9月14日、60代女性向けのファッション誌『素敵なあの人』(宝島社)が創刊しました。
同世代をターゲットにした健康情報誌などはありますが、明確に60代向けをうたう「ファッション誌」は、意外なことに同誌が業界で初めて。
人生100年時代とも言われる今、60代の女性たちのライフスタイルは従来の「シニア」「おばあちゃん」のイメージとはずいぶん変わっています。
休日には子どもや孫と連れ立って出かけ、友達と海外旅行に行き、プチプラファッションにも挑戦する――まだまだ元気でアクティブで、そしてファッションにも興味津々です。
「やっと私たちのための雑誌が出てきた」「ほしかった雑誌にようやく出会えました!」
これは、読者アンケートにしたためられた熱のこもった感想の一部。
今、彼女たちはどんな思いで「私たちのための雑誌」を読み込んでいるのでしょう? この雑誌に込めるメッセージ、変えていきたい社会の価値観――編集長の神下敬子さんに聞きました。
ファッション誌とともに育ってきた世代
素敵なグレーヘアが印象的な結城アンナさんの写真。マットで上質感のある表紙をめくると、そこに踊るのはこんな見出しです。
「60代から、もう一度おしゃれを楽しもう!」「この秋ほしいのは、ナイロンバッグ&ショートブーツ」「秋からはじめる、本気の美白」
トレンドのファッションについて、スキンケアやメイクについて、そして読者が登場する私服紹介やスナップ。通常のファッション誌よりは少し大きめの字で、びっしりと情報が詰まっています。
60代の女性たちと雑誌の関係について、神下さんはこう話します。
「今60代の女性たちは、若い頃にちょうどananやnon-noなどが生まれた時代(注:それぞれ70年、71年に創刊)。つまり、ファッション誌とともに育ってきた世代なんです」
「教科書のようにファッション誌を読んで学んできたのに、60代になった途端、自分たちの世代に向けた雑誌がなくなった。突然放り出されて困っている……そう感じている人も多いようです」
第1弾は3日で重版、5万部の大ヒット
以前はムック局にいた神下さん。ムック本は、インターネットをあまり使わず、雑誌や書籍で情報を得る世代から特に支持が高く、当時からこの世代の購買欲の高さは感じていたと言います。
インテリア関連のムックを作った時、50〜60代の女性たちに出会ったことが転機になったそうです。
「ちょうど自分が40代になって、年をとってしまったこと、これからさらに老けていくことに少し落ち込んでいた頃でした。でも、年上の彼女たちがすごく素敵で。いくつになってもその世代の素敵さがあるんだ、じゃあそれを見せられる本を作りたい、と思ったんです」
2017年12月、『素敵なあの人』の前身となる『素敵なあの人の大人服』第1号を創刊。3日で重版が決まり、5万部を突破する異例の大ヒットとなりました。
「驚くような売れ行き、予想以上の反響でした。手応えはありましたが、ここまでとは」
「感想や質問がとにかく電話! で新鮮でした(笑)。若い人はネットで調べますもんね。編集部の電話が鳴りっぱなしで、『この服どこで買えるの?』なんて質問から『このページで塗っているマニキュアが知りたい』など細かい質問まで……。こんなに読み込んでもらっているんだ、と実感がわきました」
反響を見ながら、美容やライフスタイルも含む総合的なファッション誌に変更し、季刊でこれまで6冊を刊行。従来から「60代女性誌をいずれは創刊したい」と考えていた同社にとっても大きな弾みとなり、満を持して、いよいよ9月に月刊化となりました。
「着やせ」に「着回し」…女性の悩みは変わらない
これまで人気のあった特集を神下さんに聞くと、即答で「着やせ、ですね」。
着やせ! なんだか、少し意外な単語です。
「年を重ねると、基礎代謝が落ち、体型の悩みが出てきます。どうしたら痩せてみえるかは共通の関心事ですから、とても人気です」
なるほど。若い世代と理由は異なりますが、悩みは共通なんですね。
もうひとつ、反響が大きかったのが「着回し」。
デパートで買うよそ行き感のあるお出かけ着ではなく、日常的に着る服をもっとおしゃれに楽しみたい、小物やアクセサリーをうまく使いたいというニーズが高いようです。
「特に人気なのが旅の着回し。子育てが終わり、教育費がかからなくなったこの世代は、時間とお金に余裕があるのが特徴。旅行は大きな関心事です」
「荷物を減らしつつ、疲れず快適に過ごすために具体的なティップスをまとめたページはかなり喜ばれました」
「お茶会」でリアルな声をヒアリング
神下さんが誌面を作る上で大切にしているのが、60代女性たちの生の声を徹底的に聞くこと。友達数人に集まってもらい、楽しくお茶をしながら、広くファッションや生活の悩みを聞く「お茶会」を不定期に開催しています。
時には、道行く人、カフェで居合わせた人にその場で声をかけ、お茶会や読者モデルに誘うことも。
「この世代はインスタで簡単に探せないので、足が勝負です。自分で探さないと出会えない」
「肌が乾燥するようになってきたのでチクチクするのは嫌!」「最優先は素材感のよさ」「どんなに素敵でも、肩まわりがきつくて動きにくい、重いなど、着にくいものは買わない」「ハイヒールはもう履かなくなっちゃった」――リアルな声を集め、誌面に反映しています。
「年を取っても欧米セレブのおばあちゃんのようにハイヒールをカッコよく履きたいな、なんて若いうちは夢見るじゃないですか。でも、とってもおしゃれな服を着ている皆さんに聞いても『それは無理、健康と心地よさ第一!』って一蹴されるんです(笑)。これがリアルですよね」
「『カッコいいおばあちゃん』という幻想やステレオタイプを押し付けず、大多数の普通の人が現実的に楽しめるおしゃれを提案していきたいなと思っています」
グレーヘアという決断
加齢の受け入れ方として、グレーヘアとの付き合い方も丁寧に特集。
「グレーヘアが美しい人の『きれい』の秘密」(冬号)では、グレーヘアを選択した人がそう決めた理由、ヘアケアやアレンジのコツ、ファッションとの合わせ方について紹介しました。
「いつから染めるのをやめるのか、は多くの人に共通する悩みです。グレーヘアにすることで、淡い色が似合いやすくなり、おしゃれの幅が広がる人も。うまく自分のものにできれば若い頃にできないおしゃれが楽しめるようになるんです」
「少し前までは白髪っておばあちゃんの象徴でしたが、今は素敵なグレーヘアはむしろ憧れの的。諦めではなく、ひとつの選択肢として前向きに捉えられる情報をたくさん提供したい」
「私の70代の母は、この雑誌を読んで『グレーヘアにする』と言い出し、染めるのをやめたんです。『おばあさんっぽく見えないように』と服装も華やかにカジュアルになって、初めてピアスを開けて、赤いマニキュアを塗って……。どんな年になってもその時の素敵なおしゃれは楽しめるんだって、勇気が出ました」
年を重ねることを恐れない社会に
部数に大きく変動はないものの、号を重ねるごとに読者アンケートハガキの戻り率が上がっているという。熱心なファンが増えている証拠だ。小さな文字でびっちりと、そして切実に書き込まれているものも多い。
「今まで半分も読めなかった雑誌が多かったけど、これは何度も読んでいます。人生諦めかけていた時になんとなく買ったこの本に感謝です。神様におまけの人生をいただいたような気分です」
「大きな病気をして入院していたのですが、この本を読んでまたおしゃれをして出かけたいと思いました」
おしゃれは、人を元気にする。勇気づける。前に進ませる。
60代は一般的に「定年後の年金暮らし」と思われがちなのか、ファッションや美容の分野ではなかなか市場と認識されていないという。
それは、提供する側が素敵な人たちがそこにいることを知らないからでは?
長寿の今、彼女たちは「終わった世代」ではなく「これからの世代」だ。お金と時間を自分のために使う喜びと楽しさを知っている。
雑誌を通して市場自体を開拓し、新しい価値観を作っていきたい。神下さんにはそんな思いがあるという。
「日本ではまだ若さに価値を置く傾向がありますが、成熟した女性は本当に素敵なんです! 取材をしていても『60代からこそ楽しまないと、人生まだまだあるんだから』『更年期抜けて元気になったこれからよ』とこちらが励まされることばかり」
「年上の憧れの女性、こうなりたいと思える存在が身近に増えたら、人生の後輩である私たちにとっても幸せなことだと思うんです。大人の女性たちをもっとハッピーにしたい。年を重ねることが怖くなくなる人が、もっと増えたらいいな」