男たちは悩んでいた。
悩んではいるが、顔は明るかった。ビジネススーツを着込んだ者がいれば、ポロシャツやTシャツにデニムを合わせた者もいる。
5000人。Facebookでつながれる友だちの上限数だ。
男たちは仕事柄、多くの人と知り合う機会がある。界隈ではちょっとした有名人だ。だから、講演に登壇したり、イベントに参加したりすると、Facebookの友だち申請が大量に届く。
「せっかく知り合ったのだから、相手をしっかり覚えておきたい」
その一心で、実際に出会った人であれば、快く承認して「友だち」になってきた。
そして、気が付けばいつのまにか、「友だちの上限数」に達していた。
5000人の友だちの中には、一度挨拶しただけの人も多い。すでに顔や名前を思い出せない人も、もちろんいる。本当の友だちは、Facebookに何人いるの……?




(本当の友だち4000人以上……ん、本当かな???)
友だち5000人男たちの悩み
筆者が彼らと会ったのは、「Facebookの友達数が5000人に到達してしまった人・到達してしまいそうな人限定の勉強会&交流会」でのことだ。6月21日夜、五反田駅から徒歩2分、カウンター8席の小さな割烹居酒屋「食堂とだか」で、その会合は開かれた。
主催者は、星野さんと山口さん。筆者はFacebookに流れてきた山口さんの投稿を見て、取材を申し込んだ。参加者は7人、そのうち写真の4人が取材に応じてくれた。
筆者には適用されていないが、会の参加条件はとても厳しいものだった。
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■参加資格
・実際にお会いしたことのある人としか繋がっていないのに、Facebookの友達数が5000人に到達してしまった経験のある人
・もうすぐ5000人に到達しそうな友達数が4000人以上の人
(誰でもかれでも繋がって5000人に到達した人などは、ご参加いただけません。)
(友達数4000人以下の人は、ご参加いただけません。)
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鬼か。
会で語られたのは、こういった内容だ。
「上限到達後に知り合った人とはFacebookでつながれないが、みんなはどうしてる?」
「友だちを削除する? 削除の基準、心配りは?」
「Facebookページを作って『いいね!』してもらうのはどうだろう」
「もう友だち申請をされても承認できないが、相手にはそれが分かってもらえない……」
彼らにとっては深刻な悩みなのだろうが、Facebookの友だちが700人にも満たない筆者には、ことの重大さがわからない。ここで一部の読者からの誹りを免れるために先手を打っておくと、約700人の中に、私の本当の友だちはほとんどいない。私の友だちは、まだmixiにいる。
話を戻して、これは友だち5000人クラスの人間が集まる飲み会である。全員がムードメーカー、コミュ力の塊、ユーモアの化身、気まぐれで投稿した髪を切った写真で1000いいね!を得る猛者だ。酔いが回ればその力はさらに増す。
話が弾み、酒が進む。
二川さんはその場の全員と初対面だったが、気付けば輪の中心で華麗にトークを回していた。友だち5000人クラスの中でも、四天王だとか、きっとそういうのを目指せる人間なのだろう。
会で盛り上がったテーマの一つが、「友だち5000人の上限を超えられる有料プランは欲しいか」。もちろん、答えは全員「イエス」だった。
悩める彼らには、「知り合った人をしっかり覚えておきたい」という切なる思いがある。もしも、そんな有料プランがあるなら、毎月いくら支払うかというと……?




OK。しかし、そんなものはない。
彼らは、新しい友だちを作ろうとしたら、既存の友だちを消さなければならないのだ。
「次は誰を消すか……」
マンガ『DEATH NOTE』でそんな光景を見たことがある。あれほどシリアスではなかったが、このテーマを語る時の4人は、何かを恐れ、それに抗うようにグラスを傾けていた。
最もスタンダードな友だちの消し方は、毎朝、誕生日のお知らせが届いた人の中から、顔や名前を見ても思い出せない人を選ぶ方法だという。
冒頭で述べた通り、5000人の友だちの中には、一度挨拶したきり交流していない人も多くいる。そんな相手を、いちいち覚えていられるわけがない。
彼らはいつも、こんな気持ちで友だちを削除する。



「5000人を目指していたわけではない。目標ではなく、結果として到達しただけだ。友達数=人脈というわけではないし、マルチ商法や新興宗教かと怪しまれることも多い。消したり、つながれなかったりして申し訳ない。でも、ごめん、僕らも困ってる」

会は夜10時過ぎに終わった。会計は割り勘で、一人あたり5800円。当然のように全員に領収書が配られた。
宴の後
会の翌々日、取材を申し込んだ山口さんから、新しく立ち上げたというFacebookグループを案内された。
「5000人会」
あの場にいた全員に、同じ業(カルマ)を背負う者としての友情が芽生えたようだ。
一方、部外者である筆者は、そのグループの説明文の下に、こんなタグが付いていることに気付いた。これが、彼らの本当の悩みなのかもしれない。

