北海道・知床半島沖で4月23日、乗員乗客26人を乗せた観光船「KAZU Ⅰ(カズワン)」が消息を絶った事故で、船を運行する「知床遊覧船」(北海道斜里町)の桂田精一社長が27日、記者会見を開いた。
この事故では、女児(3)を含む11人の死亡が確認され、15人が行方不明のままだが、桂田社長はこれまで沈黙を続け、公の場に出てくることはなかった。
事故当日に何が起きていたのか。乗客やその家族への思いは。初めての記者会見で明らかになったこととはーー。
まず経緯を振り返る
総務省消防庁のとりまとめ報によると、事故が起きたのは4月23日午後1時50分頃。
場所は、カズワンが出発した「ウトロ港」から北東約25キロ先に位置する「カシュニの滝」付近だった。
海上保安庁は「船が転覆しかかっている」と通報を受け、ヘリコプターや巡視船などを現場に急行させたが、その日はカズワンと巡視船の発見には至らなかった。
最初の救助は翌日午前5時過ぎ。北海道警がヘリコプターで2人を救助した。
その後も要救助者の発見が相次ぎ、午後11時10分までに計11人を岩場や海上から救助した。
しかし、11人はその後、死亡が確認された。事故当日の現場海域の温度は2〜4度で、死因はいずれも水死だったという。
NHKによると、カズワンは23日午前10時頃にウトロ港を出発し、約40キロ北東の「知床岬」を折り返して午後1時には戻る予定だった。
当時の波の高さは3メートルで、強風と波浪注意報が出ており、別の運行会社や漁協の関係者は「出ないほうがいい」と忠告していたという。
カズワンはいまだに発見されていない。海上保安庁などが、残りの行方不明者15人の捜索を必死に続けている。
会見で社長が語ったこと
記者会見は27日午後5時前から行われた。
桂田社長は鼻水をすすり、言葉に詰まりながらこう話した。
「大変な事故を起こしてしまい、亡くなられた被害者の方々、捜索中の方々に大変申し訳ございませんでした。ご家族に大変なご負担をかけております」
「捜索中の方々が1日も早く見つかることを心からお祈りします。できる限り、尽くしていきます。事故の原因究明を全力で行なっていきます」
そして、その場に土下座した。
その後は事故に至る経緯を、以下のように説明した。
- カズワンは過去に2回、事故を起こしていた。4月20日に日本小型船舶検査機構の検査に通過していた。
- 事故当日の23日は午前8時頃から船長と打ち合わせを実施。船長から「午後から天気が荒れる可能性はあるが、10時からのクルーズは可能」という報告があった。
- 桂田社長は「海が荒れるようであれば、引き返す条件付き運行」とし、出航を停止する判断はしなかった。
- カズワンは午前10時に出航。午後1時13分にカズワンから他の運行会社に「戻るのが遅れる」と無線連絡が入り、その5分後に「船首が浸水している」と救助を求める情報が入った。
この説明の後、記者との質疑応答が行われた。
ーー家族への説明会ではどのような話をしたのか。家族の反応や、その反応に対する受け止めはあるか。
「正直なところ、謝罪をするしかございません。大切な家族を失ったわけでもありますので、謝罪しても謝罪のしようがございませんでした。私ができる限りのことをやってあげたい、それしか考えることができないと思いました」
「やはり、(家族の)やり場のない感情も含め、私としては精一杯、それを受け止めるだけになってしまいました」
ーー被害者の家族から説明が不十分だとの声も上がっている。説明会まで時間がかかった理由は。
「まずは被害者の家族の方々と、救助活動を第一に考え、海上保安庁や国交省の原因究明に協力すること、ご家族に誠心誠意尽くすことと思っていましたが、私1人の力ではうまく対応できませんでした。申し訳ございません」
ーー普通よりも早いタイミングでの出航を決めたのは誰か。また、この時期にしたのはなぜか。
「最終的な判断は私です。各旅行会社の要望に応じて、現在ある小型船の中では、いつも早い出航を行なっていた」
ーー「多少、波が高くてもいかせろ」と言ったことはあるか。
「正直言うと、知床は綺麗なところなので、出れるとこまで出て、と言ったことは過去にあります」
ーー「なぜ周りは出ているのにうちは出さないんだ」とは。
「記憶にはございません」
ーー他の漁船や観光船の事業者から「波が高くなるからでないほうがいい」と言われていたのに出航したのはなぜか。
「私もお見送りしましたが、通常通り問題はないと。また、午後に天気が悪くなる場合は、船長判断で戻ってくることを長年やっています。出航は船長との打ち合わせで私が決めましたが、その時は波、風ともになかったと」
ーー事故を知った経緯は。
「知床遊覧船の事務所にいた社員から携帯で連絡が入りました。『浸水している』という連絡が他社に入ったということで、すぐ漁業関係者に連絡して今後の行動を仰ぎました」
「(漁業関係者の)救助チームがあるということで、出港させるということで電話を一度切りました。しかし、波が高くなり、風も出てきたので、助けにはいけないかもしれないという連絡もあった」
ーー出航できるかできないかは船長に任せていたのか。
「基本的にどの会社も最終的には船長判断です」
ーー会社の安全管理規定はどのようになっていたのか。
「波が1メートル以上、風速8メートル以上で欠航。視界が300メートル以上ないと出航できないということでした」
ーー船長の出航について、社長は「大丈夫か?」と聞かなかったのか。
「はい。その時点で海を見ても荒れてないですし、天気予報を見ても問題ないということでしたので」
ーー出航の判断は改めてどのように感じているのか。
「まあ、今となれば、このような事故を起こしてしまったことですので、判断を間違ったと感じております」
ーー事故が起きた理由はなんだと思うか。
「結果として行き届いていなかった。安全管理規定はあるが、その徹底、になると思います。私のいたらなさだと感じております」
ーー無理な出航をしたとか、会社の収益のためという思いは?
「会社の収益は常に考えていますが、そのために無理に出航させたということはないです」
ーー波浪注意報が出ていたのに、なぜ止めなかったのか。天候も変わりうる認識があっても大丈夫と判断したのはなぜか。
「ウトロ港をこう、車で少し走った感じ、風もなかったんです。先ほどの条件付き運行がそういう意味です」
ーーカズワンの亀裂を見たと言う人もいるそれは把握しているか。
「把握していません」
ーー波浪注意報が出ていたのに出航の判断をした理由を改めて。
「(海が荒れれば引き返す)条件付き運行がそういうことです」
ーー社長は運行中、その都度、天候の確認をしていたのか。
「僕もしますが、その役目は船長。出航後は船長に連絡はできませんでした。天気図は僕もその時は確認していません」
ーー遺族に情報の伝達が遅くなったことについてはどのように考えているか。
「初めてのことで、というと言い訳にはなると思いますが、今、一斉にそういうのがわかる何か、アプリみたいなのとか、アプリじゃないですけど、登録とか、そういうのが必要かなと感じています。関係各所に相談してみようと思います」
ーー遠方の遺族にも説明はするのか。
「もちろん連絡をとっています。ただ、いろいろな事情があって、あまり騒がれるのが嫌だとか、慎重にやらないといけない。マスコミが家まで来るのは嫌だという話も聞きました。被害者のご家族の家に行くのは謹んでいただければと思います」
ーー繰り返しになるが、強風、波浪注意報が出ているのを認識していて、春は急に海が荒れることもわかっていたのに、朝に港を見て落ち着いていたから出航した、ということが理解できない。
「あのう、同じことになってしまいますが、条件付き運行といいまして、穏やかだから出ました。で、荒れてきたら戻るということです」
ーー波浪注意報が出ていても出航することはよくあったのか。
「条件付き運行ではそういうこともありました。ウトロ港付近が荒れていなかったので出航しました」
ーー午後に荒れそうだったのに、午後1時に戻るコースで出航した判断はそもそもいいのか。
「元々コースは設定されていて、だから条件付き運行になりました。お客様は『行きたい』と思うんですが、そうではなくて、船長判断で折り返すというものです」
ーー「条件付き運行」は船長が独断で判断できるのか?
「現場に出ている時は船長の判断で全て決められます」
ーー「条件付き運行」を乱用することで、安全管理に問題が出てきていたのではないか。
「条件付き運行は確かに結構ありました。それに慣れて……、安全管理が疎かになったということもあったのかもしれません」
UPDATE
会見の内容を更新しました。