• unknownworldjp badge

亡くなった祖父が建てた“山奥の別宅”に行ってみたら、竹やぶの中の遺物が語りかけてきた。「思い出が詰まっている」「目頭が熱くなる」と話題に

廃屋から見えてきたのは、ちょっと優雅な日常生活。「確かにここにいたという証しに目頭が熱くなる」「先人達が生きた日常の一部分が見えるの好き」と大きな反響を呼んでいます。

「亡くなった祖父がかつて山奥に別宅を建てていて、たまに知人や親戚を招いていた」という話を親族から聞いた人が、道なき道を行き、山の中にあった「別宅」の痕跡を発見しました。このエピソードがSNSで大きな反響を呼んでいます。

「山奥の別宅」の近くに通じる階段(me_young_sitterさんのXより)

関東地方在住のジュース瓶研究家「me_young_sitter」さんが4月21日、X(旧Twitter)に、写真付きで連続投稿したものです。

BuzzFeed編集部が本人に取材したところ、同日朝に中国地方で親族が所有する山を許可を得て探索したときのレポートとのこと。

数年前に母から「祖父の別宅」の話を聞いて「果たして今どうなっているのか?」と気になっていました。親族からのあいまいな情報を元に祖父の自宅から1kmほど離れた山に入りました。

「噂は本当であった」倒壊した建物から伺える、趣味人だった祖父の生活

道なき道を藪をかき分けて進んでいったところ、だんだん人工物が増えていき、貯水槽や陶器など人がいた気配が見えてきました。

柑橘類の「だいだい」の木がある平場もあります。かつては、実をもいでみんなで食べていたのだとか。観音像には昭和10年(西暦1935年)の記載がありました。どうも戦前に建てられたもののようです。

me_young_sitterさんが「おや、これはもしかして……」と投稿した写真には、無数の竹が生えた崩れた廃屋が写っていました。

倒壊した「別宅」が竹に覆われている様子(me_young_sitterさんのXより)

「噂は本当であった。既に倒壊はしていたが、どんな建物であったかを想像するには十分であり、よくぞ50年弱も放置されつつもここまで残っていてくれた」と感慨深げです。

茶室は原型を留めていませんでしたが、五右衛門風呂の跡はありました。「たしかにここで、祖父や親きょうだいが楽しい時間を過ごしていたのだ」とつぶやきました。

便器は「瀬258」の刻印があり、戦時中に瀬戸で作られた統制陶器とみられます。「祖父は既に当時40代であったため招集もされずに、国難のさなかにこんな余暇施設を作っていたということか」「多趣味だった祖父らしいといえば祖父らしい」と振り返っています。

「別宅」の跡で見つかった便器。「瀬258」の刻印がありました(me_young_sitterさんのXより)

酒やジュースの瓶も。「祖父や母が飲んだかもしれないと思うと何か特別な感情が湧いてきます」

また、酒やジュースの瓶も残されていました。タカラビール、キリンレモンクレール、オーシャンウイスキー。新しくても昭和40年(西暦1965年)前後のものだったそうです。

どうやら、末っ子のme_young_sitterさんのお母さんが思春期に入った辺りで、祖父も「だんだん足も遠のいた」と推測しています。「祖父や母が飲んだかもしれないと思うと何か特別な感情が湧いてきます」と振り返っていました。

帰りは後年に作られたとみられる階段を発見。登山には20分かかったものの、下山は階段を使って10分ほどで済んだとのことです。親せきに「別宅」を発見したことを伝えると、「よくぞ見つけてくれた!」とたいそう喜ばれたそうです。

「別宅」の跡で見つけたオーシャンウイスキーのボトル(me_young_sitterさんのXより)

楽しかった生活の痕跡が、ビールやジュースの瓶から伝わってくるのは、どこかロマンチックですね。

この「別宅」がいつごろ使われていたのかは、これまではっきりしていませんでしたが、今回の調査で、戦前の昭和10年から30年ごろにかけて使われていたことが判明しました。

「別宅」を建てた祖父は昭和59年(西暦1984年)に80歳で亡くなりましたが、me_young_sitterさん自身はまだ赤ん坊だったため会った記憶はないそうです。生前のおじい様の生活ぶりがタイムカプセルのように「別宅」に残っていたとは興味深いです。

このme_young_sitterさんのXでのレポートには、大きな反響が寄せられました。

💬 「ドキドキしながら読ませて頂きました」

💬 「確かにここにいたという証しに目頭が熱くなるな」

💬 「先人達が生きた日常の一部分が見えるの好き」

💬 「瓶や生活のかけらには家族の楽しい思い出が詰まっているんだよね」

me_young_sitterさんの連続投稿

※時系列に沿って掲載しています

祖父がかつて山奥に別宅を建てていて、たまに知人や親戚を招いていたという噂があった。自分が生まれた頃には既になく、その存在自体を知ったのもここ数年のこと。親戚も遠方&高齢化で話をする機会もなく、記憶にすらない者が殆ど。果たして今どうなっているのか?曖昧な情報を頼りに山に入ってみた。 pic.twitter.com/HvfYo18SFP

— me_young_sitter/ジュース瓶研究 (@me_young_sitter) April 21, 2024
Twitter: @me_young_sitter

Twitter: @me_young_sitter

Twitter: @me_young_sitter

Twitter: @me_young_sitter

Twitter: @me_young_sitter

Twitter: @me_young_sitter

Twitter: @me_young_sitter

Twitter: @me_young_sitter

Twitter: @me_young_sitter

Twitter: @me_young_sitter

me_young_sitterさんとの一問一答

――別宅の廃墟をご覧になったとき、どのように感じましたか?

崩れてはいましたが、完全な更地を想像していたのでまだ残っていたことに驚きました。そして、聞いていたとおりの五右衛門風呂がまだあったことに驚きました。

――ジュース瓶の収集が趣味とのことですが、現地で発見した瓶をご覧になってどのように思われましたか?

瓶自体はよくあるもので珍しいものではないのですが、祖父や母が飲んだものかもしれないと思うと、そんな普通の瓶でも不思議な感情が湧いてきました。

――お爺さまが別宅を建てた時期というのは、今回の調査で初めて明らかになったのでしょうか?

建てた時期についてそもそも話したことがありませんでした。「昔、そういう家があった」とだけ聞いていました。そういう意味では、今回なんとなくの年代が初めて明らかになったと言えます。戦前の状況を知る親戚がそもそも誰もいませんでした。