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世界初 市役所と組んだ「卵子凍結」プロジェクトはどうなったか?

3年間の試みの結果、見えてきた課題は?

皆さんは「卵子凍結」とは何かご存じですか?

様々な理由から今すぐ妊娠するのが難しい女性から将来の妊娠の可能性を残すために卵子を採取して、受精させずに凍結保存しておく技術のことです。

不妊治療を専門とする産婦人科医の私は、千葉県浦安市と連携して、世界でも初の取り組みとなる3年間の「浦安卵子凍結」プロジェクトに挑みました。今年度いっぱいで終了しようとしています。

女性の社会進出が進む中、若いうちに出産するのが難しい女性は増えており、不妊治療も増えました。「卵子の老化」や「卵子提供」など、様々な言葉や新しい技術に、女性たちは翻弄されています。

決して肯定的な意見ばかりではない中、私たちがどのような目的でこのプロジェクトを行い、どのような結果となったのか。その中から見えてきた課題を、読者の皆様と考えてみたいと思います。

少子化と不妊治療の問題点

日本の少子高齢化の大きな原因の一つは、第二次ベビーブームで誕生した団塊世代ジュニアが、産み控えてしまったことだと考えられています。人口のピークであるその人たちが子供を産んでいれば、少子高齢化やそれに伴う人口減少は起こらなかったかもしれません。

出産に踏み切れなかった理由は様々であると思われますが、その人たちは現在すでに40代半ばであり、生物学的な妊娠できる力は低下している年齢なのです。加齢による妊娠能力の低下は、ほぼ最終手段である生殖補助医療技術(体外受精)を用いても改善は困難です。

体外受精とは、卵子を体外に取り出し、精子と人工的に受精させて、ある程度、細胞分裂が進んだ後に子宮の中に戻す方法です。

日本産科婦人科学会の2015年の統計では、年間42万4000件の体外受精が行われているのですが、その40%以上が治療後出産に至る確率が1割を下回る40歳以上とされています。確率が低くなる大きな理由の一つが、卵子の老化です。

自費診療であるため、高額な医療費をかけて治療を何度も行っている方々がたくさんいらっしゃいます。そして、その方々がもし、もっと早く治療を行なっていれば、成功率は高かったのかもしれないのです。

がん患者さんのために始まった卵子凍結

さて、ここで「リプロダクティブ・ヘルス&ライツ」という言葉を紹介しましょう。「性と生殖に関する健康・権利」と訳されます。男女問わず人々が安全で満ち足りた性生活を営むことができ、生殖能力を持ち、子どもを持つか持たないか、いつ持つか、何人持つかを自由に決める権利があることを意味しています。

この権利は様々な理由で阻まれます。

例えば、がん患者さんが抗がん剤治療を受ける場合、その種類や量によっては、副作用により精巣や卵巣にダメージを受け、不妊となってしまうことがあります。そこで、がん患者さんの将来の妊娠の可能性を残せるように、精子や卵子などを抗がん剤治療前に凍結保存しておく医療技術が生まれました。

この背景には、抗がん剤などの進歩による、がん治療の目覚ましい成績向上があるでしょう。がん患者の方々が、治療により一命はとりとめたものの、不妊となってしまうことは、「リプロダクティブ・ヘルス&ライツ」から考えても大きな問題と受け止められるようになってきたのです。

この「がん・生殖医療」が注目されるようになったのは、2013年に米国生殖医学会(ASRM)が以下のようなガイドラインを発表したことがきっかけでした。それは、「がん治療により妊娠能力が失われるのを回避するためには、治療前に卵子や卵巣の凍結保存についてのカウンセリングを行うべき」という内容でした。

これを受け、国内でも日本生殖医学会が2013年秋に、「未授精卵子および、卵巣組織の凍結・保存に関するガイドライン」を発表しました。日本産科婦人科学会も、2014年春に「医学的適応による未受精卵子および卵巣組織の採取・凍結・保存に関する見解」を発表しています。2017年7月に発表された日本癌治療学会の「小児思春期、若年がん患者の妊孕性温存に関するガイドライン」も同様な内容となっています。

ところが間もなく、この技術は、がん患者のみならず一般の女性に適用できるのではないかという議論が生まれてきました。がんでなくても加齢による妊娠能力の低下に備えられるのではないか、という考えが生まれたのは、自然な流れだったのかもしれません。

海外のビジネス誌では女性が自身のキャリアアップにかかる時間による卵子の老化に備えるために卵子凍結をしよう、という内容の記事が話題を呼びました。米国ではFacebookとアップル社が希望する社員に対し、卵子凍結保存に会社の保険を適用することを発表するなど、海外で一時ブームとなりました。

ただし、この方法の有効性については、米国生殖医学会、ヨーロッパ不妊学会ともに、その効果を判断するには今後さらなるデータの蓄積が必要である、とされています。現状でははっきりとした結論は出ていないようです。

浦安市内での卵子凍結保存研究の開始

浦安市は市長肝入りの政策により、少子化対策に多額の予算を投入していました。

「できることはなんでもやる」という考えのもと、病児保育まで可能な託児所設立や、市内での婚活パーティー、理由を問わない一時預かり保育、さらには、東京ディズニーリゾート関連のホテルを利用した「産後ケア」事業など多岐にわたります。

私が順天堂大学医学部附属浦安病院(以下浦安病院)に赴任することとなった理由のひとつは、市の要望に応えることでした。つまり、浦安病院に生殖補助治療を専門に行う「リプロダクションセンター」を設立し、市からの研究費で市との共同研究を行う、という要望です。

当時、私はがん患者に対する生殖医療を積極的に行っており、特に若年・小児のがん患者さんの卵巣組織凍結については、国内でも先駆けて開始していました。

私は、研究費をがん患者さんの卵子・卵巣凍結保存のためにあて、患者さんの負担が軽減できないか、と考えました。「がんの生殖医療」も全額自費となるため、患者さんに高額な費用を負担させてしまうからです。

ただ、市税が投入されるのであれば、基本的には浦安市内の方にしか還元できないでしょうし、浦安市内でこの技術を必要とするがん患者さんは多くないかもしれません。それであれば、「市民を対象にその理由は問わず、卵子凍結保存を行ってみてはどうか」という提案に至ったのでした。

がんの方はもちろん、キャリアを優先する健康な女性の希望も含め、対象年齢と期間を限定してあくまで研究として行ってみよう、という考え方です。

市長は、少子化について、海外で卵子提供を受けて出産した野田聖子議員にもお話を聞いており、年齢による妊娠率低下についても知識を持っていました。大学病院と市との共同研究としての卵子凍結研究を行うという提案は市長の心にも響いたようです。

メディア報道のされ方と社会の反応

浦安市議会でこのプロジェクトの予算が議論され始めると、メディアが堰を切ったように報道し始めました。どういう形であれ市がお金を出し健康女性の卵子凍結を行うということ自体、世界的にも例がなく、大きな話題となるのは必至だったのだとは思います。

しかしながら、その内容があまりセンセーショナルだったためか、正しく報道されたかどうかは疑問です。

日本産科婦人科学会は当時、このプロジェクトとは関係なく、がん患者以外の卵子凍結保存について「推奨しない」というコメントを発表予定だったようなのですが、その直前に浦安での卵巣凍結保存に関するニュースが流れました。

結果として、我々のプロジェクトに学会が否定的である、と報道されることになってしまいました。マスコミとしても対立的な構図として面白く取り上げたのかもしれません。

その後、ドイツ、ロシア、イギリス、タイなど全世界からの取材を受けることになりました。驚いたのは、日本での報道と異なり、海外メディアはさほど否定的な感じで報道するようなことはなかったことです。

おそらく、卵子凍結などの話題は日本よりも先行していたからだと思いますが、それよりむしろ、「行政がお金を出すのはやり過ぎかもしれないが、そもそも卵子凍結を否定することもおかしいのではないか?」という捉え方でした。

学会からは、「行政は産みやすい環境を整えることの方をやるべきだろう」とも意見されました。これについては、既に子育てしやすくするために様々な取り組みを行っていた浦安市だったからこそ反論できました。

ある講演の際には、生命倫理学の先生から、「がんについての卵子凍結保存はぜひ進めてほしいが、卵子老化については何歳でも産めることとなるため、問題である」と指摘されたこともありました。

私は、「がん患者さんでも凍結した卵子を使用する時期を限定しなければ健康な女性の卵子凍結と同じことになるため、凍結保存が問題ではなく、それを使用する時期を制限するべきでしょう。そのような考え方に立つのであれば、40歳を超えて体外受精を行っている現在の不妊治療自体も問題ではないですか?」と反論しました。

思い返せば、賛否両論様々ありましたが、やはり否定的な意見が多かったようにも思います。ただ、我々の情報が正確に伝わっていなかったことも要因だったのかもしれません。

プロジェクトスタート 卵子を凍結保存した女性たち

さて、実際の研究内容ですが、まず、市内で月に1回、妊娠能力について理解してもらうセミナーを行っています。2018年3月までの予定ですが、その内容は、がんの生殖医療、卵子の老化、体外受精の実際とその成績、そして卵子凍結保存についての説明となります。

重要なのは、卵子凍結保存をしても、それによって子供が生まれる確率は必ずしも高くなく(2〜3割程度)、決して推奨はしていないことです。

そして、そのセミナーを受けた方の中から34歳までの方に限定し、確率が高くなくても将来の保険として凍結保存を行う希望者を募りました。

2015年4月から2018年1月までにそのセミナーに参加された方は98人で、対象者は57人でした。ご夫婦やカップル、母娘での参加もあったため対象者は参加人数より少なくなっています。

途中経過ですが、2018年1月現在までに採卵までに至った方は対象者の約半数となる29人です。

採卵を希望しなかった方々の理由は、「確率が高くないため希望しない」または、「早めの妊娠をトライすることが重要と考える」などであり、セミナー受講後に自然に妊娠された方もいらっしゃいました。

ただ、「仕事が忙しいため、採卵のために通院することが難しい」との理由で断念された方が参加者の4分の1ほどいらっしゃったのも事実です。

通常の体外受精でも問題となっているのですが、産婦人科通院を周囲にカミングアウトすることも抵抗があると思われ、月経周期に合わせて仕事を休んで通院することも、周囲の理解が得られなければ難しいのだと思われます。

卵子凍結した理由は何か

さて、29人の採卵理由は以下の3つに大別されます。

一つは、「がんではない卵巣機能低下の危惧・健康不安」です。ターナー症候群など先天的な卵巣機能不全、子宮内膜症による後天的な卵巣機能低下などがこれに含まれます。

二つ目の理由が、いわゆる「社会的な問題」となります。専門職などでキャリアアップに時間がかかるという理由や、海外留学中で留学先の国では卵子凍結について広く行われていることを知り、一時帰国中に採卵を行いたい、という方、そして現時点ではパートナーがいないためという理由がありました。

さらには、体外受精を行っている上司や先輩から勧められた、など様々です。ただ、この方々の中には、将来的な計画をしっかり立てている方も多く、何歳で凍結卵子を使って妊娠をトライするかのビジョンがはっきりしている方もいらっしゃいました。

そして最後の三つ目の理由ですが、「パートナーの問題」です。結婚されている方々を含め、現在の収入や長期の海外赴任などを理由に、夫やパートナーの希望として採卵を行うという方々です。ご本人の問題ではなく、相手のために凍結保存を行うという理由は理解されづらいかもしれません。

しかしながら、夫の病気などもこの中には含まれており、その背景はかなり複雑な印象でした。

参加者の方々からは、「費用的な問題もあるため、浦安のプロジェクトに参加できてよかった」「このような方法があることをもっと広く知ってほしい」「卵巣の機能が低下していると主治医に言われたが、どうすればわからずこの方法を知り助かった」などの声が寄せられました。

どのような理由であれ、卵子凍結をしたことでその成功率は高くないにせよ、将来の不安の解消に役立ったとの声をいただきました。実際の効果についてはこの後、その卵子を用いての妊娠・出産が重要となりますが、しばらく先のこととなるでしょう。いつかまた、そのご報告をさせていただきたいと思います。

さいごに 産みやすい社会とは?

日本における性教育は決して十分とは言えません。残念ながら、自身の身体に関することでも、無頓着な方も多いのではないでしょうか。

文部科学省は、高校1年生に妊娠能力の限界なども記した副読本を配布するようになりました。今後、社会全体に知識が広まっていくことが期待されます。

しかしながら、他人任せではなく、皆が正しい知識を持った上で権利を主張していかなければ社会を変えることはできません。

これまでは妊娠能力の限界についての知識の乏しさが、不妊治療に対する過度な期待や働きながら子育てできる環境整備の遅れを招いたのかもしれません。しかし、声を上げていかなければ今後も状況は変わってはいかないのです。

仕事や家庭における男女差別が大きい日本の「産みにくさ」を是正していくために、「女性は仕事より子育てを優先すべき」「母親の方が子育てを担うべき」とされがちな、日本社会のこれまでの常識を疑うことも必要です。

科学技術の進歩は社会を変えてきましたが、それらの技術を使用するためには正確な知識が必要ですし、その技術が万能でないことも知る必要があります。

卵子凍結という技術も、決して将来の妊娠・出産を約束するものではないのですが、我々のプロジェクトにおいて、それでもその技術に期待する女性たちにはそれ相応の背景があることがわかりました。

個々が妊娠の可能性が高いうちに産みたいと思えば産める社会が理想ではあると思います。しかしながら、妊娠能力には個人差があり、病気などでさらに低下する可能性もあります。

将来、子供を持ちたいと考えるならば、若いうちからライフプランとして妊娠・出産の時期をあらかじめ考えておくことも重要となります。

ただ、学生にとって「性」についての情報は、ともすればタブー視されることもあるかもしれません。社会的な仕組みは急には変わらないでしょう。だからこそ、これを機に子を持つ方も、そうでない方も、これから考える方も、ご自身のこととして「産みやすい社会」とは何か、一度考えてみていただきたいと思うのです。

【菊地 盤(きくち・いわほ)】順天堂大学浦安病院 リプロダクションセンター長

1968年、高知県生まれ。1994年、順天堂大学医学部卒。同大学順天堂医院産婦人科准教授、同大学順天堂東京江東高齢者医療センター産婦人科先任准教授、同大浦安病院産婦人科先任准教授を経て、2015年7月から現職。日本産科婦人科学会専門医。日本生殖医学会生殖医療専門医。がん生殖医学会理事。