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メディアの誤報「被害者の私たちが悪者に」愛する子2人を殺害された「遺族」が語ったこと

突然の事件でご家族を失った遺族は、誤報やインターネット上の中傷にも苦しみました。この真正面からの訴えを、記者の皆さんにも読んでいただきたいです。

長野県で2020年5月、暴力団組員の男が住宅に押し入り、屋内にいた面識のない住人2人を銃で殺害したーー。

この突然の事件で家族を失った遺族の市川武範さんが11月20日、都内で講演した。

語られたのは、愛する家族を理不尽に奪われた悲しみ。そして、事件後に相次いだ報道機関による誤報やインターネット上の中傷だった。

遺族となった市川さんは、これまでどのような経験をしてきたのか。そして、事件を報じるメディアに求められていることは何か。

経緯を振り返る

事件があったのは、2020年5月26日午後11時過ぎ。

長野県坂城町の市川さん宅に、全く面識のない暴力団組員の男(当時35歳)が金属バットで窓ガラスを割って押し入り、市川さんの長女・杏菜さん(当時22歳)と、次男・直人さん(当時16歳)を拳銃で殺害した。

男は事件2日前の24日、市川さんの長男に暴行してケガを負わせたなどとして逮捕状が出ていたが、長野県警は事件を防ぐことができなかった。

しかも、市川さんの長男も男と全く面識がなく、たまたま見かけた男が一方的に暴行を加えていた。

そして男は、市川さん宅で杏菜さんと直人さんの2人を殺害した後に自殺。殺人容疑などで被疑者死亡のまま書類送検され、不起訴となった。

愛する我が子を突然に奪われ、深い悲しみに暮れている市川さん。

講演会では、事件を伝えた報道機関による誤報やインターネット上の中傷にも苦しんだことが明かされた。

中傷はがき

事件2日前の5月24日、市川さんの長男が、勤務先の目の前にあるコンビニ店の駐車場で、同じ会社に勤め、別の部署であるものの気が合いそうな女性社員と話していた。

そこに暴力団員の男が突然現れ、長男に一方的に暴行を加えた。

暴力団員は、女性社員の元夫だった。しかし長男は、女性社員の住所も、携帯番号も、もちろん暴力団員と結婚していた過去も、全く知らなかった。

会社の目の前にあるコンビニ店の駐車場で女性社員とただ、話をしていただけで、不条理な暴力に襲われた。

そして男は2日後、市川さん宅に押し入った。

しかし事件後、「捜査関係者によると、死亡した男と長男の間に女性社員を巡るトラブルがあった」と報じられた。

市川さんと長男宛てに中傷ハガキが届き、ネット上には「不倫関係にあった」「犯人が死んだから2人は邪魔者がいなくなって幸せになれる」といった虚偽の書き込みが相次いだ。

「何も悪いことはしていない」

さらに「3か月くらい前から、あるいは1年くらい前から白い車がうろついていて、長男に嫌がらせをしていた」という趣旨の記事も出た。

そもそも男が普段乗っていた車の色は、白ではない。そして、市川さんの長男はこれまで一度も嫌がらせを受けたことはなかった。

記者が近隣住民から聞いた話を、きちんと確認作業を行わずに報じたとみられる。

市川さんは「あまりも無神経で無責任。何も悪いことをしていない長男が可哀想すぎる」と話した。

そのうえで、「最大のとばっちりを受けたのは、銃殺された2人の子ども。こんな理不尽に、果てなき未来を奪われてしまった」と悲しみを吐露した。

「『逃げ込んで助かった』とは何ですか」

「家にいた妻は近所に逃げ込んで助かった」。こんな報道もあった。

市川さんの妻は当時、恐怖で足がすくんでもおかしくない状況のなか、玄関の鍵をあけて靴下のまま泥道を駆け、近所に助けを求めた。その後、再び現場に戻った。

市川さんは「妻は逃げていない。2人の我が子を助けたいという一心で怖い犯行現場に戻った。その妻に『逃げて助かった』とはなんですか。そう報じたメディアに謝罪をしていただきたい。怒りに満ちている」と口調を強めた。

妻は「私は逃げたんじゃない」と苦しみ、「私が撃たれればよかった」「2人が目の前にいたのに助けられなかった」と悲しみ続けているという。

このほかにも様々な誤報やネット上の憶測

報道機関の誤報やインターネット上の書き込みは、これに終わらない。

「犯人は1階窓ガラスを割って侵入」

そもそも、自宅は平屋建てだ。

「犯人は玄関を叩いたが、鍵がかかっていた」

男は玄関を叩いておらず、いきなり金属バットで居間の窓ガラスを割って押し入ってきた。

長女の職業は飲食店員

居酒屋レストランで働いていたが、ネット上では「キャバクラ店員」とされ、別の女性の写真も出回った。

県警は家族も保護指定して避難を勧めていたが、家族が断った

長男は24日に暴行を受けた後、25日に被害届を出した。同日夕に男が自宅近くに現れたことから長男は保護指定され、警察の保護下に避難した。

一方、家族に避難の提案はあったが、保護対象には指定されず、警察と協議のうえ「被害を受ける危険は少ない」となり、避難しなかった。

誤った情報によって悪者にされてしまう

市川さんは「誤った情報によって被害者である私たちが悪者にされてしまっている。事件の原因とされている」と胸の内を明かした。

事件から3週間後、現場となった自宅の片付けを始めたとき、近隣男性から「規制線が張られて近所は迷惑していたんだ。謝って歩くのが当たり前だ」と怒鳴られたこともあったという。

「世間の間違った認識を解かなければ『市川』を堂々と名乗れない」「長男の名誉を回復し、妻の命を守れるのは私しかいない」ーー。

そのように感じ、理不尽な立場に置かれる被害者遺族の現実や支援の重要性をメディアなどで訴える活動を始めた。

市川さんは「いかに最初の報道が大事で、責任が重いかということをメディアに改めて受け止めていただきたい」としたうえでこう述べた。

「『決して1人じゃないよ』。何人かに言われたこの言葉に支えられ、ここまで生きてこられた。その中には報道機関の方もいます。ともに生きていく、孤独ではない、そして明日が来る。皆さまと未来に向けて歩んでいこうと思っている」