77人犠牲の土砂災害から2年 進む風化、でも被災者は今もそこに

    土砂災害特別警戒区域は全国で26万カ所以上

    あの日から2年。被災地はこんなに変わった。

    時事通信、Kensuke Seya / BuzzFeed
    時事通信、Kensuke Seya / BuzzFeed
    時事通信、Kensuke Seya / BuzzFeed

    77人の命を奪った広島土砂災害から、8月20日で2年となった。局地的な豪雨による土石流と土砂崩れが、住宅や、そこで暮らしていた人々を一瞬で飲み込んだ。

    新聞社に勤めていた2年前、私は被災直後から1週間、現場に入った。昨年も1ヶ月間、復興の様子を取材した。

    「過去30年で最悪の被害」と呼ばれた土砂災害。当時は、私を含めて多くの記者が詰めかけ、報道した。

    あれから2年。被災当時から交流してきた人から「取材にくるマスコミがほとんどいなくなった」と聞いた。改めて、現場を訪ねた。

    「関係ない人にとっては、なんでもないんですね」

    「去年と比べたら、報道が少なくて寂しい気持ちもします。被災者は、これで2年だって思うけど、関係ない人にとっては、なんでもないんですね」

    11人の犠牲者を出した安佐南区緑井に住んでいた中丸益好さん(72)が、そうつぶやく。

    30年以上前に建てたマイホームは、もうない。2014年11月、国土交通省の職員に、砂防ダム建設に伴う立ち退きを告げられたからだ。

    「この地域に暮らす住民の安心・安全を考えれば、立ち退きには賛成だったんですよ。でも、せめて暮らしを保証してほしかった」

    中丸さんのように、土砂災害の被害にあい、さらに災害予防の施策のために立ち退きを迫られたのは、少なくとも70世帯に及ぶ。

    31カ所で、緊急の砂防ダムを建設

    国土交通省中国地方整備局と広島県は、災害後、安佐南区と安佐北区の31カ所で緊急の砂防ダム建設事業に着手した。

    本体工事は、今年6月までに28カ所で完成。残る3か所は、地権者同士の境界や補償額などについて議論が続いているが、11月までに完成させる方針だ。

    これは緊急対策だ。2019年を目標に、さらに本格的な砂防ダムを増やし、住民の安全を確保しようとしている。

    「私は、被災者じゃないんですか」

    国交省の職員から初めて立ち退きの話を聞いた時、中丸さんは耳を疑った。

    被災翌日から、床下に流れ込んだ土砂をかき出し、なんとか住めるようにした。思い出がつまり、土砂崩れでも壊れなかった家を潰さないといけないとは。

    補償額も、今後の生活を考えると簡単に頷ける額ではなかった。国が補償額の参考にした、その年の1月の地価は、災害の影響で下落していた。

    「被災地になって地価が下がるのは当たり前ですよ。だって、誰がこんな山肌がむき出しになった場所に住むんですか」

    「たんに公共事業で立ち退く人間に過ぎなかった」

    中丸さんは被災後、近くに一軒家を借り、妻と長男と3人で暮らした。大雨や大雪ではない限り、毎朝、自宅に通い、地域の行事にも参加してきた。

    国と交渉したが、補償額は変わらなかった。

    「わしらは、たんに公共事業で立ち退く人間に過ぎなかった。被災者として扱ってくれなかった。災害があったからダムを作り、立ち退きになるのに」

    昨年10月、最終的に立ち退きを受け入れた。そして今年の6月、隣の2軒と一緒に自宅が解体された。

    自宅跡地の傍らでは、地上約15メートル、幅約50メートルの砂防ダムの本体部分が立ち、全体工事が日々進められる。

    中丸さんは今月末、自宅跡地から約2キロのマンションに引っ越す。近所に知り合いがいない寂しさが、住み慣れた地域にこれからも足を運ばせる。

    「わたしは、いつまでも緑井7丁目の人間なんですよ。ここに来るのが、毎日の楽しみなんです」

    風化を繋ぎ止める「絆花壇」

    安佐南区の被災地には、区内の小学生が種から育てた橙色や黄色のマリーゴールドが、咲き誇る。「絆花壇」の名で区が企画し、地元住民らが引き継いで民家の跡地や公園など68カ所で、大切に育ててきた。

    犠牲になった人たち、そこにあった暮らしの記憶を伝えるためだ。

    緑井7丁目の土石流により夫婦2人が亡くなった自宅跡地にも、約1500株のマリーゴールドが植えられた。

    中丸さんが、花を眺めていると、災害を機に発足した地域住民による団体「未来ネットワーク」会長の山本忠臣さん(77)と、事務局長の山口洋司さん(68)の2人が、水やりのため、絆花壇に集まった。

    山口さんはいう。

    「年間で、何個か行事をやりおればね、人が集まってくるんよ。この花を見たりして、少しでもあの日を思い出してくれれば。その一つ一つが、”つなぎ”になって、風化を止められればって思ってる」

    「私は20日に、この7丁目に駆けつけますよ」と中丸さんが切り出した。

    「こっちの住人じゃけんな」

    山本さんの一言が、被災者3人を笑いに包み込んだ。

    土砂災害特別警戒区域は全国で26万カ所以上

    全国治水砂防協会によると、今年2月末現在、全国の26万カ所以上が、土砂災害特別警戒区域に指定されている。広島の悲劇は、いつ、どこで起こるかわからない身近な悪夢だ。

    山本さんは「ほとんどの住民は、災害なんて起こらないと思ってた」と振り返っていた。そして、それは起きた。

    豪雨と台風のシーズンは、今年もまだ終わっていない。

    (大雨災害への備えは、こちらの記事をご覧ください)