ノーベル賞作家カズオ・イシグロさん 実はロックスターを夢見ていた"修行"時代

    「フィクションを書いていても、自分の一部はまだソングライターなんだと思う」

    10月5日、イギリスの日系人作家カズオ・イシグロさん(62)がノーベル文学賞に選ばれたことが発表された。

    受賞理由についてスウェーデン・アカデミーのサラ・デニウス事務局長はこう語っている。

    「偉大な感情の力をもつ小説たちで、私たちの世界とのつながりが不確かなものでしかないという、深淵を明らかにした」

    BREAKING NEWS The 2017 #NobelPrize in Literature is awarded to the English author Kazuo Ishiguro

    イシグロさんは1982年、ロンドンに暮らす日本人女性の回想を描いた「遠い山なみの光(A Pale View of Hills)」で作家デビューし、イギリスの王立協会の文学賞を受賞した。

    長編小説「わたしを離さないで(Never Let Me Go)」やブッカー賞受賞の小説「日の名残り(The Remains of the Day)」が代表作として知られている。

    8作品の小説・短編集を執筆し、40以上の言語に翻訳されている。ほかにも、映画やテレビ番組の脚本も手がけている。

    カズオ・イシグロさんのどの作品にも共通しているのは、一人一人がもつ記憶や感情との葛藤だ。

    そんな彼が綴る作品の基盤となっていたのは、幼少期、そしてロックスターを目指しボブ・ディランに憧れていた少年時代だった。

    文学に興味を持ち始めたきっかけは「シャーロック・ホームズ」

    1954年に長崎で生まれたカズオ・イシグロさん。

    1960年、5歳の時に海洋学者の父がイギリスの政府に招かれたのをきっかけに、家族でギルフォードに渡英した。

    当初は2、3年の一時的な滞在を予定していたが、家族はイギリスに住むことを選んだ。

    「歳をとるにつれて、私があの段階で日本を離れたのが、複雑な意味でも決定的な出来事だったことが見え始めるようになった」とフィナンシャル・タイムズとのインタビューで説明している。

    決して読書家ではなかったイシグロさんが、文学に興味を持ち始めたきっかけは9歳の頃。

    母が日本語で読み聞かせてくれたことがある、アーサー・コナン・ドイル作のシャーロック・ホームズシリーズだった。

    地元の図書館で発見し、本の世界に入り込みすぎていたあまりに、シャーロック・ホームズやワトソンを授業中に真似していたとニューヨーク・タイムズとのインタビューで振り返っている。

    ロックスターを夢見ていた"修行"時代

    「必ずしも(執筆)をやりたかったわけではなかった」

    こうフィナンシャルタイムズに明かしたイシグロさんが10代の頃目指していたのは、作家ではなくロックスターだった。

    ジャズギターを弾く彼が「ヒーロー」として讃えているのは、なんと2016年に同じくノーベル文学賞を受賞したボブ・ディラン。

    新曲が出ると直ちに購入するほどの大ファンで、ディランっぽい小曲を作っていたという。

    ソーシャルワーカーの仕事を休職して大学院で創作を学んだときも、音楽の夢を抱いていた。

    シンガー・ソングライターと自称していたイシグロさん。ガーディアンとのインタビューで当時を振り返っている。

    「自分をなんらかのミュージシャンタイプだと見ていた。しかし、これは全然自分じゃない、それほど魅力的じゃない、とあるときを境に思うようになった。肘あてのついたジャケットを着るような人だったんだ」

    ソングライター、ましてや小説家として成功することはないと考えていたという。

    しかし、出版社は彼の才能に注目し、大学院で書いていた作品の続きを終えるようにアドバイスをした。

    これが、イシグロさんが作家活動を始めるきっかけとなった。

    また、ミュージシャンになろうとしていた時期は、「修行だった」という。

    「フィクションを書いていても、自分の一部はまだソングライターなんだと思う」

    「幼いころに書いていた曲と、その後書くようになった物語が大きく重なっているのがわかる」と話すイシグロさん。彼の"スタイル"として知られる一人称視点や行間の読み方は、「ソングライターだった時から受け継いだ」と説明する

    「記憶のテクスチャーが昔から好きだった」

    スェーデン・アカデミーのダニウス事務局長は、イシグロさんを「簡潔に言えば、ジェーン・オースティンとフランツ・カフカを混ぜたのが、カズオ・イシグロなのです。マルセル・プルーストも少々加えて」と評している。

    「過去について理解しようとしている作家だ」とダニウス事務局長。

    「過去を改善しようとしているのではなく、個人そして社会が、生き残るために何を忘れなければいけなかったのかについて書いている」

    人々、そして社会の過去を見つめるのに重要になってくるのが、記憶なのだ。

    「記憶のテクスチャーが昔から好きだった。語り手の記憶から引き出されたシーンは、端が不鮮明で、さまざまな感情が重なっていて、そして操作されやすくなっている」

    イシグロさんは記憶をテーマにしている理由について過去のインタビューで、そう説明している。

    「単に『これとこれが起きた』と出来事を読者に伝えているのではない」

    人それぞれが語る記憶、過去を思索し、このような問いを立ててほしいという。

    「なぜあの人は、ある出来事をこの場面で思い出すのか。そのときどう思っていたのか。具体的に何が起きたのかあんまり覚えていない、と言いながらも語ってくれるとき、どれくらい信用して良いのか」

    日本の記憶

    記憶といえば、イシグロさんは日本に対してどのようなものを持っているのだろうか。過去のインタビューでこう語っている。

    「20代の頃に自分があった日本との付き合いは、記憶、そして本や雑誌、漫画、映画で蓄積してきたイメージで作り上げた場所でしかなかった」

    「とても奇妙な記憶と推測による日本だったが、それでも本当に大切な場所だった」

    また、2011年に日本に訪れた際には、街を歩いていると「昔見た懐かしい記憶、深く潜んでいた思いがよみがえる」と記者会見で話した。

    「翻訳されても、自分の言葉は生き延びてほしい」。

    執筆するにあたって、常に翻訳のことが頭の片隅にあるというイシグロさんが、ガーディアンとのインタビューでそう願ったのも、家で日本語を使い、外では英語でコミュニーケションを取るといった環境で育ったからかもしれない。

    12月10日に行われる授賞式

    ところで、発表後にスウェーデン・アカデミーとの電話取材で、「ボブ・ディランの1年後に選ばれたのは光栄だ」と話した上で、イシグロさんはある興味深い発言をしていた。

    ボブ・ディランのモノマネが上手いんですよ。今はやりませんけどね。

    「せめて12月にストックホルムに訪れたときに、ぜひ」とスウェーデン・アカデミーが促すと、「やってみることはできる」と答えている。

    授賞式でも見ることができるのだろうか。ノーベル賞の授賞式は12月10日、ストックホルムで開かれる。