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「ずっと『普通のミスコン』に出られる女の子になりたかった」。ミスiDセミファイナリストにとってのミスコン

今年度のミスiDのセミファイナリストとして活動するミヤジサイカさん。大学ミスコンへの中止の議論が巻き起こる今、ミスコンについて思うことを聞きました。

「できれば『普通のミスコン』に出られるような女の子になりたかった」

そう語ってくれたのは、現在開催中の「ミスiD」でセミファイナリストとして活動するミヤジサイカさんです。

東京大学の大学院で「魔法少女とジェンダー」について研究しつつ、スタートアップ「アイラブユーinc.」のCEOとしてもパワフルに活躍する彼女は、「わたしはずっと『普通』になりたかったから」。こうも口にしていました。

「ミスiD」とは、2012年にスタートした講談社主催のオーディション。「iD」は「アイドル」と「アイデンティティ」、そして「I(自分)」と「Diversity(多様性)」という意味が込められているそう。

公式サイトでは「ルックス重視のミスコンとは異なり、ルックスやジャンルに捉われず、新しい時代をサバイブしていく多様な女の子のロールモデルを発掘するオーディションであり、生きづらい女の子たちの新しい居場所になることを目標とするプロジェクトです」とのコンセプトを掲げており、毎年インターネット上で注目を集めています。

しかし、今年はミスコンを取り巻く状況に変化が訪れました。コロナの影響もある中で、7月に上智大学でのミスコン廃止され、刷新されると発表されました。「女性アナウンサーの登竜門」とも言われる大学ミスコンに関して、廃止すべきかどうかの議論がより活発になりました。

ミスiDも、従来のルックス重視のミスコンとは異なる発展型のオーディションであるとはいえ、出場者の女性たちに順位をつける点においては「普通のミスコン」と変わりません。

そんな中で開催された、今年度のミスiD。サイカさんはどんな思いを持って挑んでいるのでしょうか。

イケてる女の子が「正解」だと思っていた。

「できるなら『普通のミスコン』に出られる女の子になりたかった」

それは、「全部本当のこと言っていいんだよね?」と前置きした後に、サイカさんの口から出た言葉でした。

「昔は、ミスコンに出て女子アナになるような女の子が『正解』だと思ってたから。スクールカースト上位の、そういうイケてる女の子が『良い』と感じて、それがうらやましかったこともあるし、逆にミスiDのことは『イロモノオーディション』だと思っていたこともある」

確かに、ミスiDには「普通のミスコン」の出場者とは一味違うような、個性的な出場者が多数エントリーしています。サイカさんは、ミスiDの出場者のことを「向こう側の人たち」だと思っていた、と話しました。

「ミスiDに出るような、アイドルさんとかアーティストさんとか、そういう自己表現をする人って特別な人しかなっちゃいけないと思ってた。『普通のミスコン』に出られるようなキラキラした女の子だって特別だと感じたし。自分はそのどちらでもないと思ってた」

「標準」からどこまではみ出せるかの勝負へ!

そんなサイカさんがミスiDに出場を決めたのは、大学の友達に背中を押されたことがきっかけだったといいます。

サイカさんが大好きなのは昭和カルチャーと少女カルチャー。大学院で魔法少女の研究を進め、自身のSNSでは「魔女になりたい」と発言するほどです。しかし、高校時代はスクールカーストや周りの目を気にしていたため、それを表に出せるようになったのは大学生になってからでした。

早稲田大学に入学し、趣味の合う友達と「みんながやってる遊びじゃない遊び」ーー昭和のコスプレをして出かけたり、服を作ったりーーをやっていたら、偶然それが大学の友達にバレたそう。

「ミヤジさんってそういうのやってるの?」と言われ、あ、バカにされるのかな?と思いきや、返ってきたのは「めっちゃ良いと思う」という言葉でした。

「人がどれくらい『標準』から外れてるかで僕は人を見るよ」。その言葉がサイカさんの背中を押したのです。

ミスiD「普通の女の子じゃないです」「普通だと思われちゃう」が焦りやアピールになる世界線に震えている。私は幼稚園入ったときからずっと普通になりたかったので。

ミヤジサイカ / Via Twitter: @_saika_mi

「あ、そういう考え方もあるのか!って思って、そっちの軸で勝負してみようかなと思った」という風に考えが変わったとサイカさんは言います。

「ミスiD出てる子ってみんな『普通の女の子だと思われちゃう』とかを気にしてるんだけど、わたしはずっと普通になりたかった。普通になろうとしていつもはみ出してしまう自分がいたんだけど、逆にどこまではみ出せるかっていう勝負の方にハンドルを切り替えてミスiDに出た!」

出場して初めて知ったミスiDの魅力

そんなサイカさんですが、出場してみて初めてミスiDに対する見方が変わったといいます。

これはめちゃめちゃ言いたいことなんですけど!と彼女が語ってくれたのは「ミスiDは出場者を丁寧に扱ってくれるオーディションだ」ということでした。

「人に皆の前で変わったことや自己表現をやらせた挙句、ひどい扱いをされるようなことってあるじゃないですか。自分の恥部を見せた結果、イロモノ的に扱われたり、便利ないじられキャラにされたり」

それを警戒して、最初は東大院生や起業家という「コテコテの肩書き」で勝負しようとしていたサイカさん。しかし、ミスiDが安心できる場だと知って感動した彼女は、徐々に変わっていったそうです。

「審査員の皆様があまりにも安全な場を提供してくれるから、あ、これちょっと踊ってもいいかな?とか、こんな変な服着て行ってみよう!とか、自分が恥ずかしいと思っていたことをどんどんやってみようっていう気持ちになっていって。受ける人のためのオーディションだな、っていうのをすごく感じてる」

サイカさんが語るミスiDの魅力はそこにとどまりません。それは「絶対に誰も笑わない」というところです。

一番光る人を探し当てるためのオーディションには、出場者を蔑ろにするものも少なくありません。かつて「何かが変わるかなと思って」芸能プロダクションのオーディションを受けたことのあるサイカさんは「わざわざ会場まで行って一言だけ喋って、はい、ありがとうございました〜みたいなオーディション」もたくさんあった、と語りました。それは就職活動を経験した筆者にとっても思い当たることです。

しかし、サイカさんによると、ミスiDは「きちんと人と人として出場者と接してくれるオーディション」。それに気づいてからは「普通のミスコン」へのコンプレックスもなくなり、ミスiDに出たことは「良い禊」だったと語ります。

ミスiDの自己アピールに関してはもはや学歴とか起業とか全部ひっくり返して、とりあえず暴れて踊れればどうでも良くなってきた、カメラテストではそんな話しか話せなかったけど、好き放題やるしかないな。

ミヤジサイカ / Via Twitter: @_saika_mi

そして、サイカさんはこうも語りました。

「ミスiDは、人間のことが好きな人がやってるオーディションだと思う。一人一人を尊重してくれる接し方もそうなんだけど、生き方や人生とか、そういうものを見てくれてるっていうか」

ミスiDのファンの多くが「出場者の人としての幅」や「出場者の生き様」というような、ドキュメンタリー的な視点でそれを楽しんでいるといいます。出場者をただのイロモノとして扱うのではなく、その様々な背景や人生を、皆が見ているオーディションだと。

筆者も毎年ミスiDの開催を楽しみにしている一人ですが、出場者の自己表現などをSNSで見て楽しむことが主で、サイカさんの「ミスiD観」は出場者だからこそ気づけたものかもしれません。事実、彼女は出場をきっかけに自分自身の知らなかった自分を出せたのですから。

人の「めんどくささ」と向き合うミスiD

また、ミスiDは「メンヘラ用のオーディション」と揶揄されることも少なくありません。事実、そういったキャラクターを押し出している出場者も多く参加しています。しかし、そこにもミスiDの魅力があるとサイカさんは考えます。

「『落ちたら悲しい、会社に行けない』って甘えとかじゃなくて、大事な価値観だと思う」

「でも今の世の中って、理性と感情だったらあまりに理性ばっかりが中心にされすぎてるから、そこにうまく入り込めない不器用な人たちの行き場がないと思うわけ。そんな人たちでオーディションをするんだから、その人たちのルールに徹底的に合わせようという気概がすごいと思うの」

サイカさんによると、ミスiDは出場者からの「なぜ落ちたのか?」というようなダイレクトメッセージに審査員が返事をしたり、落選に納得のいかない出場者を集めて敗者復活選を開催したり、通常のコンテストではなかなかないようなことも行うことがあるそう。

「めんどくさい部分を隠してちゃんと生きなきゃ、みたいな社会に今なってて、めんどくさい人って嫌われるけど、人ってめんどくさいものじゃないですか。そこに徹底的に付き合うところに感動してます」

魅力的な人が頭を下げなければいけないコンテストはおかしい。

そのような、ミスiDの「普通のミスコン」とは異なる部分に感動し、自分自身も影響を受けたというサイカさん。彼女は今「普通のミスコン」に対してどう考えているのでしょうか。

彼女はミスiDに出場する前から「普通のミスコン」にはおかしい部分があると思っていたと言います。それは「魅力のある人が頭を下げなければいけないコンテストである」ということ。

ルッキズム的な観点のみならず、大学生の出場者たちが票を得るためにSNS上でフォロワーに媚びるような言動を半ば強いられることなどです。ここ数年で社会的に問題にもなっていますが、サイカさんもそれは「社会悪だと思う」とのことでした。

「ミスコン」である必要性はないかも。

そのような問題も実際に起きている「普通のミスコン」ですが、「廃止すべき/すべきでない」の議論から変化も起きているのではないか?とも語ります。サイカさんは、ミスコン自体への関心が薄れてきているのではないかと考えているのです。

「ミスコンじゃない価値観がこんなにもある、こんなにも世界はいろんな人で溢れてて楽しいよねっていうほうに社会が変わってきてるから。それに、今はYouTubeとかで個人が発信できてその人のファンもついて、わざわざミスコンに出なくても…...っていう」

確かに、ミスコンという場でなくても個人が表に出ることができ、かつ多様性の尊重に関心が高まっている現代において、ミスコンの影響力は少なくなっているといえるかもしれません。

「普通のミスコン」は廃止すべき?

では、ルッキズム的な観点において「普通のミスコン」が中止になっていることについてサイカさんはどう考えているのでしょうか?

筆者がそう質問すると、サイカさんは「まとまらないなぁ」と言いながらも考えたことを語ってくれました。

「もしミス早稲田が1人決まったとして、それって本当にミス早稲田なのか?って思う(実際は早稲田大学にミスコンはありません)。早稲田は多様な学生が4万人も集まってて、あれだけのカオスの中で何を軸に選んだミスなんだろうって」

サイカさんが疑問を呈しているのは、多くの大学ミスコンが広告研究会などの学生が主催しているものであるのにもかかわらず、大学の名前を冠しているということに対してでした。

「ミスコン的な定規」がない世界の方が幸せかも…。

ちょっとしたきっかけがあり、中学のロゴ私を菌扱いしてた男の子に「当時傷ついてて今でもコンプレックスなので謝ってもらえますか」ってDMしたら、これ以上ないほど丁寧なお返事が来て、呪いが解けた🔮 おめかししても、恋しても、いつも最後に「自分の立ち位置」がチラつく12年!これにて終了📿🙏

ミヤジサイカ / Via Twitter: @_saika_mi

しかし、その疑問の根底には自分自身のコンプレックスもあるかもしれない。それに、「普通のミスコン」も出場者に多くの機会を与えられるものだし…...。でもルッキズムはナンセンスだと思うので、一概に廃止すべき/すべきでないの結論を出せない。そう語る中でサイカさんは「あ、」と気付いたように言いました。

「『普通のミスコン』をなくすべき、とは言えないけど、ないほうが幸せかもしれない」

スクールカーストをずっとストレスに感じてきたサイカさん。その要素の一つが「女の子に順位がつく」ことでした。好きな人同士で付き合うのではなく、何部の女の子と付き合うかがステータスになる。「CAとの合コン」「〇〇商社との合コン」というような、肩書きの部分が社会に多く存在する。

「自分の好きな人といるためには自分のランクが高くないといけない」という不安をずっと抱えていたサイカさん。

「そもそもミスコンっていう存在があるからこそ評価軸がある気がしていて。いわゆるミスコン的な定規を皆が持ってるから、何番目にかわいいとかで評価されるけど、その前提がなければ人の見た目にかわいい・かわいくないっていうのがない気がして…...」

その源流がミスコンにあるのだとしたら、ミスコンがない世界のほうが幸せかもしれない。そう気付いたといいます。

話してるうちに意外と悪い影響がある気がしてきたな、縛られすぎて気づかなかったけど。そう呟いた後にサイカさんは「ないほうが幸せです!」と答えてくれました。

ミスiDという大好きな居場所を見つけたことで、自分自身の知らない自分になれたサイカさん。彼女が「普通のミスコン」について考えたことは、その居場所を見つけて初めてわかったことなのでしょう。

様々な人がいる世界のおもしろさに目が向けられるようになってきた今、サイカさんの語る「ミスコン的な定規」はわたしたちには必要ないのかもしれません。わたしたちが様々な定規を持つことができたら、魅力のある人が頭を下げるような悲しいことは起きなくなるのではないでしょうか。