戦争状態のガザ地区で3週間あまり避難生活。ラファ検問所を通ってエジプトに移動
会見したのは、現地で人事担当の仕事をしていた白根麻衣子さん。10月7日からイスラム武装組織「ハマス」とイスラエル軍の交戦が始まったことで、ガザ地区は絶え間ない空襲にさらされることになりました。
エジプトとの間の国境が封鎖されたことで、白根さんは3週間あまりガザ地区内で避難生活を送っていましたが、現地時間11月1日にラファ検問所が開放されたことでエジプトに移動したそうです。
白根さんは、記者会見を開いた理由について「外国メディアが全く入れない状況で、ガザの中から届けられる情報が本当に少なくなっている」という懸念があったと明かしました。
現地では食料や水が限られる中で、缶詰などの食事を一日に1〜2食取る生活が続いていたそうです。温かい食事を取るために廃材を拾ってきて火を起こしたこともあったと振り返りました。
家族とは連絡ができるときには、なるべく連絡を取っていたそうです。会見で「母は一度も弱音を吐かず、『あなたなら大丈夫だから信じて待ってる』とずっと言い続けてくれました」「3週間乗り切れたのは家族の支えがあったから」と話した際には、言葉を詰まらせて涙ぐむ場面もありました。
南部へと移動中に体験した「忘れられない出来事」とは?
10月7日の早朝6時半ごろ、白根さんはガザ市内の宿舎で寝ているときに爆破音で目が覚めたました。窓を開けて外を見ると目の前のビルの後ろ側から、 無数のミサイルが打ち上げられているのが見えたそうです。
その後は宿舎の退避部屋で過ごしていましたが、イスラエル側から「ガザ地区北部の住民に南部に避難するように」という勧告が出たことで現地時間10月13日、ガザ地区南部へと「国境なき医師団」の自動車で避難しました。
この移動の際に忘れない出来事があったそうです。避難するにしても自動車がなくて行くところもないので「道でさまよう市民」をたくさん見ました。
そのパレスチナ人たちが、白根さんたちの車を追いかけて「乗せてくれ」「なんで行ってしまうんだ」などと言っていると現地スタッフから聞いて「本当に心が張り裂ける思いでした」と振り返っていました。
雨や空爆の音に耐えながら子どもたちが心細そうに泣く姿を見て憤りを感じたことも
ガザ地区南部で避難したのは国連施設。その屋外で寝泊まりしていたそうですが、南部でも空爆が絶えることなく続いていたそうです。現地の気温は昼間は摂氏25〜30度、夜は15度程度と比較的過ごしやすかったとのことですが、雨が降った日には自動車の中で過ごしていると、同様に退避してきた国内避難民のパレスチナ人が雨を凌ぐこともできず、雨や空爆の音に耐えながら子どもたちが心細そうに泣いたりしていたのを目にしました。
「戦争で一番苦しむのは一般市民だな」と心から憤りを感じたと、振り返っていました。
「国境なき医師団」がオンライン署名活動中
白根さんが所属する「国境なき医師団」では、オンライン署名サイト「Change.org」で11月6日までガザ地区に関わる署名を集めています。
全ての紛争当事者に対して、無差別攻撃の即時停止、医療の保護、人道性の回復を求めています。