カラーフィルムが生まれて82年。いま蘇る1940年代

    「コダクロームは、記憶を当時のままにフルカラーで完全保存する初めてのフィルムでした」

    デジタルカメラや自撮りの時代のずっと前には、コダックのフィルムブランド「コダクローム」が、カラー写真の代名詞だった。モノクロの世界をみずみずしく色鮮やかな世界に変えたこのコダクロームは実質的に、一般の人々が利用できた最初の現代的なカラーフィルムだった。鮮明な色と使いやすさのおかげで、人々が周囲の世界を理解し記憶する方法を永遠に変えたのだ。

    この画期的製品の発売82周年を記念して、BuzzFeed Newsは、コダック社創業者を記念するジョージ・イーストマン博物館の技術コレクション・キュレーターで、『Camera: A History of Photography from Daguerreotype to Digital』(カメラ:ダゲレオタイプからデジタルまでの歴史)の著者であるトッド・グスタフソンに、この驚異的な製品とそのレガシーに関する専門知識を披露してもらった。

    トッド・グスタフソン:コダクロームは本当に驚異的な製品ですが、その理由はたくさんあります。コダクロームという名前にちなんだ州立公園(ユタ州のコダクローム・ベイスン州立公園)があります。長編映画のタイトルにもなりました(2017年のロードムービー映画『コダクローム』)。ポール・サイモンもコダクロームについて歌っています。懐旧の情をかき立てるのでしょう。家族で過ごしたすばらしい休暇の思い出すべてが詰まった製品ですが、非常に高品質な製品でもありました。そういった、休暇を思い出させるところがあるので、この製品はいつも、非常に好意的な感情と共にありました。

    一般的に、写真には実際に、時を止める力があります。白黒写真は、少しわかりにくいところがあり、抽象的です。世界はそんな風にモノクロには見えません。コダクロームは、記憶を当時のままにフルカラーで完全保存する初めてのフィルムでした。

    コダクロームは初めての現代的なカラーフィルムで、あらゆる一般用途に使うことができました。初めての写実的なカラーフィルムです。コダクローム以前のカラー撮影について考えると、基本的に選択肢は限られていました。画像に手作業でただ色を付けるか、「カラースクリーンプロセス(color screen process)」を利用して、モノクロ画像に任意の色を一定のパターンで重ね、カラー写真のようにするくらいでした。

    発売時のコダクロームは、信じられないかもしれませんが、白黒フィルムが複数層重なったもので、それぞれの層が3原色の各色をどう表示すべきかを示していました。現像段階で、色が重ね合わせられて、かなり永続的で正確な色になります。色自体が非常に安定しています。

    1938年以降のコダクロームのスライドを見ると、今でも撮影当時と同じくらいきれいに見えます。

    使い方もかなり簡単でした。基本的には、フィルムを買ってカメラに入れ、写真を撮影後に現像に出すと、カラー写真が戻ってきました。1935年に映画用に、続いて1936年にスチール写真用に初めて導入された時には、郵送用容器が付いていました。コダックだけの製品だったので、基本的には、コダック特約店でフィルムを購入し、撮影が済んだら特約店がフィルムを引き取りました。撮影済みのフィルムは、現像のためにニューヨーク州ロチェスターに発送されました。このプロセスが理由で、1950年代には、これが基本的には独占状態にあたるという同意判決が下されました。そのため、米国では最終的に、他の様々な競合店に現像プロセスを委ねなければならなくなりました。

    写真は、2インチ(約5センチ)四方の台紙(マウント)に挟まれたポジフィルムとして戻ってきました。見るときは、ポケットサイズの背面照光式ビューアーを使いました(当時は、今よりかなり大きいポケットだったのです)。ライトテーブルや、背後に光源があるものを用いることもできました。けれどもほとんどの人は、家庭でのスライド上映会でコダクロームのスライドを見ました。家族が居間に集まり、折りたたみ式スクリーンにスライドプロジェクターで1度に1枚ずつスライドを投影したのです。

    コダクロームが成功したのは、他のあらゆるものと同じく、もっぱらタイミングが良かったからです。コダクロームが発売された1930年代には、米国はまだ大恐慌の真っ最中で、その後に世界大戦が勃発しました。そして第二次世界大戦後、米国の経済状況は一変し、人々は新しい車の購入や休暇、旅行を熱望しました。それまでできなかったことをしたかったのです。

    コダクロームはにわかに、米国人たちがマイカーに持ち込み、国内旅行して写真を撮影するきっかけになりました。やがて、様々な国立公園にコダック・ブランドの場所が出現しました。ディズニーランドでさえも、公式な「コダックの写真撮影スポット」に指定されました。コダクロームが、こうしたことすべての原動力となったのです。

    コダックは2009年にコダクロームの製造を中止し、業界は2010年にコダクロームの現像処理をやめました。コダクロームの終焉にデジタル写真がどれぐらい関係したかはわかりませんが、売上高はその数年前から減少していました。

    文化が変わったことも影響しました。人々は、子ども全員を居間に集めて写真を見るのではなく、写真をもっと個人的に見たがるようになりました。午後6時に家族全員で夕食を食べる習慣と、ある程度似ていますね。人々はもう、そうしたことをしなくなったのです。コダクロームを家族と見るためには、ブラインドを降ろしていろいろ準備しないといけませんでした。それに、語り手がうまく見せる必要がありました! スライドショーでは語り手がとても大切です。語り手が見せ方を心得ていて、楽しませ続ければ、良い上映会になるのです。

    コダクロームが復活するかもしれないという報道が最近ありました。しかし現実には、現代の安全基準に従うように設計し直さなければならないなど、このプロジェクトを実現するのは困難なことが明らかになりつつあります。不可能とは言いませんが、実現の可能性はきわめて低いでしょう。カラーフィルムは、これまでに製造された中で最も複雑な消費者向け製品ですから。

    アマゾンにアクセスして調べれば、いちばん売れているカメラが空色の「FUJIFILM instax」だとわかるでしょう。理由はわかりませんが、アナログ写真に新たな関心が寄せられていると思います。フィルム自体が愛されているためというより、実体のある物を手に持ちたいからでしょう。目新しいだけかもしれません。

    それでも、6万人のユーザーをコダクロームに回帰させて、コダックの10台のフィルム製造機すべてをを再稼働させることは難しいだろうと思います(10台のうち9台は最近、破壊されました)。

    この記事は英語から翻訳されました。翻訳:矢倉美登里/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan