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「プロポーズの手紙を全国放送」に高まるマスコミ批判。事件で愛娘を失った女性が語る遺族取材のあり方とは

知床観光船事故から1か月。マスコミの遺族取材に再び厳しい目が向けられています。実際に取材を受けたことがある事件の被害者遺族に、当時を振り返っていただきました。

「プロポーズの手紙を全国放送するなんてありえない」「遺族はそっとしておくべきだ」

北海道・知床半島沖で観光船「KAZU Ⅰ(カズワン)」が沈没した事故から5月23日で1か月。

犠牲者や行方不明者に関する報道と家族への取材が過熱し、ネット上では「家族取材の是非」を問う声が広がっている。

被害者遺族の立場から見て、どんな報道が必要なのか。取材のあり方はどう有るべきか。

BuzzFeed Newsは、2006年に突然の事件で愛娘を失った中谷加代子さんを取材。

深い悲しみに暮れながらも、記者やカメラの前に立ってきた経緯を聞いた。

事件を振り返る

中谷さんの長女・歩さん(当時20歳)は2006年8月、通学先の高専(山口県)で同級生の少年(当時19歳)に殺害された。

少年は逃走。山口県警は逮捕状を取り、全国に指名手配して行方を追っていた。

中谷さんと夫は少年の一刻も早い逮捕を望み、事件直後から記者会見という形で報道陣の取材に応じた。

しかし、公開捜査の申し入れを予定していた日、少年は遺体で発見された。県警は自殺と判断。捜査は、「被疑者死亡による不起訴」というかたちで終わった。

山口県警は少年の逮捕状を取った時点から、当時の少年法の観点から氏名や服装を公開せず、「周南市内に住む少年(19)」と発表した(読売新聞、2006年9月8日)。

一方、週刊新潮は「凶悪事件」として少年が逃走中の段階で実名と顔写真を報道。自殺が判明した時点で読売新聞、日本テレビ、テレビ朝日が「少年法の対象外となった」などの理由で実名報道に踏み切った(同、10月30日)。

校内での殺人という事件の衝撃性に加え、少年法と報道を巡る議論も過熱した。

中谷さんは勤めていた市役所を事件から6年後の2012年に退職し、山口被害者支援センターの養成講座を受講。

「同じ悲しみをうまないように」と、講演活動を続けるほか、刑務所を訪問して受刑者と向き合う活動を行っている。

ほっぺたの感触

ーー事件が起きたことをどのように知ったのでしょうか?

その日、いつもと違ったことがありました。職場の席に夫からのメモが置かれていたんです。

「歩が学校で倒れた。迎えに行ってくる」と書いてありました。あれ?今朝、歩を送った時は元気だったのに、と不思議に思いました。

夫に電話をしても「保健室で待たされちょってわからん」ということでした。私も帰宅して病院に行く支度をしていました。

その後、何度か夫に電話して、やっと通じたと思ったら、今度は夫がずっと黙っているんです。

「どうしたんかね」と聞くと、夫は「歩が死んだ」と言いました。

「何を言いよるんじゃろうか。ちゃんと確かめたんかね」と話していました。その後、友人から「テレビに出とる」と電話がかかってきました。

電源をつけると、ニュース速報が出ていました。

「高専5年、死亡」ーー。呆然としていると、夫が刑事さんと自宅に帰ってきました。

警察署に行くことになり、自宅を出ると記者が2人ほどいましたが、「何もわからない」と伝えて車に乗り込みました。

ーー警察署に到着した後、事件の内容を聞かされたのですか?

まずは事情聴取でした。何を食べたか、何を着ていたか、何を持っていたか、友人関係などです。

その時、私は歩が死んだとは思っていませんでした。でも、なぜか涙が落ちてね。

「警察署が騒然としているから誰かが亡くなったのかもしれん。でも、歩のはずがない」。そんな思いの中、夜中に警察署の小屋に連れていかれました。

ドラマで見たことあるような袋が置かれてあって、顔に布がかけてありました。

それが取られる瞬間まで「違う人であってほしい」と思っていましたが、そこにいたのは歩でした。

眠っているようだったので、私は起こそうとしたんです。

「歩!起きんにゃいけん。起きて」

何回も呼びかけ、ほっぺたを触りました。あごの付近に何かついていたのでそれを取ろうとしたんですが、捜査中なので触ってはいけないと止められました。

私はそのほっぺたの感触を忘れたくないと、今日まで自分の二の腕とか柔らかい部分をずっと触ってきたんです。

「歩のほっぺた、こんな感じだったよね」って。

でも、10年、15年と時間が経過していくにつれて薄れていくんです。ものすごく情けない。

名誉を守りたい

ーーそんな悲しみの渦の中、自宅に帰ることになったんですね。しかし、報道陣は集まっていたと思います。

警察署から自宅までは夫が運転しました。

その途中で雨が降ってきたんです。前が見えなくなるくらい土砂降りで、「絶対、歩の怒りの雨だ」と思いました。

あの時、もし加害者が目の前にいたら何をしていたかわかりません。

家に着くと、すごい人だかりができていて、タクシーがずらっと並んでいました。何か声をかけられたと思うんですけど、ひとまず人を分けて自宅に入りました。

その後、夫が「どんな娘さんでしたか?」と聞かれ、「親想いの優し子です」と答えたそうです。あとはもう思い出せません。

ーー翌朝も報道は自宅前にいましたか?

夜中2、3時くらいまで自宅のチャイムを鳴らす人もいました。しかし、翌朝に私たちの職場の関係者が報道各社に呼びかけを行ってくれていたんです。

「通夜や葬儀の後といった区切りには記者会見をする」と話をつけてくれていました。地元の記者もそれを踏襲しようと頑張ってくれたそうです。

だから、葬儀までの時間は比較的静かに過ごせました。そして、私たちは夫婦で報道対応をすることにしたんです。

ーー想像を絶する悲しみに暮れているご遺族が、事件後に報道対応するケースは珍しいと思います。

「歩の名誉を守りたい」と思ったんです。

「あんな親だからこんな子になったんだろう」と世間に思われたくなかった。

多分、私の中にも「事件に巻き込まれるのは被害者にも一部責任があるのではないか」という意識があったのかもしれませんね。

だから、「歩に落ち度がある」と思われたくなくて、取材を受けることにしました。

警察も「歩さんが悪いことはひとつもない」と言ってくれていたので。

ーーでも、気持ちは穏やかではなかったと思うのですが。

もちろん穏やかではありませんでした。

事件から1か月後、初めて買い物に出た時、ベビーカーに乗った赤ちゃんを見かけました。

「この子も将来何するかわからん」

私はそんなことを思っていました。あの夏は暑かったという記憶が全くありません。

それでも、記者会見をする時は「しっかりしちょかんといけん」「歩の名誉を守りたい」という思いで立っていました。

報道の影響

ーーどの程度、記者会見に応じたのですか?

節目には応じていましたが、コメントを出すこともありました。

一番長かった会見は、9月7日に加害者の遺体が発見された時ですかね。

実はその日の午後、一刻も早い逮捕に向けた公開捜査の申入書を出そうとしていたんです。加害者の情報を公開してもらえれば、どこかで見つかるかもしれない。

それまでカメラの前で顔は出していなかったのですが、その日の会見は「顔出し」で応じることにしました。

しかし、いざ申入書を出しに行こうとした時、「加害者が首をつった状態で発見された」と連絡が入ったんです。

取材にも「早く犯人が捕まってほしい」と思って協力してきました。

これで、なぜ歩が事件に巻き込まれたのかが加害者本人の口から聞けなくなってしまった。悲しかったです。

ーー記者会見に応じてこられた経験から、報道はどのような影響をうみましたか?

まず、記者会見で対応してきたので記者がばらばらに訪れることがなく、歩と最後の時間を静かに過ごすことができたと思います。

報道の影響かわかりませんが、20歳の女の子が亡くなった葬儀としては本当にたくさんの方に弔問して頂きました。800人くらいと聞きました。

別の事件で同じような思いをされたご遺族からも電話があり、「2人で頑張っているのでよかった」と言われました。

残された遺族のなかには、悲しみのあまり自分を傷つける人もいるみたいで、2人なら相談し合えるということでした。

ーー中谷さんは歩さんの顔写真も報道に提供しています。報道が被害者の顔写真を出すことにネット上では批判も多いのですが、なぜ提供しようと思ったのですか?

単純に出るものなのだろうと思っていたんです。

よくわかっていなかったのかもしれませんが、卒業アルバムや幼い頃の写真を使われるくらいなら、歩の良い写真を使ってほしいと探しました。

しかし、当時は(今のようにSNSが発達した)ネット社会ではありませんでした。今は拡散されることに不安を覚える人も多いと思います。

勘違いしてほしくないのは、報道側の理念を理解した上で顔写真を出したわけではないということです。

風化させないためといった理念も違う。「皆が忘れてもいい。私が忘れないから」と思っています。

ただ、遺族が取材に応じたことで発信できる「悲しみを伝える報道」は必要だと思っています。

名前がない。顔がわからない。そんなことではなく、歩はちゃんと生きていた。

そのような報道から再犯防止といった社会的な話につながっていくのであれば、意味があると思っています。

ーー悲しみを伝える報道でいえば、北海道・知床で起きた観光船沈没事故で、あるご遺族が、事故に巻き込まれた息子さんが一緒に船に乗っていた恋人にあてたプロポーズの手紙を公開しました。

あくまで報道を見て思ったことですが、非常に仲の良い家族だったというのが伝わってきました。

どうして手紙を公開しようと思われたのか想像したのですが、息子さんがプロポーズ直前で渡せなかった無念の思いを何とか届けたいと思われたのではないでしょうか。

それだけご家族も悔しかったんだという思いが伝わってきました。

ただ、気をつけたいポイントは、報道側が無理やり写真を出させたのではなく、ご遺族が自分たちの意思で報道に提供していたかどうかだと思います。

遺族は今まで経験したことのないような渦の中にいます。冷静さを失っていることもあります。

報道側はその心境をまず想像してもらい、自分が同じ立場だったらと考えてほしい。

あの時、取材に応じなければよかったーー。こんなことを思わせないような報道を今後もしてほしいです。

「命」について真剣に向き合ってほしい

ーー事件の度に「ご遺族はそっとしておくべきだ」という議論がネット上で巻き起こっています。改めて取材を受けてきた経緯を振り返ると、どのようなお気持ちですか。

私たちの場合は記者会見という形でしたので、最小限の傷で済んだのかもしれません。

ただ、取材を全て拒否しなくてよかったなと思っています。

それは外とのパイプができ、今の活動につながったことにあります。

別に、このような活動をすることを目指してきたわけではありませんが、結果的に「命」について考えることを伝え続けることができています。

ーー今の活動とのお話がありました。この10年間、中谷さんは同じような悲惨な事件をうまないために、子どもに命について考えてもらったり、受刑者の方とお話しされたりしています。

子どもや受刑者が命のことを考え、きちんと生きていこうと思ってほしい。そんな願いで活動しています。

暴力ではなく、人と人とが寄り添い合って生きていく社会になってほしいという気持ちを伝えたいと思った時、事件後から取材を受けてきたことで外と繋がりました。

子どもたちは学校の先生がびっくりするくらい耳を傾けてくれます。

「命を大切にしよう」とは言わないのですが、子どもたちは自分なりに意味を理解しようとしてくれます。

「家族を大切にしようと思います」。そのような反応を聞いた時は嬉しいです。

ーー受刑者にも自らの事件のお話をされています。この活動を始めたのは、やはり悲惨な事件を繰り返したくないということが根底にあるのでしょうか。

加害者が命のことを真剣に考えていたら歩は死ぬことはなかった。そして、事件は起きなかったと思っています。

だから、受刑者には「命」のことを考えてほしい。

受刑者と話をする際、前半に私の話をして、後半にグループワークをします。

最初は「どんな怖い人がいるんだろう」と思っていたんですが、会ってみると普通の人なんです。何でこんなことをしたのだろうと不思議に思うくらい。

罪は犯してはならないですが、生い立ちや環境、貧困、いじめなど各々に背景がある。

受刑者のなかには「生きていてはならない」「青い空を見ては行けない」「幸せになってはいけない」という人もいると感じています。

私はそれが良い状態ではないと思っています。

幸せにふたをすると、相手の幸せを認めることができなくなる。自分が幸せを感じることができて相手の幸せが願える。

私の場合、歩が事件に巻き込まれた理由を加害者本人から聞くことができませんでした。

加害者には生きるということをもっと真剣に考えてもらいたかった。周りの人のことを大切に思って欲しかった。

子どもに命の大切さを伝えていることも同様です。そのために自分ができることをやりたいと思っています。

ーー事件報道に注文をつけたいと思ったことはありますか?

誤報は絶対にやめていただきたいです。

歩の事件でも、「DNAが出ました」と報じていたのに出ていないことがありました。

ネット社会では誤報を拭い去るのは大変です。いい加減な報道で遺族が翻弄されるのはあってはならないことだと思っています。

あと、被害者を理解しようとしてくれる記者ももちろんいるのですが、視聴率や実績のために仕事をしている人がいます。

自分が事件に巻き込まれたことを想像して接してほしいです。

ーー最初は取材を拒否していたご遺族が「事件が忘れ去られている」といった理由で後々取材に応じていただけるケースがあります。これはどのようなお気持ちからなのでしょうか。

遺族同士でも、新聞の扱いの大きさを比較される方もいらっしゃいます。

私は気にしたことはないですが、なかには関心を持たれなかったことに対して憤りの感情を持つ人もいます。

私は、事件直後は冷静に対応することは不可能だと思っていますが、何年かたって信頼できる記者に思いを伝えるのもいいかなと思っています。

それが正確に報じられ、改めて事件や事故を考えるきっかけになり、次の被害をうまないことにつながるかもしれません。