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「胃ろうから醤油を入れる」の衝撃

食べることと生きることの狭間で納得できる答えを探して

仙台市内の閑静な住宅街。少し高台にあるその家からは、晴れた日には仙台湾を望むことができます。庭には花々が咲き乱れ、小鳥のさえずりが聞こえます。

訪問すると、一人の高齢男性が介護用のベッドに横になっています。介護者である奥さんも男性と同じくらいの歳で、明るい笑顔で迎えてくれました。

「いまね、胃ろうから栄養剤を入れ終わったところなのよ。最後にね、コレを入れるの」

茶色い液体を見せてくれました。「お醤油なの」と奥さん。

その男性が毎日胃ろうから注入していた栄養剤は、ナトリウムの含有量が少ないため、長期間その栄養剤だけを使っていると、「低ナトリウム血症」になることがあります。それを防ぐために「ナトリウム」を、つまり塩(塩化ナトリウム)を多く含む液体である「醤油」を胃ろうから注入していたのです。

その様子を見て、思わず私はこうつぶやきました。

「なんてもったいないことを!」

患者さんの「食べたい」と家族の「食べさせたい」を叶えるには

なぜ私が、「もったいない」と感じたのかわかりますでしょうか。

塩分を取るなら、最高のだし汁で作ったお吸い物でもいいのです。焼肉のたれだっていいのです。「食べること」を諦めていた人にとって、たとえ一滴のしょうゆであったとしても、舌で感じる「美味しい」の刺激は、どれほど幸せにしてくれるものでしょうか。

私が来たからには、少しでも美味しいものを味わってもらって、男性の「食べたい」という願いとご家族の「食べさせてあげたい」という気持ちを満たそうと決意しました。

私は、「在宅医療専門の在宅訪問管理栄養士」という仕事をしています。仙台市内を駆け巡り、在宅療養をしている患者さんの家を訪問しています。

管理栄養士は、栄養バランスの良い食事の献立を考えたり、生活習慣病などの食事療法を指導する仕事です。また、なんらかの「食べることの障害」がある方に対し、食事の工夫についてアドバイスを行うこともあります。

その男性は脳梗塞の後遺症で半身まひや嚥下障害(飲み込みの障害)、言語障害などがありました。数年前に胃ろうを造設し、栄養摂取のほとんどを胃ろうから注入する栄養剤に頼っていました。

しかし、「口から食べたい」というご本人の強い希望により、ゼリーやアイスクリームを少量召し上がっていました。その「少量の経口摂取」の可能性を広げるために、訪問栄養指導を行うことになったのです。

最終的に、この男性は「塩分」だけでなく大好きな「妻の手料理」を味わうことができるようになり、「食べる幸せ」を得ることができました。

胃ろうから醤油を入れるのでは足りないことがある

栄養剤に不足する栄養素が「ナトリウム」であり、それを胃ろうから入れるということは医学的に理にかなっています。

しかし、そこには患者の「食べたい」「飲みたい」に応えようという発想がありません。在宅医療における「食の支援」が不十分であることを感じずにはいられない出来事でした。

「栄養素レベル」では満たされるかもしれませんが、食べることで幸せを感じ、「生活の質」を高めることができるのに、その男性に関わっていた医療介護者が、「胃ろうから醤油を入れる」という状況に対して、なんの疑問もアイデアも持たずにいたことも、とてもショックでした。

通常、人は1日に約1.5リットルもの唾液を飲み込んでいます。もし、飲み込みの障害があったとしても、毎日分泌される唾液をむせずに飲み込んでいるのなら、口から食べる希望があると私は思います。

そして、その「飲み込みの障害」を正しく評価されないまま、食べたい気持ちを「封印」している患者さんがどれほどいるのでしょうか。

「ペースト食」が原因で体重が10kg減少

別のある高齢男性は、肺炎を発症し仙台市内の病院に入院しました。入院中に提供された病院給食は「ペースト状の食事」だったといいます。

もともと飲み込みの障害はほとんどなく、入院する直前までは普通の食事を食べていた男性は、元の料理がわからない「ペースト状の食事」にすっかり食欲が低下して、病院給食にほとんど手を付けませんでした。 

通常、飲み込みの障害が疑われる場合は、「飲み込みの検査」をすることがほとんどですが、男性によるとそのような検査は行われないまま、ペースト食が提供されていました。最終的に体重が約10㎏も減少し、退院時には立ち上がれなくなってしまったのです。

退院後、栄養状態の改善を目的に栄養指導の依頼があり、私が訪問することになりました。すると、男性はジュースを一度もむせることなくゴクゴクと飲んでいたのです。私は、この男性に飲み込みの障害はほとんどないのではないかと疑い、専門医による検査を受けることを提案しました。

口の中も使わないと衰える

体重が急激に減少すると、口の中も痩せてしまいます。そうすると当然入れ歯も合わなくなってしまいます。

この男性も例外ではなく、合わなくなった入れ歯を外していました。そうすると、肉や魚などのたんぱく源となる食べ物を口の中ですりつぶすことができず、おかゆやパンなどの柔らかいものばかりを食べるようになってしまいます。

その結果、さらに栄養状態が低下してしまいます。体が衰弱する前には、このような「口腔機能の衰弱(オーラルフレイル)」があることが近年問題になっています。

その後、訪問歯科医師による「入れ歯の調整」を行い、しっかり咀嚼できるようになってから、飲み込む機能を評価できる専門医の診察を受けたところ、「柔らかい料理であれば、咀嚼が必要な食事でもしっかりと飲み込めます」と評価されたのです。

そして、食事は元通りになり、男性の食欲も戻りました。私は、2週間に1度訪問し、十分な栄養量を確保するため栄養補助食品や男性が好きなアイスクリームの摂取量について具体的なアドバイスを行いました。

その結果、3か月で5㎏も体重が増加。立ち上がるのがやっとだったのに、ゆっくりと歩けるようになるまで回復したのです。やがて家族と一緒に外食を楽しむほどに。

「一緒にいきつけの蕎麦屋に行きませんか」と誘われ、仙台市内の老舗そば屋を訪れました。ナメコおろしそばを美味しそうに食べる男性を見て、出会ったころの衰弱した状態が嘘のようでした。

ご家族は「あの状態から、こんなに元気になるとは思いもよりませんでした」と話していました。入院中は、医師から「食べられなければあとは枯れるだけです」とまで言われたそうです。ご家族はこの言葉に深く傷つき、父親が回復するのはあきらめかけていたそうですが、まさに「復活」したと言えます。

ペースト食でも美味しい食事を作ることは可能です。しかし、どうしても受け入れられない方もいるでしょう。

そんな時、「どうすれば再びふつうの食事を食べることができるのか」と一緒に悩み、具体的な手を打ってくれる専門職が近くにいるかどうかで、運命が変わってしまうかもしれません。

「胃ろう」に対して偏見を持っていませんか

脳梗塞の後遺症などで飲み込みの機能が低下し、口から十分な栄養が摂れない場合、以下の二つの方法があります。

  • 胃ろうや腸ろうなどの「経腸栄養法」
  • 点滴などで血管の中に栄養を入れる「経静脈栄養法」


消化管である「腸」の機能に問題が無い場合には、より生理的であり免疫機能の向上が期待できる、「腸を使う栄養補給」が勧められています。

しかし、胃ろうが必要になったときに「胃ろうだけはやめてください」と訴える一方、「栄養のある点滴はしてください」という方がいます。「栄養をとる」という目的は同じなのに、なぜか「胃ろう」が悪者なのです。

胃ろうは、おなかに穴をあけて、そこから胃に栄養剤を注入するという栄養法であり、栄養を摂るための手段のひとつです。しかし、世間の「胃ろう」に対する拒否感が強いことに疑問を感じます。

私が訪問している患者さんの中には、たとえ口から食べることはできなくても、胃ろうから十分な栄養を入れて、人生を楽しんでいる方が何人もいます。「胃ろう」を善悪で考えるのではなく、「使うか」「使わないか」をその時に置かれた状況の中で冷静に考える必要があるのではないでしょうか。

その上で、胃ろうを選択してもしなくても、「口から食べたい」と願う人には、最大限の「口から食べるサポート」を。さらに胃ろうを選択した方には、「胃ろうなんてつけなければよかった」と後悔することのないよう、心と体のケアが必要だと思います。

管につながれて生きているのは価値が無いのか

胃ろうから栄養を入れていることについて、「ただ管につながれて生かされているだけ」という言葉を、しばしば家族や介護者から聞くことがあります。その言葉の裏には「管につながれた命は生きていても仕方がない」という考え方があるのではないでしょうか。

私の尊敬する詩人の岩崎航さんは、そんな考え方に対し、詩の中で「貧しい発想を押し付けないで」と訴えました。

貧しい発想


管をつけてまで

寝たきりになってまで


そこまでして生きていても

しかたがないだろ?


という貧しい発想を押しつけるのは

やめてくれないか


管をつけると

寝たきりになると


生きているのがすまないような

世の中こそが


重い病に罹っている

『点滴ポール 生き抜くという旗印』(岩崎航、ナナロク社)より


仙台市内で暮らしている岩崎さんは、筋ジストロフィーという難病を抱えながら、人工呼吸器と胃ろうからの栄養で暮らしています。彼が紡ぎだす言葉は、多くの人々に生きる勇気を与えています。


一時的に胃ろうを造設し、十分な栄養を確保しながら「食べるための訓練」を行って、胃ろうからの栄養が不要になる方もいます。

逆に訓練を行っても、十分な栄養を口からとることができない方もいます。

どうしても口から食べたい方には、気管と食道を分離して「誤嚥(気管に唾液や食べ物が流入すること)」を防止する手術法もあります。

人生に必要なのは「食べること」だけではない

しかし、人生を楽しむために必要なのは「食べること」だけではありません。

もしも、自分や家族に「食べることの障害」が生じた時はどうするのか。

「胃ろうだけは嫌だ」と拒絶反応をする前に、家族とじっくりと話し合ってみてはいかがでしょうか。そうやって身近な人と話し合うことで、「生きること」や「食べること」を見つめ直してみるのも有意義なことだと思います。

私も両親に「もし〇〇になったらどうする?」と酷な質問をすることがあり、〇〇には「末期のがん」や「重度の認知症」「交通事故」などさまざまな言葉を入れて考えることができます。

すると、「延命はしないで」という答えが返ってきます。

それでは「延命」とはどういう行為なのでしょうか。正直なところ、私も両親も明確な定義がわからないのです。どこまでが「救命」でどこからが「延命」なのでしょうか。

また、健康な時に「救命と延命の線引き」をしていたとしても、その時になってみないと本当の気持ちは分かりません。「延命だ」と思って胃ろうを造ったとしても、時間が経って振り返ってみると気持ちが変わっていることもあります。

「胃ろうを選択したことを後悔したこともあった。でも、今は生きていてよかったと思う」とおっしゃっていた患者さんもいました。

在宅医療を受けている患者さんやそのご家族も、「食べることと生きること」の狭間で常に悩み揺れ動いています。

時に「食べること」の主語が患者さんではなくご家族の訴えになっていることもあり、注意していないとご本人の気持ちが取り残されてしまうこともあります。

その狭間の中で、ご本人もご家族も納得できる答えを探していくプロセスに意味があるのではないかと思います。

【塩野崎淳子(しおのざき・じゅんこ)】在宅訪問管理栄養士

2001年、女子栄養大学実践栄養学部卒業後、総菜大手企業に就職。埼玉県の長期療養型病院、仙台市内の精神科長期療養側病院での勤務を経て、2008年から訪問看護ステーションの居宅介護支援専門員(ケアマネジャー)としてケアプランを作成し、訪問医療に関わる。2015年、「むらた日帰り外科手術WOCクリニック」内に「訪問栄養サポートセンター仙台」を作り、在宅訪問栄養指導や在宅褥瘡(床ずれ)チームの一員として活動している。

管理栄養士、介護支援専門員、日本栄養士会認定在宅訪問管理栄養士。日本在宅栄養管理学会宮城県支部長。日本褥瘡学会・在宅ケア推進協会理事。