9月2日夜、フィリピン南部ダバオ市で起きた爆発事件。少なくとも14人が死亡し、ドゥテルテ大統領は「無法状態(state of lawlessness)を宣言した。
ドラッグの売人たちに「自首しろ、さもなくば殺す」と公然と言い放ち、オバマ大統領に「サノバビッチ」と国家首脳間では前代未聞の暴言を吐くドゥテルテ大統領。
無法状態を宣言したことに、日本のネットでは「無法者が無法状態を宣言」「テロリストは容赦なく殺す宣言?」といった声が上がった。
ここには、「無法状態」という言葉に対する誤解があるようだ。フィリピンで記者をしていた筆者が解説する。
そもそも「無法状態宣言」とは?
ドゥテルテ大統領が発令したこの宣言は、政府がダバオ市の治安について「無法=無秩序な状態である」と宣言したという意味ではない。政府が法律を超えて強権的に容疑者を取り締まることを自動的に肯定する宣言でもない。
フィリピンの法に照らせば、ドゥテルテ大統領は合法的な権限を行使しただけだ。「無法状態宣言」には、どういった法的位置付けがあり、効果があるのか。
憲法で規定された「無法状態宣言」
1987年に策定されたフィリピン共和国憲法は、国軍司令官でもある大統領に、軍隊を指揮して、反政府勢力による反乱やクーデターなど国内の危機的状態を鎮圧する権限が与えられている。
また、危機的状態の度合いによって、非常時に軍隊に完全に統治権を委ねる命令「戒厳令」を布告する権利も大統領には付与されている。
ドゥテルテ大統領が発令した「無法状態宣言」も、戒厳令布告の権限を付与している憲法7条18項を根拠にしている。しかし、逮捕令状無しで軍隊が国民を拘束する権利も付与する戒厳令ほど圧政的な性質はない。
ドゥテルテ大統領自身も発令直後のインタビューで「戒厳令とは異なる」と念を押している。合法的に軍が警察と協力し、反政府勢力を掃討するためと説明している。
過去の政権でも、同様の「無法状態宣言」が発令されている。
歴代政権との違いは、今回の宣言の適応範囲が、爆発のあったミンダナオ地方の一部地域だけでなく、全国を対象としていることだ。
支持を集める大統領
過激な物言いで世界の注目を集めているドゥテルテ大統領。海外のメディアは「あの大統領がまたとんでもないことを言い出した」と不安を煽り、ドゥテルテ大統領の異常さを強調する。
そうした海外からの批判よりも、フィリピン国民が感じるドゥテルテ大統領の期待感は高い。国連から「人権侵害」を名指しで非難されても未だドゥテルテ大統領は抜群の人気を保っている。
しかし、そんなフィリピン国内の中でも、「無法状態宣言」に関しては一部から不安の声が上がっている。
何故なのだろうか。
不安の背景に「独裁政権の亡霊」
フィリピンには、政治家が「戒厳令」という言葉を発する時、誰しもが敏感にならざるをえない負の歴史がある。
故マルコス元大統領が1972年に戒厳令を布告し、合法的に独裁体制を敷いた暗い過去があるためだ。マルコス元大統領は「共産主義への対抗措置」という名目の元、戒厳令を布告し、政敵や活動家を徹底的に弾圧した。
選挙期間中に、ドゥテルテ大統領は「マルコス元大統領はフィリピン史上、最高の大統領だ」と公言するなど、戒厳令下での政権運営に肯定的な考えを持っている。
また、大統領就任前に「国会停止」の可能性を示唆するなど、戒厳令下のマルコス元大統領を彷彿させる発言をしたこともあった。
根深い汚職問題と国中にまん延する違法麻薬に対する強硬な姿勢が評価され、ドゥテルテ大統領は今でも高い支持率を保っている。
長年難航してきた共産党勢力との和平交渉も順調に進んでおり、左派系団体との関係も良好だ。
適応範囲と期間の明確化を求める声
しかし、ドゥテルテ大統領が強硬的な態度を表明するたびに、戒厳令下の弾圧が再来するのではと懸念の声が上がるのも事実だ。
フィリピンの左派系団体「バヤン」は無法状態宣言の発令後、ある声明を発表した。犠牲者に哀悼の意を示し、政府に対して犯人を早急に身柄拘束するよう訴えた。
一方でバヤンは、警察や軍の行き過ぎた捜査が、不当監禁などの国民の人権侵害に繋がらないよう、無法状態宣言の適応範囲と実施期間を明確に示すよう求めた。
ボニファシオ・イラガンさん(64)は、戒厳令下で違法監禁され拷問を受けた経験を持つフィリピン人だ。
BuzzFeed Japanが「ドゥテルテ大統領の無法状態宣言は、弾圧や独裁政権誕生の呼び水になると思うか」と聞くと、イラガンさんはこう答えた。
「戒厳令が布告される以前のマルコス独裁政権と、現在の状況は異なっている。ドゥテルテ大統領の無法状態宣言で、独裁政権下のような弾圧が再来するとは思わない」
適正な法手続きを経ずに違法麻薬取引の容疑者を射殺するケースが急増するなど、強硬的なドゥテルテ政権を不安視する声もある。
だが、一般的なフィリピン国民の中では、ドゥテルテ支持派が激減するという現象は起きていないようだ。
容疑者の「アブサヤフ」とは
フィリピン警察は、事件現場周辺の監視カメラを調べた結果、少なくとも女性2人と男性1人が爆発事件に関わったとみている。
爆発事件の犯人は、フィリピンのイスラム過激勢力「アブサヤフ」とされている。アブサヤフは米国務省に海外テロ組織されている過激派で、爆弾事件が発生したフィリピン南部のミンダナオ島を拠点としている。
過去にも外国人拉致事件や爆破事件などを首謀したことが判明している。またシリアなどで勢力を拡大させている「イスラム国」との連携を表明している。アブサヤフの中には、ISの旗を所持する小規模な集団も現れている。
今回の爆発事件が発生したのは大統領の地元ダバオ市。「ドゥテルテ王国」とも言われるお膝元で起きた事件をきっかけに、ドゥテルテ大統領はイスラム過激派とも「全面戦争」をする態勢に入った。
アブサヤフ側は近日中に、類似した爆発事件を起こす可能性を示唆している。フィリピン政府がイスラム過激派と血なまぐさい戦いを繰り広げる可能性も高くなってきている。
違法麻薬組織との戦い「ドラッグ戦争」だけでなく、イスラム過激派にも「宣戦布告」したドゥテルテ大統領。
強権政治家ドゥテルテ大統領の人気は、麻薬やテロに対する国民の不満の裏返しでもある。