れてくれた男性(59)は「基地には賛成している。仮に米軍が撤退したら、日本だけでは守りきれないと思っているから」と心境を口にした。

キャンプ・シュワブがあるから

一方、39歳の男性はそれに同意した上で、新たにできる施設を”新基地”とは捉えていないと移設を容認する考えを示す。

「(キャンプ・シュワブが)もともとなかったなら話は違う。けれど、ここにはもうある。新たに基地ができるのではなく、普天間の面積の3分の1を埋め立て、拡張する形だ」

移設を容認するのは、キャンプ・シュワブあってこそ。

「ここに移設しても良いと思っている。危険な普天間がなくなるのであれば。米軍機の事故も、海に落ちれば住民への被害もない」

普天間飛行場の全面返還のためには、移設はやむを得ない。34歳の男性も静かに同じ考えを語った。

沖縄タイムスによると、汀間に17年7月、「大浦湾開発」という会社が事務所を構えた。立ち上げたのは名護漁協の漁師40人以上だ。

今後の暮らしのため、漁業だけではなく、新基地建設に伴う作業や海上警備などの受注を目指すとして設立したという。漁師たちの中には、そうした複雑な現実がある。

区長は諦めない

「諦めてはいけない」。そう語りかけるのは、新名善治・汀間区長(64)だ。漁港に近い自宅でインタビューに応じた。

翁長知事の死について「偉大なリーダーを失った。だが、その遺志を一丸となってつなぎ、同じ考えを持つ住民たちと反対し続けます」と険しい表情で語る。

「戦争を止められるのは、果たして軍事力だけなのだろうか。対話がある。武力の増強という各国のいたちごっこを避け、新基地が作られた後の生活を考えなくてはいけない」

思いを語ったのは、自宅の離れ。「ここの名産にするんだ」とイカや味噌などを使ったオリジナルの料理を作っている途中だった。

夏の沖縄はやはり暑い。新名区長のほほから汗が流れ落ちる。

基地機能は縮小するのか

国は、普天間飛行場が持つ3つの機能として(1)オスプレイなどの運用(2)空中給油機の運用(3)緊急時における外部から多数の航空機受け入れ、を示す。

このうち、辺野古には(1)のオスプレイなどの運用のみを移し、残りを「本土に移す」ことから、基地機能は縮小し沖縄の負担減にもつながると強調する。

さらに、普天間飛行場より900メートル短い全長1800メートルの滑走路2本をV字型に設け、航空機は海上に向かって離陸し、海上から進入するようになるという。安倍首相は6月23日、沖縄全戦没者追悼式に出席し、こう断言した

「辺野古に移ることによって、飛行経路が海上に移り、学校はもとより住宅の上空は飛行経路とはならず、安全上においては大幅に向上することになります」

「そしてまた、騒音も大幅に軽減することになり、現在の住宅防音については1万数千世帯からゼロになるわけでございます」

陸上は飛ばないから、安全性は高まり、住宅の防音工事がゼロになるというのだ。

騒音被害と事故の危険性は

新名区長は、そんな安倍首相の発言に懐疑的だ。

「陸の上は飛ばない。これまでの安倍政権と米軍の対応を見る限り、そんな話、信じられるわけがない。この家の上も飛ぶことになるでしょう。騒音が発生するし、墜落の危険もある。そのとき、また『遺憾に思う』と述べ、『ごまかし政治』をされても困ります」

事実、普天間飛行場では、日米で合意された場周経路(航空機が滑走路に目視で離着陸するとき、飛行する標準の経路)が守られず、頻繁に基地施設外に大きくはみ出して住宅地を飛行している状況が明らかになっている

04年には隣接する沖縄国際大にヘリが墜落。17年末には、小学校の校庭に窓枠が、保育園に部品が落下した事故も起きている。

辺野古にとって、他人事ではない事故も起きている。

16年12月には、普天間飛行場所属の輸送機オスプレイが名護市安部の海岸に墜落。米兵2人が負傷した。現場は、集落まで約800メートルの距離だった。

また、17年10月には、隣にある東村に米軍普天間基地の大型ヘリコプター「CH53」が不時着、炎上した。

「拡張」ではなく「新基地」

「巨大な軍事基地になる」。新名区長はその見解を崩さない。

全長300メートルほどの船が接岸できる護岸が設けられたり、爆弾やミサイルを積み込むエリアができたり、など普天間飛行場にはない機能が、辺野古に加えられるからだ。

基地機能はむしろ強化され、キャンピ・シュワブの「拡張」ではなく「新基地」になると考えているという。

「政府は、県民の将来にわたる豊かさのためになると思っているのか。なぜ辺野古でなければいけないのか。なぜそもそも基地の撤廃ではなく、移設が必要なのか。県民が納得できる説明はされていません」

一方で、住民の中にも賛成派や容認派がいる事実に理解を示し、否定することはなかった。ただ、汀間区は2011年の区の常会で、新基地建設に反対する決議を確認している。

新基地の耐用年数は200年ともいわれる。工事がいくら進もうと、区長として自らの信念を最後まで曲げない。その姿勢が強く感じられた。

区長が描く地域の青写真

目指すのは、普天間飛行場の県外移設でもなく、撤廃だ。区長はその先に、あるビジョンを描く。

「なんで観光客が沖縄に来るのか。それはこのコバルトブルーの海があるからです。海は『沖縄の心臓』なんです」

「ここには沖縄の西側と違って、手付かずの自然が残っている。それに魅力を感じて、観光に来る人が増えると思っています。長期滞在型のリゾート地にしたいんです」

話を聞いた12日にも、フランス人の夫婦が地区に宿泊していた。観光客があまりいない場所で、自然をのんびりと満喫したいと選んでくれた。だからこそ、自信を見せる。

「でも、航空機が飛び交う新基地ができたら、それが難しくなる。『基地があるから、観光にきてください』なんてアピールできますか?長期的な目で見た地域振興が大切ですよ」

翁長知事も生前、同様に「米軍基地は経済発展の最大の阻害要因だ」とBuzzFeed Newsの単独インタビューに語っていた。

複雑な現実が絡み合う地

17日からはじまる予定の土砂投入。「これで終わりではなく、まだまだ長い戦いになる。私は諦めない」

日米で結んだ普天間飛行場の全面返還の条件は、「5〜7年以内に十分な代替施設が完成し、運用可能になる」だった。

当時の合意から22年が経ってなお、辺野古の代替施設は完成していない。

住民の中にはそれぞれの思いが複雑に交差していた。地域の分断も起きたことだろう。一筋縄ではいかない問題が、ここにはあった。

傷をなくしたい。

新名区長は、新基地について考えは違っても地区の住民は「仲間だ」と最後に語った。

「建設作業によって、国に仕事が与えられ、お金をもらえる人もいます。嫌に思う住民もいるでしょうが、 私はその行動は否定しない。ここの住民がその仕事をやらなければ、県外から人員が確保されるのですから、良いと思っているんです」

「私は、基地の問題によって住民同士の間で生まれた傷を少しでも浅くできるよう、できれば傷がないようにしたいんです。みんな地区の住民で、仲間なんですから」

沖縄タイムスは8月14日、政府が17日に予定する土砂投入を9月30日以降まで延期すると検討していることがわかった、と報じた。

9月30日は、翁長知事の死去に伴う県知事選の投開票日だ。基地建設は、選挙戦の大きな争点になる。