地震が発生した2時46分で止まった時計。津波でぐちゃぐちゃになった街並みの写真。子どもたちの靴が残されたままの下駄箱ーー。
「3.11」から来年で12年となるのを前に、福島がこれまで歩んできた道のりや未来への教訓を伝える特別展「東日本大震災と福島」が都内で開かれている。
復興に向かって1日ずつ変わっていく福島を自分の目で確かめてほしい。首都圏で初めての開催となった特別展には、こんな思いが込められている。
約80点を展示
特別展では、福島県双葉町に福島県が建てた「東日本大震災・原子力災害伝承館」が収蔵する約80点が展示されている。
福島県の市町村で避難指示が解除された経緯や、今年6月に復興拠点の避難指示が解除された大熊町の歩みを記載したパネルなどがあり、震災と原発事故直後から現在の復興状況まで確認することができる。
①双葉町で撮影された家屋
2017年6月に双葉町で撮影された写真。
原発事故から約6年半が経過していたが、家屋が倒壊したままになっている。
町は約95%が「帰還困難区域」(放射線量が非常に高い)となり、何にも手をつけられない状態が続いていた。
その後、帰還困難区域の一部が、住民の居住再開を目指して除染やインフラ整備を進める「特定復興再生拠点区域」(復興拠点)となり、今年8月にはその復興拠点に人が住めるようになった。
9月には福島県南部のいわき市に避難していた町役場機能が町内に戻るなど、一歩ずつ歩みを進めている。
②「決して立ち入らないで」と書かれた発表文
2011年3月30日付で福島県災害対策本部から出された発表文だ。
福島第一原発から20キロ圏内には「決して立ち入らないで下さい」と書かれている。
そして、「あなた自身が汚染するリスクがあるだけでなく、小さなお子さんを含め、避難所全体に汚染が拡大するリスクがあります」と強く呼びかけている。
③津波で被災した相馬市
福島は震災と原発事故の複合災害に見舞われた。
沿岸部の相馬市は甚大な津波被害を受け、4月1日に撮影された写真には車や木材、ビニールハウスの骨組みのようなものが散乱している様子がうかがえる。
水はほとんど引いており、ヘルメットをかぶった消防団とみられる人の姿もある。行方不明者を探しているのだろうか。
④列車も津波で流された
こちらも4月に沿岸部の新地町で撮影された写真。
列車が見るも無惨な姿になっており、津波の脅威が直接的に伝わってくる。
⑤小学生の靴が残されたままの下駄箱
福島県沿岸部に位置する浪江町の町立小学校に残されていた下駄箱も展示されている。
児童たちは地震が起こった際に上履きのまま外に避難。その後、町は原発事故によって避難指示が出たため、児童たちは靴を取りに戻ることができなかった。
伝承館が2020年に調査に入るまで、そのままの状態だったという。
⑥2時46分で止まった時計
地震発生時刻の2時46分で止まった時計と、津波で漂着した鍵盤ハーモニカ。
時計は浪江町の小学校のもので、ハーモニカは沿岸部の楢葉町で見つかった。
ハーモニカをよく見てみると、「どれみふぁそらしど」という文字やシールが貼られており、持ち主が一生懸命練習したことが想像できる。
⑦「おめでとう 金婚夫婦」
⑦は、金婚夫婦の記念品とがま口。いずれも津波漂流物で楢葉町で見つかった。
記念品には、「おめでとう 金婚夫婦」と記載されており、「金婚」には「しあわせ」とふりがながあった。
がま口も津波で流されたものの、中に入っていた愛用品は外に流出しなかったのだろう。
福島の「光と影」を目で確かめてほしい
伝承館の後藤雅文副館長は、「来場者からは『福島に行って復興状況を見たい』や『福島のことを忘れたくない』とありがたい言葉をかけられる」と話した。
そのうえで、「福島では復興が進んだところと、時が止まったところがある。いわゆる『光と影』だが、会場でも、福島でも、実際に自分の目で確かめてほしい」と語った。
伝承館は写真や資料など約27万点を収集・保管している。今回はこのうち約80点を展示した。
昨年度に秋田、長崎両県で特別展を開き、首都圏では今回が初めて。期間は12月25日まで。入場無料となっている。