1945年8月、日本は史上初めて、そして今のところ唯一の被爆国になった。アメリカが投下した原子爆弾は広島市と長崎市を一瞬で焼け野原に変え、20万以上の命を奪った。あれから72年、いまだ核兵器の脅威は地球上から消え去っていない。
原爆を生き抜いた被爆者たちが高齢化する中、世界は何を思い、未来へと進むのだろうか。広島と長崎の被爆者を写した作品「1945」では、ニューヨーク市在住のフォトグラファー阪口悠さんが、彼らの肖像を撮影。それとともに、戦争を知らない世代へのメッセージを書いてもらった。それらを一部、紹介する。
田中 安次郎さん

「人にやさしく 自分にやさしく」
75歳。長崎市、爆心地から1.2キロで被爆。
松本 シゲ子さん

「世界の人々が平和でありますように。」
77歳。長崎市、800メートル。
八木 道子さん

「人間らしく生き、命を全うして、人間らしく死んでいくことができる平和な社会を切に望みます。」
78歳。長崎市、3.3キロ。
鳥越 不二夫さん

「命って不思議な宝」
86歳。広島市、2キロ。
尾畑 正勝さん

「(よく)をすててお互いに助けあって行けば戦争などはしなくても生きていけるのではと思っていますので、此後は皆様と此の様な考えで、私は行きたいと思います。」
99歳。長崎市、1.5キロ。
荒川 クミ子さん

92歳。長崎市、2.9キロ。
李 鐘根さん

「私のような被爆者を二度と世に送り出してはならない」
89歳。広島市、2.2キロ。
山脇 佳朗さん

「私たち被爆者が生きている間に、この世界から、核兵器を廃絶するのは難しいと思っています。どうか、若いみなさんが力を合わせ、核兵器廃絶を実現してください。」
83歳。長崎市、2.2キロ。
寺川 光人さん

「原爆のない国々であってほしい。」
88歳。広島市、1.8キロ。
岡田 恵美子さん

「凍死した幼児の口の中に小石がありました。」
80歳。広島市、2.8キロ。
諏訪 了我さん

「相手が自分と違うことに腹を立てるのではなく、その違いを受容して、お互いの生命の尊厳性を大切にする心を大事にしたいものです。」
84歳。広島市、入市被爆者。
道下 孝人さん

「青年の皆さん核廃絶を真剣に発信して下さい!」
78歳。長崎市、4.7キロ。
三田村 静子さん

「毎日大切に生きて 平和な今に感謝すること」
75歳。長崎市、5キロ。
川崎 宏明さん

「未だ見ぬ子孫のためにも 核兵器廃絶は喫緊の課題です。」
79歳。広島市、1.3キロ。
東 千代子さん

「『世界の平和』は、一人ひとりの『心の平和』から生まれます。」
63歳。長崎市、証人。
松尾 幸子さん

「平和が一番」
83歳。長崎市、1.3キロ。
黒板 美由紀さん

「母は92才です。20才で被爆し、両親、姉妹3名を一瞬で失いました。未だに自ら原爆の話は語ろうとはしません。」
66歳。長崎市、被爆二世。
黒板 秀基さん(右)黒板 希遥さん(左)

「長崎に来られた方には原爆の惨禍を伝えていって欲しいと思います。」
37歳と5歳。長崎市、被爆三世と四世。
川本 昭人さん

「広島市平和公園でお会いでき、人の生き方について考える事が出来ました。」
90歳。広島市、入市被爆者。