
「アンタ女やのに、なんでこっち使うねん」
京都府に住む甲野友紀さん(仮名・40代会社経営)は2014年3月、スポーツジムの男性用更衣室で、男性客からこう怒鳴られた。
甲野さんは「男の体で生まれたが、心は女だった」という。そのギャップに苦しんだ末、女性として生きることを決意した。2012年からは女性ホルモンの投与で乳房が膨らみ、女性的な体つきとなっていた。一見して男性だったと気づく人はいない。
そんな甲野さんが、男性用更衣室に入らざるをえなかったのは、ジムのスタッフからの指示があったからだ。
「戸籍は男性なので、男性用更衣室を使ってください」
その後、性別適合手術で男性器を女性器に変えた甲野さんは「もう男性用更衣室は使えない」と配慮を求めた。しかし、ジム側は「戸籍が男性なら、男性用しか使わせない」「訴えてもらって結構」と突っぱねた。
女性としての扱いを求め、裁判へ
甲野さんは2015年12月、ジムを運営するコナミスポーツクラブを相手に、慰謝料などを求める裁判を京都地裁に起こした。提訴が報じられると、ネットでは、厳しい意見も飛び交った。

戸籍を変えられない理由
2004年に施行された「性同一性障害特例法」では、一定の要件を満たせば、戸籍の性別変更が認められる。2014年までに累計5千人以上が性別を変え、ここ数年は年間700〜800人程度で推移している。
なぜ性別適合手術まで受けたのに、戸籍を変えないのか。それは甲野さんに結婚20年になる妻と10代の一人娘がいるからだ。特例法では、未成年の子どもがいると、性別変更が認められない。甲野さんは戸籍を変えないのではなく「変えられない」のだ。

幼い頃から女性として生きたいと願ってきたのに、誰にも理解してもらえなかった。中学時代には激しいイジメにもあった。そんな甲野さんが高校生のときに出会ったのが、現在の「妻」だった。
「彼女は男性がちょっと怖いんですよ。そんな彼女にとって、フェミニンなわたしは、接しやすい男の子だったんでしょうね」
甲野さんは当時、男性として暮らしながら、周囲に隠れてスカートを着用して女性として振る舞うこともあった。彼女は、そんな甲野さんをあるがまま受け止めた。一緒にワンピースを買いに行ったり、女性同士の姿で鴨川をデートしたり。

「将来をともにできるパートナー」
一緒にいて心地よく、幸せに感じた。付き合いは、大学・就職を経ても途切れることなく、結婚に至った。家族や職場を意識し、結婚式場では男女のカップルとして振る舞った。
「当時は、それを受け入れないといけない状況だった」と2人は振り返る。
結婚生活を送っていると、大切なパートナーとの間に子どもが欲しいという気持ちが強まった。パートナーが基礎体温を測り、タイミングを見計らって、「子どもを授かるために」セックスをした。

子どもの誕生、「父」としての生活
幸せな生活だった。家事はパートナーと協力してこなし、保育園への送り迎えも2人で交代して行った。リュックにオムツとミルクを入れ、公園を散歩。保育園の先生からは「お母さんが2人いるみたい」とうらやましがられた。
一方で、子どもの存在は変化も生んだ。父が女装していたら、周囲は何というか。
「女性用ジーンズはいいけど、露骨なスカートはやめて」。パートナーは「父」としての姿を求め、甲野さんもそれを受け入れた。

「女性として生きたい」
そんな幸せな一家に、試練が降りかかった。もう一人授かった息子が、生まれて1年後に小児がんで亡くなった。
なぜ、息子は死ななければならなかったのか。命の意味について考え続けた。たどり着いた答えが、女性として生きることだった。
「人生は一度きり。自分の心を檻から出そう」
パートナーに打ち明けると、反対された。娘の存在があったからだ。長い話し合いの末、パートナーは娘にこう告げた。
「あのな、パパな、女になりたいって言うてはるねんけど……」
娘は驚いて大泣きし、自室に引きこもった。数日後、部屋から出てきた娘はこう切り出した。
「パパに苦しんでほしくない。理解するように頑張る」
娘は部屋にこもっていた間、性同一性障害についてネットで調べていた。
「パパみたいに苦しんでいる人が、世の中にいっぱいいるってわかった。家族の無理解が苦しめるんだってね。わたしはパパに苦しんでほしくないから、理解するように頑張る。ショックだけど、現実はそうなんだから……」
「でも、スカートはいたパパと一緒に外に出たりするのは正直抵抗がある。そういうことをするまでには、まだ時間をちょうだい」
娘はそう言って許してくれた。

医師の診断を経て、女性ホルモンの投与やレーザー脱毛を受け、体をだんだんと女性にしていった。2014年には性別適合手術を受けた。男性器を解体して女性の外性器を作り、生殖機能はなくなる。甲野さんは「おできを取ったようなもの」と振り返るが、二度と元には戻せない大掛かりな手術だ。
だが、そのおかげで裸になっても男性扱いされることはなくなった。スカートやハイヒールがなくても、化粧をしていなくても、女性として扱われる。女友達には「遠慮しないで一緒に温泉に行こうよ」と誘われる。
当初、一緒に出かけることを拒否していた娘も、今ではよろこんで買い物や外食についてくる。家の外では「お母さん」と呼んでくれるようになった。

「胸を張って暮らしたい」
しかし、裁判については、パートナーや娘も「そこまでせんでええやろ」と消極的だった。
家族会議が何度も開かれた。「生きることは、命をつなぐだけじゃなく、世の中に胸張って正面向いて暮らすことのはず」と、甲野さんは訴えた。
1年以上に及ぶ話し合いの末、パートナーはついに認めてくれた。「あんたが納得するなら、やりいや」
それでも、家族が世間から袋叩きに遭うのでは、という恐怖は残った。脅迫されたり、変な噂を流されたり。裁判所に向かう朝も、娘にはこんな風に言われた。
「パパ、すごいね。パパを応援する気持ちはあるけど、わたしはやっぱり怖い。家族のプライバシーはしっかり守られるようにしてね」

会見には大勢の記者が詰めかけ、新聞やテレビが一斉に報じた。ネットで世間の反応をチェックした娘は、甲野さんを攻撃する投稿には怒りを隠さないが「数は少ないけれど、理解しようとしてくれている人もいた」と安堵した。
裁判を通じて、家族には何か変化があったのだろうか。そう質問してみた。
「パパを嫌いになったことなんて一回もない。私たち家族の絆が失われたことはありません」
甲野さんは言う。
「わたしたちは仲良く暮らしています。良くも悪くも、普通の家族なんですよ」
