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遠い国の悲劇じゃない 日本で私たちとともに暮らす難民たちの素顔

日本にたどり着くまでの、たくさんのストーリー。

普段何気なく歩く駅。ホームですれ違う人は、実は難民かもしれない——。

日本に逃げてきた28人の難民のポートレート写真展「Portraits of Refugees in Japan—難民はここにいます。」が、6月20日から1週間、東京メトロ表参道駅で開かれる。

展示される写真の一部を紹介する。

ジュディさんと娘(シリア)

2012年来日。罪のない子どもが殺される光景を目の当たりにして、アサド政権に対抗するデモに参加。地元の有力者だったため、影響力があると政府から狙われ、出国を決意。弟が逃れたイギリスに行くつもりがブローカーに騙され、たどり着いたのが日本。妻ファルハと子どもを残して逃れてくる。

ファルハさんと息子(シリア)

夫ジュディが日本に逃れた時は、息子を妊娠中。その後、ISの台頭により故郷を離れ、娘とともにイラクの難民キャンプへ身を寄せる。日本は安心できる国だが、子どもたちの行く末が心配。子どもたちは「警察」や「軍隊」という言葉を耳にすると、小さな肩をビクッとさせる。

マッサンバさん(コンゴ民主共和国)

2008年来日。母国では中学校の教師。政府の腐敗を批判したことから弾圧を受け、身を守るために出国を決意。日本に来た理由は、大使館でその日に入国ビザが取れたから。来日後、すぐに難民申請の手続きを行ったが不認定となり、裁判を経て7年越しで認定を得る。

タンスィウさん(ミャンマー)

大学で地理学を教えていた1988年、軍事政権に対抗する民主化運動に参加。仲間が皆逮捕され、身の危険を感じて出国する。数年で帰国するつもりが、来日して27年。現在は高田馬場でレストランを経営。家族は妻と日本で生まれた娘、息子。東日本大震災の時は仲間を集め、東北で炊き出しを行った。

カビールさんと娘さん(バングラデシュ)

2005年来日。元ジャーナリスト。母国ではびこるテロと汚職について記事を書き、過激派グループと政府から命を狙われるようになり、出国を決意。知人がいるドイツを目指したが、ビザが取れず、入手できた日本へ。難民認定を得るまでに4年、家族を呼び寄せるまでにさらに4年を費やした。今年の春から娘は高校1年生。

ジョフラさん(バングラデシュ)

夫カビールが不在の8年9カ月、周りの助けを得てなんとか生活した。一番の苦労は子どもたち3人の教育。時々、夫と国際電話で話し、相談しながら子育てに励んだ。成人した長男と長女は、家族呼び寄せの対象にならず、一緒に日本へ行けたのは次女だけ。家族全員が再び共に暮らすことは叶わない。現在は就職を目指して日本語を学習中。

ケーシーさん(ネパール)

ネパール王政派の有力家系出身。母国では伝統舞踏界で活躍。王政打倒を目指す毛派の迫害を受け、すねの傷跡はその時の証拠。舞踏公演するビザを得て、2011年来日。一度は難民不認定とされ、認定まで4年半かかった。木材加工会社で働く傍ら、夜はネパール食材店を経営。互助団体を設立し、週末は清掃ボランティアをしている。身の危険を感じることなく、暮らして来られた日本への恩返しがしたいという。

ホセさん(イラン)

2012年来日。政治や宗教に関わる発言で、政府から度々厳しい尋問を受ける。トルコに逃れ、欧州経由で日本にたどり着く。現在は工具商社の営業担当として国外企業との商談を担う。実家の家業である絨毯販売で欧州を回った経験があり、母語のペルシャ語をはじめ英語、フランス語など7つの言語をあやつる。

法務省によると、2015年には7586人が難民認定を申請した。しかし、認定されたのは27人。

写真家・宮本直孝さんとともに、今回のイベントを主催をしている難民支援協会の広報担当は、難民認定が政府からなかなか出ていない状況を人々に理解してもらうきっかけを作りたかった、とBuzzFeed Newsに語る。

「日々多くの人が通る東京の表参道で、難民が身近なところにもいることを、まず認知してもらいたい」

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