実直なホテルマンと、奔放な書家。三浦しをんの新作書き下ろし長編『墨のゆらめき』は2人の男性の出会いから始まる物語だ。
都内の老舗ホテルで働く続力(つづき・ちから)は、披露宴やパーティーの招待状の宛名を書く「筆耕士」の仕事を頼もうと書家の遠田薫(とおだ・かおる)のもとを訪ねる。事務的なやりとりだけで終わるはずが、なぜか遠田の副業「手紙の代筆」を手伝うはめに……。
代筆の依頼に答えていくバディものであり、正反対の2人の友情物語であり、謎の書家の正体に迫っていく謎解き要素もありーーそんな楽しさと読み応えがあるエンタメ小説になっている。
この作品は、Amazonのオーディオブックサービス「Audible」との共同企画で生まれたもの。2022年11月から朗読版が先行配信されており、先んじて読んだ(聴いた)読者からも高い評価を得ている。
三浦さんの男性2人のバディものは久しぶり。自他ともに認める本の虫である三浦さんが「聴く」小説を「書く」うえで気を付けたことは?
文字の世界を「声」でどう伝えられるだろう?
――『墨のゆらめき』はオーディオブック版が先行配信された作品です。どのような経緯で執筆されたのでしょうか?
新潮社さんから「AmazonのAudibleと共同でこういう企画があるんですけど書き下ろしでどうですか?」と依頼があったのが最初です。
――新潮社からは、川上未映子さんも同じオーディオファーストの形で『春のこわいもの』を発表されていますよね。
はい……実は私も依頼自体は川上さんと同じタイミングでいただいておりまして。
――あれ、でも川上さんのは結構前だったような……?(2021年の夏にAudible版配信開始)
川上さんは依頼された締め切りをきちんと守られて、計画通りに進み……。要するに、私が締め切りを派手に破ったせいです! すみません!
――(笑)。朗読版が先に、という企画自体はどう思われましたか?
率直に「面白そうだな」と思いました。これまでドラマCDなどの形で自分が書いた小説を朗読していただく機会はありましたが、声になることが前提だとどうなるんだろう? どんなことを書けるだろう? と興味を抱きました。
耳で聴くならではの面白さがある題材がいいかなと思って、「文字」というテーマはわりに早く思いつきましたね。
一般的には目で認識するものとされている文字を、声を通してどういう風に伝えられるだろう? と。
書の世界をこれまでと違う感覚で味わえそうですし、例えば、目が見えない人も朗読を通して「文字や書ってこういう感じなのかな」と脳内で自由にイメージしていただけたらいいな、なんて考えていました。
――普段の執筆と比べて、書き方で工夫したことはありますか?
ひとつは、一人称にしたことですね。ある人を中心に、見たものや感じたこと、頭の中で考えていることをずっと喋っていくような形のほうが聴きやすいだろうと思ってそうしました。
あとは会話文を多めに。せっかく声を吹き込んでいただけるなら、キャラクターたちがいきいきしゃべっていたほうが魅力的かなと。構成もあまり複雑にしすぎず、とにかく楽しく聴いていただけるようにと書き進めました。
『まほろ駅前』シリーズ以来?の男性バディ
――まさに今回はバディもので会話が楽しいですよね。主人公の続力はホテルマン、相棒となる遠田薫は書家で、2人で「手紙の代筆業」を請け負うことになります。男性2人の主人公はかなり久しぶりではないでしょうか?
そうですね、『まほろ駅前多田便利軒』シリーズ以来かも……?
これは企画をいただいた時のご要望として最初にあったんですよね。詳しい言い回しは忘れてしまったんですけど、男性2人のコンビもの、バディものみたいな感じをご希望なのかなと私は解釈しました。
――そう言われると、ドタバタ感はちょっと『まほろ〜』を感じるかも。2人とも独特の職業ですがここはどう決めたのでしょう?
文字の話だから書家にしようとはシンプルにまず決まりまして、じゃあ書家と付き合いがある人って一体誰なんだ……? って。
――書家、未知の仕事すぎます。
ですよね。私もちょっとわからないなぁと思いつつ、そういえばいいホテルの招待状の宛名ってすごくきれいな字で来るけど、あれはたしか「筆耕士」という専門の人がいるんだよな? と思いついて。ホテルマンだったら、筆耕士や書家と接点があるかも、と。
ホテルで働いている人なら多分シフト制の勤務だと思いますし、シフトが空いている時に急に呼び出されても、なんだかんだ遠田の家に行ってくれるんじゃないかなと思ったんです。
――おっしゃる通り、続はかなり遠田に振り回されることになりますが……。古いお家で書道教室をやっている、というシチュエーションも素敵ですよね。
子どもたちが集まったり、もらった高いお肉ですき焼きをしたり。ワイワイやっている感じとか、緑の多いお庭に差してくる光の加減とか、そういうものを書きたいなと考えて少しずつイメージを広げていきました。
――三浦さんの小説はお仕事描写も魅力的ですが、今回は何か調べたり取材したりされましたか?
いや、今回はあんまりしていません。だから、実際にホテルで働かれている方が読んだら「こんな呑気な仕事じゃない!」って思われるかもしれないです。
書家については、書き上げたあとにツテを辿って監修していただきました。書家としてどうしても許容できないぐらい、実際に即していない表現があったら教えてください、と。あと紙のサイズとかもよくわからなかったから聞きました。
――確かに、「A4」とかは使わなそうです。
そうです、そういうところを。「紙の種類や大きさって、これで合ってるのか……?」とか、専門用語を中心にチェックしていただきました。
細部のリアリティを追求しすぎてしまうより、ドリームな部分を残した方がこのお話のトーンには合うかなと思ったので。
――代筆業という仕事もいい感じにドリームですよね。
今もないわけじゃない、らしいですけどね。そもそも手紙自体そんなに出さないですし、代筆のお仕事ってロマンティックですよね。
「パンダをご存じですよね」櫻井孝宏の朗読に爆笑
――私は「地球外生命体・パンダ」の手紙の朗読が大好きで、巻き戻してもう1回聴きました。
〈タッくん
急にこんな手紙を受け取ったら、タッくんはすごく驚いてしまうだろうなと思ったんだけど、私はこの世界の大きなからくりに気づいてしまい、もはや一刻の猶予もない、早くみんなに真実を知らせなきゃと思って、タッくんに一番にお伝えする次第です。
パンダをご存じですよね。白黒でもふもふした、多くの人が大好きなあの動物。(後略)〉
私もあそこ大好き! 櫻井孝宏さんの声の演技が最高なんですよねぇ、収録中に爆笑しちゃいました。「チカ(遠田が続を呼ぶ時の愛称)がおかしくなった!」感がめっちゃ出ていて。
――本当に! バカバカしさと鬼気迫る本気のバランスが絶妙で……三浦さんファンの皆さん、ぜひここは朗読で聴いてほしいです!(特設サイトに別の箇所の試し聴きあり)
朗読の収録はリモートで全部立ち会わせていただいたのですが、なかでもここは印象的でしたね。
櫻井さんご自身がとっても上手な方なので、チカと遠田の声色の使い分けも全編とても楽しいのですが、この一連の「手紙」は書いた甲斐がありました。
――自分の書いたものがそのまま読まれるのはどんな感覚でした?
なんか不思議な感じ。自分が書いたものと別物のラジオドラマみたいに楽しみました。展開を知っているはずなのに「次どうなるんだろう」ってなっていましたね。
ただ、本編は純粋に楽しめたんですけど、最後の謝辞や参考文献まできっちり読んでくださるんですよ。ここで急に恥ずかしくなりました。
――なんでですか!?
小説は別の世界の出来事ですけど、謝辞は完全に私が主語じゃないですか。私の声が櫻井さんに!? ってなんかすごい照れちゃった(笑)。
――三浦しをん(CV:櫻井孝宏)ってことですね。
そうです、そうです。「本書執筆に際し……」ってあのいい声で言われると脳が混乱しました。
――謝辞が一番恥ずかしい、新鮮な感想で面白いです(笑)。
👉インタビュー後編はこちら:「どうせBLでしょ」あの時、バカにされた怒りは忘れない。オタク直木賞作家の深い深いBL愛