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家庭料理で故郷を思い出す 日本で暮らす難民たちの人生レシピ

食を通じて難民の人たちのことをもっと知ってもらいたい。そんな願いをもとに作られたレシピ本がある。

家庭料理には、人それぞれの思い出や物語がある。

「海を渡った故郷の味 Flavours Without Borders」は、15の国や地域から日本に逃れて来た15人の家庭料理を紹介している。

食を通じて難民の人たちのことをもっと知ってもらいたい。そんな願いをもとに作られたレシピ本だ。


ミャンマー出身のチョウチョウソーさんも、本の中で「きな粉入りビルマ風サラダうどん」や「タピオカとサツマイモのデザート」のレシピを紹介した一人。

「リトル・ヤンゴン」とも呼ばれる東京都の高田馬場で、ミャンマー料理店「ルビー」を妻のヌエヌエチョウさんとミャンマー人のスタッフ2人で経営している。

子どものころは、軍隊に入るのが夢だったチョウチョウソーさん。

しかし、中学生の時に「軍隊学校で4年間勉強して卒業してすぐ戦いで殺されたら、自分の人生は意味がない」と思い、軍に入るのをあきらめた。

その後、ヤンゴン経済大学を卒業し、会計士の仕事をしていたチョウチョウソーさんは、1988年、民主化運動に参加。

軍事政権の弾圧から逃れるために、タイを経由して1991年に日本に来た。現在も民主化のために日本から活動している。

来日してからまもない頃は、東京都・新大久保のアパートの6畳部屋に、ミャンマー出身の人たち14名と一緒に暮らしていたという。

建築現場や電気工事の仕事で生活費を稼ぎ、日本語は仕事をしながら独学で身につけていった。

1996年、日本政府に難民申請をし、2年後の1998年にようやく認定された。そして翌年に妻のヌエさんを呼び寄せて、新たな生活が始まる。

池袋にあるイタリア料理のダイニングバーやビデオテープのダビング作業などを経て、ミャンマー料理店「ルビー」を開いたのは2002年だった。

母の料理を思い出して

子どもの時から、常に母の料理の手伝いをしたり、大学でも兄弟分の食事も自炊したりしていたチョウチョウソーさん。

レストランのメニューは、母の手料理の味を思い出しながら作ったという。

「ルビー」で出される料理には、どれもチョウチョウソーさんの思い出がたくさん詰まっている。ひょうたんの天ぷら(ブーティジョー)も、その一つだ。

揚げたひょうたんをソースにつけてサニーレタスと一緒に食べる。これが、ミャンマーの学生たちに大人気な食事だという。

「ミャンマーの大学生たちは、デートで必ず食べるんだよ。ヤンゴンの大学の近くには湖があって、天ぷらの屋台が2、3軒ある。恋人と一緒に行って、席に座って食べる。それが幸せだった(笑)」

その恋人とは……。

「もちろん、ヌエさんと行ったよ(笑)」

日本でも、ひょうたんを仕入れたと情報が回ると、ミャンマーの人たちが大喜びして集まってくるという。

「帰りたいという気持ちは変わっていない」

「ルビー」を経営するのは決して楽ではなかったが、チョウチョウソーさんは、大事なものを得ることができたという。

「いろんな人たちに出会えたことかな。自分の世界が、結構大きくなっていった」

日本に暮らすミャンマー人たち。ミャンマーに観光し行く人たち。ミャンマー料理を食べたことのない人たち。

レストランは、ミャンマーに様々な思いを馳せる人が集まる憩いの場となっていった。

人々がレストランで新しい出会いを求めたり、情報交換できるのは、日本が自由な社会だからこそだとチョウチョウソーさんは語る。

「自由がない国から来た人たちから見ると、こういう雰囲気はすごくいいなと思います」

チョウチョウソーさんは日本に暮らし始めてから30年近くを迎える。2015年11月の総選挙で、ミャンマーは軍事政権からアウンサンスーチー氏が率いる新政権へと変わっていった。

「ずっとミャンマーに帰りたい、という気持ちは変わっていない。本当は戻りたい」

でも簡単ではない、とチョウチョウソーさんはためらいを見せる。

「日本に来た時は28歳だった。今は、54歳だよ。帰ったら何するか、考えなきゃいけない。20代、30代は体を使ってなんでもできたけど、今はそうじゃない」

「日本での20年以上もの生活を全部失って、ゼロから始めるしかないんですね。それが簡単ではないのはわかっている」

手をこすり合わせながら、言葉に力を込める。

「でも、帰りたいという気持ちは、結構強いんだよね。だから、向こうに帰ったら何するか考えている。いっぱいやること、やりたいことがある」

チョウチョウソーさんは、ミャンマーの新しい国づくりのために役立ちたいという。

次世代の子どもたちへの教育。政治家への道。そして、海外に難民として行った人たちが、自由に母国に帰るかどうかを決められるようになることだ。

「帰るか帰らないかは、人それぞれ違う。だけど、帰りたい人たちがいつでも簡単に帰るのには、特別な権利はいらないと思います」

夢を実現したいからこそ、母国に戻って生活を一からまた始めるとしても「あんまり怖くない」と話す。

「自信がある。なんとかすることは、できると思ってます」

「住むところがあれば、なんとかいけると思います。立派な生活とかは、僕の思想じゃないので。三食食べられれば、ものすごく十分だな(笑)子どももいないですからね。ヌエさんと2人だけ。2人で生活できればもういい」

なんとかなる。この自信は、チョウチョウソーさんが日本に30年近く住んで身につけたものだ。

「自分が頑張ればなんとかできると、体験したり学んだりした。自由社会とはこういうことだよ、と若い人たちに教えたい」


海を渡った故郷の味 Flavours Without Borders」が2013年に出版された時、日本の難民の現状を知るきっかけとして反響が多かったと難民支援協会の田中志穂さんは話す。

また、若者の間でも食をきっかけに難民について考える機会が増えつつある。学生団体「Meal for Refugees(M4R)」は、大学食堂などで難民の家庭料理のメニューを導入している。

本の制作に携わった田中さんは、「難民と一緒に作り上げた本」だと語る。国の料理ではなく家庭の料理にこだわったという。

「家庭の料理って、みんなそれぞれ思い出があると思うんですよね。一人一人に何か自分が繋がって考えるきっかけにしてほしいな、という思いがありました」

「特に年末は、みなさん帰省とかをして、家庭料理を食べながら家族や大切な人と過ごす時間が多いと思うのですが、それがなかなか叶わない人も日本にいることを少しでも考えてもらえたら」

2017年1月〜6月、日本での難民申請者は8561人と過去最多となった。しかし、難民認定されたのはわずか3人にとどまっている。認定はされなかったが人道上の配慮を理由に日本に在留することが認められているのは27人だ。


訂正

チョウチョウソーさんとヌエヌエチョウさんの名前の表記を訂正しました。