タイ人の子供として日本で生まれ育った16歳の少年ウォン・ウティナン君が、「強制退去は不当だ」と国を訴えていた裁判。東京高等裁判所は12月6日、原告の訴えを退ける判決を下した。少年と弁護団は東京・霞が関の司法記者クラブで会見し、「不当判決だ」と訴えた。
東京高裁の812号法廷。小林昭彦裁判長が「原告の請求を棄却する」と判決を読み上げると、傍聴席からは「ひどい」「恥を知れ」と声が上がった。
緊張した、不安げな表情で判決を聞いていたウティナン君は、うつむいて、一言も発せずに法廷を後にした。
2016年6月の1審判決に続き、2審でも訴えは認められなかった。ウティナン君は会見でも、ずっとうつむいたままだった。「悔しいです。とても悔しい」と、涙ぐみながら、つぶやくように話した。
最高裁に上告するかどうかは、まだ結論が出ていないという。
ウティナン君は中学に入学し、勉強、バスケ、演劇と、順調な学校生活を送っていた。しかし2014年、入国管理局(入管)から「お母さんとタイに帰りなさい」と、強制退去を言い渡された。
その強制退去の撤回と、在留許可を求めて争った裁判だった。
母親は悪質なブローカーに騙された
ウティナン君の母親は、悪質なタイ人ブローカーに飲食店の仕事があると言われて来日した。しかし、実際には話が違った。日本各地で約束と違う仕事をさせられ、不法滞在となった。
ウティナン君が生まれたのは2000年。父親は、母親と一緒に暮らしていたタイ人男性だった。父と母は、ウティナン君が物心つく前に別れた。
母親は不法滞在の発覚を恐れ、各地を転々とした。隠すようにして育てられたウティナン君は、小学校に通えなかった。
「学校に行きたい」とウティナン君は勉強を始めた
勉強を始めたのは2011年、11歳のころ。学校に行きたいと、山梨県の外国人支援団体「オアシス」の人たちを頼った。日本語や勉強を教えてもらって、2013年に中学校に2年生として入学できた。
「自分は日本人ではない」ことに気づいたのは、中学に入ろうとした時のこと。それまで自分は日本人だと疑わなかった。ウティナン君は、堂々と日本で暮らしていくため2013年夏に「在留特別許可」を申請した。
在留特別許可とは?
「在留特別許可」は、法務大臣が「日本に在留することを、特別に許可する」制度だ。
入管は、許可するかどうかの判断基準を、次のように示している。
「個々の事案ごとに、在留を希望する理由、家族状況、素行、内外の諸情勢、人道的な配慮の必要性、更には我が国における不法滞在者に与える影響等、諸般の事情を総合的に勘案して行う」
マイナス要素はない
入管の資料には、プラスに働く要素と、マイナスに働く要素が列挙されている。ウティナン君の場合、次の2点はプラスに働く可能性がある。
(1)当該外国人が、不法滞在者であることを申告するため、自ら地方入国管理官署に出頭したこと
(2)当該外国人が、本邦での滞在期間が長期間に及び、本邦への定着性が認められること
逆に、マイナスに働く要素はない。
だが、東京高裁が示した判断は、今回の強制退去処分について、「法務大臣の裁量の範囲内なので問題がない」という内容だった。
ウティナン君の代理人を務めた児玉晃一弁護士は、憤りを隠さない。
「薄っぺらい判決。なんでダメなのか、今でもわからない。法務省が公表した在留特別許可ガイドラインに照らし合わせてみても、消極的な要素は全くない。なんのためのガイドラインなのか」
母は、子のためにタイへ去った
入管は、ウティナン君に在留特別許可を与えず、2014年に「強制退去」を言い渡した。「国から出て行け」という意味だ。ウティナン君は現在、「仮放免」という状態で、入管施設への収容を一時的に免除されている。
母親は「自分が帰国すれば、子どもが日本にいられる可能性が高まるのであれば」と2016年9月に、裁判続行を諦めて、タイに帰国した。
ウティナン君は今、児童福祉法で保護されながら、支援者のもとで生活しているという。
「僕はもちろん、日本にいたい」
裁判と並行して、ウティナン君は今、入管に強制退去処分を考え直してください、とお願いしている。「再審情願」と呼ばれる手続きだ。
児玉弁護士によると、実務ではよく使われている手続きだが、在留特別許可以上に裁量が大きく、どう応答するかも入管次第だという。
ウティナン君は記者会見で「僕はもちろん、日本にいたいと考えています。今後については、今は考えられません。帰ってじっくり考えたいと思います」と話した。
判決のあと、ほとんど発言しなかったウティナン君だが、BuzzFeed Newsは会見が終わった後に、少しだけ話を聞くことができた。
学校生活のことを尋ねると、はにかみながら「勉強が忙しいけど、大丈夫です」という。演劇にも取り組んでいて、今月も舞台に立つそうだ。
在留特別許可の判断では、その人がどれだけ日本社会に定着しているかも、大きな要素の一つだ。遠慮しがちに話すウティナン君は、その受け答え、言葉遣いも含めて、そのあたりにいる日本の高校生と何ら変わらないように見えた。