11月22日(日)、午後9時からのNHKスペシャルの枠で73分のドラマが放送される。Nスペの枠でドラマをまるまる放送するのは異例のことだ。
タイトルは「こもりびと」。テーマは、この数年で深刻な社会問題として表面化しつつある「中高年のひきこもり」だ。
10年以上に渡ってひきこもり生活を続ける主人公を松山ケンイチが、がんで余命宣告を受け、最後に息子と向き合おうとする父を武田鉄矢が演じる。
こもっている人、子を守る人。タイトルは、親子それぞれの立場からこの問題を考えたいというダブルミーニングだ。
今回のドラマは、長年に渡って現場を取材してきたドキュメンタリー班の膨大な取材をもとに作られている。
翌週、29日の同じ時間にはNスペで同じテーマのドキュメンタリーが放送される予定だ。NHKが持つ取材力、制作力を目一杯生かした新たな“共作”の形となった。
現在進行系のシリアスな社会問題を、フィクションでも伝えようと思ったのはなぜか? ドラマとドキュメンタリー、それぞれの制作統括に聞いた。
「中高年のひきこもり、61万人」の衝撃
ドラマを束ねる清水拓哉プロデューサーは「真田丸」「いだてん」など大河ドラマを手掛けてきた人物だ。
対する松本卓臣プロデューサーは、「未解決事件 ロッキード事件」「大アマゾン 最後の秘境」など社会派ドキュメンタリーを多数送り出してきた。
2人とも局内で知られた存在だが、部署がまったく異なるため、一緒に仕事をする機会はこれまでほとんどなかったと言う。
全国の「ひきこもり」総数は100万人超。うち、60万人以上が40〜64歳の「中高年」だと推計される――2019年3月の内閣府の発表は大きな衝撃を持って世に受け止められた。
松本さんはこう振り返る。
「報道の現場に長くいる人間としても、全体の6割が中高年という結果はかなり衝撃でした」
「これまでも、例えば貧困や介護に関する取材をしている時に、老老介護をする高齢者のご自宅の奥の部屋にどうも息子さんがいる……? と気づくような場面にはありました」
「もちろんその年代のひきこもりの人が一定数存在していることは想像していたが、推計とはいえ、これだけの数だとは思っていなかった。現実を突きつけられたのは、この時が初めてだったと思います」
その直後、6月に農林水産省の元事務次官(76歳)がひきこもり状態の息子(44歳)を刺殺する事件が起き、中高年のひきこもり問題があらためて注目を集めた。
「犯罪者予備軍」「暴力に訴える手に負えないモンスター」と扇情的に扱う報道も少なくなかったことに松本さんは疑問を感じた。
「明日は我が身だと思った」切実な反響続々
8月、「クローズアップ現代」で中高年のひきこもりを特集。
親の死後、生活が立ち行かなくなり、栄養失調による衰弱により56歳で亡くなった男性、救えなかった市役所の担当者の無念――この年代のひきこもり生活のほんの少し先にあるのは「死」だ。これからますます顕在化していくであろうシビアな現実を伝えた。
反響は制作陣の予想以上だった。「明日は我が身だと思った」「ひきこもりではないけど職場で生きづらさを感じている。これからどうなるかわからない」「同居している親とうまく話せない」「息子が何を考えているのかわからなくて怖い」……。
当事者の世代だけでなく、若い世代からも切実な声が寄せられた。特設サイトに寄せられたメールなどは1500通を超え、放送後数カ月経っても止むことはなかった。
「ひきこもりは、当事者と親、支援者だけの問題じゃない。もっと広く、社会の生きづらさはどうしたら解消できるのか、これからの働き方はどうあるべきかという問いにつながる問題で、だからこそ多くの人に共鳴してもらえたのだと思いました」
同じ頃、局内で他にもいくつかひきこもりをテーマにした番組が制作されていた。女性のひきこもりを特集したり、ひきこもりながらクリエイターとして活躍している人を紹介したり。
松本さんたちドキュメンタリー班を中心に、さまざまな視点でひきこもりに関して考える局内横断キャンペーンをやろうと昨秋から動き始めた。
ひきこもりは「世捨て人」じゃない
「ドラマにする可能性とかって、ないですかね?」
きっかけは、ドキュメンタリー班のディレクターの言葉だった。
ひきこもりの存在は、多くの場合、家庭内で閉じられている。顔出しで取材に応じてもらえることはほとんどなく、カメラを嫌う人も多い。話だけは聞けてもそのまま映像にするわけにはいかないことばかりだ。
ドラマであれば、取材班が見聞きしてきた要素を余すことなく生かせるのではないかという提案だった。
話を聞いた清水さんは、急ピッチで制作を開始。一連のキャンペーンの中で、ドラマはどんな役割を果たすべきか? を最初に考えた。「まずは注目してもらう、認知してもらうこと。俳優陣はある種ビッグネームを狙いにいきました」。
とはいえ、社会的には重要なテーマであるものの、題材としては地味な企画。キャスティングは難航するかもしれない――。
と思ったのもつかの間、すぐに松山ケンイチさんが熱意を持ってオファーを受けてくれた。「ご自身で熱心に勉強もされていて、意気込みを感じました。役作りを見てもらえれば一目でわかると思います」
武田鉄矢さんは「教師」という世間のイメージを逆に利用した。
尊敬を集める“正しい”存在だからこそ、弱みを人に見せられず、息子にも厳しくあたってしまう。配役の意図を汲み取り、複雑な父の心を表現してくれた。
松山さんは、放送にあたってこんなコメントを寄せている。
〈ひきこもりの特性上関係のない人達が作り上げた像がそのまま認識されているような気がします。切り捨てても良い存在。自分達には関係の無い人種〉
〈ステレオタイプのひきこもりからこの作品を通して少しでもその印象が変化していく事に期待していますし、各々の捨ててしまったもの、 忘れてしまったものを振り返る機会になって頂けたらと思っています〉
清水さんは言う。
「ひきこもりという言葉から、部屋から出ない、暗い部屋で一人きりでこもっているというイメージを持っている人も多いと思うのですが、実際は家の中ではそれなりに自分のペースで暮らしている人も多い。もちろん『普通の生活』とは言えないですし、経済的にも自立していないですが、決して、世捨て人や廃人、狂人ではない」
「彼らは犯罪者予備軍でも、得体のしれないモンスターでもない。自分たちと同じ人間で、ちょっとしたきっかけがあれば誰でもこうなる可能性がある……松山さんがその点に共感して演じてくれたのは心強かったです」
会話のない家族をどう描くか?
脚本に迎えた羽原大介さん(「フラガール」「パッチギ!」「マッサン」など)や、ドラマの演出担当の梶原登城と共にドキュメンタリー班のディレクターと対話し、時にはその取材にも同行し、ストーリーを練り上げていった。
通常、ドラマの脚本は会話主体で進めていくが、現実のひきこもり家庭はほとんど会話が発生しない。家族とすらファックスや置き手紙でやり取りする人も少なくないという。
「会話をしない人たち」のコミュニケーションをどう描くか――ドキュメンタリー班に、当事者親子同士でSNSを使っている事例があると聞いて、ドラマではそれを生かした。
「社会問題を題材にフィクションを作る時は、きちんと勉強して世に問う意義を考える時間がどうしても必要です。ドラマを通して誤解を解くこともできるが、新しいステレオタイプを上書きしてしまう可能性もある」
「その点、ずっとこの問題を追いかけているNスペのディレクターたちの知見を得ながら、常に相談しながら、表裏一体で作り上げていけたのはすごくよかった。こんなやり方もできるんだ、と思いました」(清水さん)
ドキュメンタリー畑で長く活躍してきた松本さんにとっても、ドラマという表現をかけ合わせることは、新鮮かつ可能性を感じたという。
「試写で見て、感動しました。親子の軋轢って誰しも思い当たることですし、現在進行系の社会問題というリアリティがありながら、普遍的なテーマにもなっていると感じました」
ドキュメンタリーでは表現できなかったもの
「現場のディレクターたちからよく聞くけれども、ドキュメンタリーで映像化するのは、すごく難しいと感じてきた要素のひとつが、世代間の価値観のズレです」
「親の世代は、労働はある程度辛くて当たり前、社会で役割を持つべき、努力して頑張れば報われるという成功体験を強く持っている人も多い。一方で、就職氷河期やリーマンショックを経た子どもの世代はそうは思っていない」
「頑張っても親の期待に応えられない負い目、自分が望むように生きられない劣等感を抱える人もいる。違和感はあるけれど、食べさせてもらっている身で強く言えない、誰もわかってくれない――と苦しんでいる人は多いと思います」
「親子双方に話を聞いているディレクターたち共通の実感ではあるのですが、直接衝突するわけではないですし、ドキュメンタリーという枠で映像にするには難しい。ドラマでは、そのあたりの感情の動きを丹念に描いてもらえたのはとてもありがたく感じました」
「8050問題」の先にあるのは…
清水さんは、偶然にも2014年放送のドラマ「サイレント・プア」でも中高年のひきこもりを取り上げたことがあったという。
「あれから数年経っていますが、彼らを取り巻く状況が何も改善していないどころか、親子ともに歳をとってさらに追い込まれていることに愕然としました」
「いわゆる“8050問題”(80代の親が50代の子の生活を支えている状態)は遠くない将来、9060問題に、そしていつか10070問題になっていく。今が最終局面というか、61万人の中で、追い詰められている人の生活や命をどうやって守れるかの瀬戸際ですよね。その切実感を、ドキュメンタリーとは違う形でちゃんと伝えられたらと思っています」