澤田智洋さん、職業はコピーライター。年齢・性別・運動神経に関わらず、だれもが楽しめる「ゆるスポーツ」を生み出し、広めた人物です。
そんな澤田さん、20代の頃はバリバリ働く広告マンでした。
たった1つのアイデアを生み出すために残業を重ね、何度も徹夜してテレビCMを作り……仕事の仕方がガラリと変わったきっかけは、全盲の息子が生まれたこと。
障害児をどう育てていけばいいのか? 途方に暮れ、これまでの価値観は一気に崩れたと言います。迷いながらたどりついた考え方が「マイノリティデザイン」でした。
すべての「弱さ」は、社会の「伸びしろ」。あなたの持つマイノリティ性=「苦手」や「できないこと」や「コンプレックス」や「障害」は、克服しなければならないものではなく、生かせるものだ。そう伝えたくて、僕はこの本を書きました。
「弱さを認めよう」と口で言うのは簡単ですが、その言葉を実行するにはどうすればいいんだろう?
あの時、絶望から立ち直るまでに考えたこと、いま目指していること。
僕がいくら美しいCMをつくったとしても、視覚障害のある息子には見ることができない
――書籍『マイノリティデザイン』の中で、息子さんの目が先天的に見えないと知った時のショックは強烈な体験として書かれています。当時どんなことを感じたか改めて聞いていいですか。
時は流れて、僕ら夫婦に1人の息子が生まれました。(略)3か月ほど経った頃、息子の目が見えないことがわかりました。
終わった、と思った。
見えない子って、どうやって育てたらいいんだろう。恋愛ってするのかな。幸せなんだろうか。その日から、仕事が手につかなくなりました。
生まれてからしばらくは目が見えないことがわからなくて、普通に育てていたんです。親といまいち目が合わないな、カメラを向けても全然そっちの方を見ないな、と少し気になり始めたのが3ヵ月くらいの頃でした。
目が充血して赤くなったことがあって、妻が近所の眼科に連れていったら「これはちょっとうちでは手に負えない」「大きい病院で診てもらってください」と言われて。
「おそらく、一生目が見えません」と宣告された時は、率直にショック……いや、絶望でした。
――「終わった、と思った。」はかなり強い言葉ですよね。
本当にそんな感じでしたね。生まれる前に心構えができていたらまた違ったかもしれませんが、前触れなく突然だったんですよね。「この子は障害児なんだ」という現実が一気に降り掛かってきて。
映画に例えると1時間半くらい平和に過ごしていたのに、突然あらゆるモンスターが襲ってきた! という感じでした。
――「これまでそんなストーリーじゃなかった!」という。
いろんな人のお話を聞いていると、普通に生活していた人が、突如がんを宣告されるのに近いのかなと思います。
自分の周囲のがんサバイバーたちは、病気が発覚して早い段階で著名人の闘病記や、一般の方の闘病ブログを読んで、自分と近い境遇の人を拠りどころにすることが多いようなんですね。
でも、目が見えない子どもを持った親のことって、その当時はググってもほとんど出てこなかったんです。
僕にも妻にも視覚障害者――どころか障害者の知人もほとんどいなかったので、今後の子育ての道標がないというか、目の前が真っ暗でした。無人島に漂着したみたいな心細さでした。
僕がいくら美しいCMをつくったとしても、視覚障害のある息子には見ることができないということ。「パパどんなしごとしてるの?」と聞かれたときに、説明できない仕事をやるのはどうなのか。僕がやっている仕事なんて、まったく意味がないんじゃないか。
障害当事者を尋ね歩く日々で変わったこと
――目が見えない息子さんとの向き合い方を探すために、広告マンとしての仕事をセーブして、障害当事者を訪ね歩く日々が始まります。
少しでもヒントが欲しかったんですよね。息子をこれから育てていく上で、何を考えたらいいのか全然わからなかったから。
視覚障害者だけでなく、身体障害の人、精神障害の人――数ヶ月かけて、200人以上と会いました。(「笑っていいとも!」の)「テレフォンショッキング」みたいに会った人にどんどん紹介してもらって。
――旅の中で、澤田さんの意識は変わりましたか?
まったく変わりました。価値観が変わった……どころかほぼ刷新されましたね。
障害者とは、幸せとは、仕事とは。人生観がまるごと書き換わったような感じでした。
思えば、それまでの自分の中の「障害者」のイメージって24時間テレビくらいしかなかったなぁって。
例えば、ある視覚障害者の方には「生まれた時から目が見えない状態が当たり前だから、『かわいそう』って言われてもピンとこない」と言われたんですよね。
「澤田くんはさ、鳥に『君は翼がなくてかわいそう』って言われたらどう思う? いや、この体で生きてきたしなぁ、って思わない?」って。
――自分の常識と比べて「かわいそう」というレッテルを勝手に貼っていた。
そう。当たり前なんですけど、話してみると皆さん“普通”なんですよ。会話の中でジョークを混ぜてくるし、笑ったり泣いたり悩んだりする。
……僕、最初は「障害者って、ジョーク言うんだ!」って思っちゃったんですよ。今思うとめちゃくちゃ失礼ですけど。働いている人も恋愛している人も結婚している人もいて、“健常者”と同じくらいキャラはそれぞれなわけです。当たり前ですよね。
直接会うことで、自分がとんでもない偏見を持って生きていたことに何度も気付かされました。偏見を持っていることにすら気づいていなかったというのが一番の恐ろしさですけどね。
――日本ブラインドサッカー協会(視覚障害者サッカー)の松崎英吾さんに息子さんのことを話したらにっこりされた、という話がすごく好きでした。
「目が見えない息子がいて…」と話し出すと、たいていの人が一瞬絶句するんですよね。何を言ったらいいのかな、という気まずい空気になる。
でも、松崎さんはニヤッとして「そうですか〜!」って笑ってくれたんですよね。後から聞いたら、「未来の選手候補が!」と思ってうれしかったんですって。息子を哀れむのではなく、必要としている人がいる。そう実感できたのはとても心強かったです。
10%の「あなた」に向けて
多くの障害当事者と時間を過ごす中で気づいたもうひとつ大きなことは、血の通った生々しい悩みや課題がまだまだたくさんあるんだってことでした。
服とか、車とか、食器とか、生活のいろいろな場所で具体的な「こういうのあればいいのにな」「こうだったらいいのにな」がある。
これまで会社の同僚たちで飲み会に行く時、お店選びってそんなに悩んでこなかった。でも、車椅子の友人と出かける時は事前にお店に電話して「段差ありますか」とか「盲導犬と入店できますか」とかいちいち確認する必要があります。
で、かなりの確率でいろいろ理由をつけて断られるんですよ。「入るのは大丈夫なんですけど、お店が狭いので避けてもらった方が……」みたいな。大丈夫なのか、大丈夫じゃないのかどっち!? っていう(笑)
自分と同じような人間――つまり健常者とばかり過ごしていて見過ごしていたものがこんなにあったんだ! という衝撃ですよね。「これはもしかしたら、自分のやってきた仕事と結び付けられるかもしれない」と思いました。
いま、日本で障害者手帳を持っている人は約930万人、グレーゾーンの人も含めると人口の約10%、1300〜1500万人程度いると言われています。
それってかなり大きな市場ですよね。でも、彼らに向けて商品開発しようって話を僕は聞いたことがなかった。
――確かに、10%と言われると無視できない割合に感じます。
そうなんです。僕は広告会社の社員として大手企業の商品会社やマーケティングに関わってきましたけど、特に日系企業は「結局、消費者は何を求めているんだろう?」ってことにずっと悩んでいる印象があります。
ある程度満たされてしまった社会で、本当に必要なものを作るのって難しい。それって、想定している「顧客」があまりにも狭かったんじゃないか? と考え始めました。
多くの障害当事者と関わる中で、マイノリティっていうのは「目がいい」人たちなんだと気づいたんです。
世界が解像度高く見えていて、その視点自体にものすごく価値がある。単純に話を聞いていて発見が多いし、なるほど!って思う。「この目を持っているの、いいなぁ」って心の底から尊敬したんですよね。
そういう発見を経て、彼ら彼女らと仕事をしたいという思いがどんどん強まっていきました。
マイノリティを起点に、世界をよりよい場所にする。「マイノリティデザイン」というちょっと仰々しい言葉が、僕の人生のコンセプトになっていきました。
「そもそも、人間の体が3種類に分けられるわけないよ」
――書籍でも紹介されているユナイテッド・アローズとの「041(オールフォーワン)」プロジェクトは、まさに「企業の力で、目の前の人のニーズに応える」取り組みですよね。
これも友人の一言がきっかけですね。
彼はダウン症で、低身長でややぽっちゃりした体型なんですけど、既存のSMLのサイズではどれも合わないんですよ。「そもそも、人間の体が3種類に分けられるわけないよ」って言われて、それもそうだよなって。
――「車椅子に巻き込まないスカートが欲しい」と訴える女性、「口周りの筋力が弱くてどうしてもよだれがたれてしまう」と悩む8歳の女の子。それぞれの問題解決につながるまでが「かわいそうなだれかの役に立つから」ではなく「クリエイターとしても燃える、面白い」という点がすごくいいと思いました。
そうそう、そうなんですよね。一方通行の「やってあげる」ではなく、お互いがお互いのために意見やアイデアを出し合うフラットな関係。
ステレオタイプな「ペルソナ」を勝手に作るんじゃなく、目の前のだれかに向き合うことで、新しい課題がたくさん見えてくるんです。
たった一人のために作ったアイテムが、結果的に障害のあるなしに関わらず「カッコいいから」「機能性が高いから」という理由で広く受け入れられたのもとてもうれしかったです。
きっとこういう発明が生まれる現場が、マイノリティデザインの考え方を生かせるもっとあるはずだ、と思った大きなきっかけでした。
白杖を持った息子と初めて歩いた日のこと
――この本の推薦文として、佐渡島庸平さん(コルク代表)が「澤田さんには、目の見えない息子がいる。僕はそれを、うらやましいとさえ思った」という言葉を寄せています。言いたいことはわかる気もしつつ、澤田さんが今の道に至るまでにはたくさんの葛藤や苦労もあったはずで、「うらやましい」と言うのも正直ちょっと申し訳ない気もしたのですが……。
これは前段があって、佐渡島さんが漫画家やクリエイターの卵たちを見ている時、なんとなくこれまで幸せに育ってきた人は、いざ深い絶望や悲しみ、喜怒哀楽の深い感情を描こうと思っても描ききれない、そこに大きな壁がある――というエピソードから出てきた言葉なんですよね。
「その点、澤田さんはすっごく苦労しているからいいですね」って。
――とはいえ「自分にはそんな劇的な経験ないし」「澤田さんだからできたことでしょ」と言われるのも本意ではないわけですよね。
それはもちろん。特別な経験がなくても、自分の「弱さ」に向き合うことってすごく大事で。僕もまだまだ変化している途中だと思っています。
全盲の人は、みなさんもご存知の通り、白杖(はくじょう)という白い杖を持って歩きます。息子が初めて使ったのは5〜6歳なので、今から3年くらい前でしょうか。
最初に白杖を持った息子と一緒に街を歩いた時、ちょっとだけ恥ずかしかったんですよ。この子、目が見えないんだ、って外からまるわかりじゃないですか。「この親子かわいそう、とか思われていたら嫌だな」って。
――まだ世間の目が気になってしまった。
そうです。偏見や差別意識はまだ自分の中にあったんですよね。
でも最近はその気持ち、まったくないんですよね。むしろうらやましいでしょ!ってみんなに自慢したいくらい。
なぜかというと、彼は僕には見えない世界が“見えている”んですよね。世界の美しさ、面白さにまったく違う視点から気づいている。彼の存在を象徴する白杖というアイテムが今はすごく誇らしいんですよ。
なので、外から「うらやましい」と言ってもらえることは、自分もそれくらい変わったんだなってうれしいんですよね。実際、「澤田さん楽しそうですね」って言われることがこの数年ですごく増えて、その度に、よし! ってなっています(笑)
もちろん今後僕たち家族に、予期せぬ試練は待っていると思います。でも、「視覚障害者の親ってかわいそう」の偏見を少しでも取り払うことになったらいいなと思います。
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