靖国神社と戦没者墓苑で聞いた 「平成の次はどんな時代になってほしい?」

    8月15日、2ヶ所の慰霊の地には、さまざまな思いを持った人が訪れる。考えの違いもあり、両方に行く人もいれば、あえてどちらか一方にしか行かない人もいる。

    平成最後の終戦の日を迎えた8月15日。

    「英霊」をまつる東京・九段下の靖国神社と「無名戦没者の墓」である千鳥ヶ淵戦没者墓苑には、多くの人々で集まった。

    2つの慰霊の地でどんな祈りを捧げたのだろうか。BuzzFeed Newsは、現地を訪ねた。

    靖国神社は、明治維新以降、「国のために命を捧げた」246万柱以上とされる軍人や軍属、警官らを「英霊」として祀る。

    かつては国の管理下にあったが、戦後、国の手を離れて宗教法人となった。1978年には東条英機元首相ら「A級戦犯」を合祀した。

    A級戦犯らを英霊として合祀しているために「過去の戦争を肯定している」という批判や、閣僚らの参拝には、政教分離の観点から問題があるといった指摘がある。

    一方で、靖国にまつられることを信じて戦死した「英霊」に祈りを捧げないのはおかしい、との主張もある。

    だから、政治家による靖国参拝は、毎年、注目される。

    靖国神社のわずか800メートルしか離れていない地に、「無名戦没者の墓」である千鳥ヶ淵戦没者墓苑がある。

    千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、1959年に政府が設置。環境省が管理している。

    軍人、軍属、民間人の遺骨36万9166柱(今年5月末現在)が眠っている。

    海外から持ち帰られたものの、身元が判明せず、遺族の元に戻ることができなかった遺骨が主に納められている。

    2013年10月には、来日したケリー元米国務長官とヘーゲル元国防長官が、ケネディ元駐日大使とともに千鳥ヶ淵を訪問した。

    米国は、こちらを国の追悼施設として捉えているとわかる。

    8月15日、2ヶ所の慰霊の地には、さまざまな思いを持った人が訪れる。

    考えの違いもあり、両方に行く人もいれば、あえてどちらか一方にしか行かない人もいる。

    そんな2ヶ所で、BuzzFeed Newsは尋ねた。

    「今日は平成最後の終戦の日。次の時代は、どんな時代になってほしいですか?」

    <靖国神社>

    「世界平和」

    「感謝の気持ちを伝えにきました。混沌とした時代だからこそ、日本だけでは平和はつくれない」

    「それぞれの歴史や民族を尊重しながら、手を取り合って、戦争のない世の中にしてもらいたい」

    <初めて参拝した女性(54)、東京都>

    「平和を 人に慈しみを。」

    「上の兄はフィリピンで、下の兄は中国で戦死した。兄たちには『また会いにきたよ』と伝えたけれど、足が弱ってきたから、今年が最後かもしれない」

    「20歳ぐらいで戦死するような世の中はダメだよ。人と人、お互いが慈しみを持つ。それが平和そのものだ」

    <2人の兄を戦争で亡くした男性(87)、神奈川県>

    「誇りを持てる国になる様に」

    「祖父が満州で戦死しました。10年くらい前から、毎年参拝しています。戦争には負けたけれども、亡くなった方々がいたからこそ、この国がある。自分の国を誇れる国にしていきたい」

    <娘(5)と参拝した男性(39)、東京都>

    <千鳥ヶ淵戦没者墓苑>

    「世界中が平和であること。このことに尽きます」

    「義理の兄がそれぞれ、24歳と25歳で亡くなりました。モノがない、親類が死ぬ。あの苦しさ、あの経験はもう二度と味わいたくありません。どれだけ苦労したか」

    <義理の兄を2人亡くした女性(80)=左、東京都>

    「父は私が生後10ヶ月のころ、ニューギニアで戦死。当時22歳だった母親が、戦後は1人で私を育ててくれました。毎年来るたび、胸がいっぱいです。親を亡くした子どもがたくさんいた。こんなことは、もう起こってほしくありません」

    <父親を亡くした女性(76)=右、東京都>

    「平和でありつづけるように」

    「家族4人ではじめてきました。那須戦争博物館に行ったのがきっかけです。昔の資料でも子どもが犠牲になっているのを見ると、この子も、この子の次の世代も、平和であってほしいと思います」

    <父(28)母(29)息子(5)祖父(62)、栃木県>

    「いつまでも平和であり続けたい」

    ナオトさん(左)「平成最後なので、歴史を知りたいと靖国神社と千鳥ヶ淵にきました。学徒兵の手紙などを読んで、戦争は絶対にダメだと感じました」

    ソウスケさん(右)「昨年に引き続ききました。昭和は激動の時代だったけれど、平成は紛争やテロが多い時代だった。そうしたものもなくなる、次の時代にしたいと思っています」

    <いずれも高校1年生(16)、千葉県>