追悼ザハ・ハディド。建築の新時代築いたシャイな女王

    彼女が遺したもの。そして日本が失ったもの。

    撤回された新国立競技場のデザインを手がけた建築家ザハ・ハディドさんが3月31日、米マイアミで心臓発作のため死去した。ザハ氏は65年の人生で、建築界に何をもたらしたのか。

    1950年、イラク生まれ。ロンドンを拠点に、流線型デザインを大胆に取り入れて話題を呼んだ。2004年、建築界のノーベル賞とも言われるプリツカー賞を女性として初受賞。2013年に新国立競技場の国際コンペで優勝したが、建築費の高騰などを理由に政府により白紙撤回された。

    日本では新国立競技場の事ばかりが注目されたが、建築界にとって、ザハさんはどれほど重要な人物だったのか。

    「建築技術の最先端。その象徴」と評価するのは、建築家の片山惠仁さんだ。

    「ザハは重力の影響から、建築を解放しました。これまでスケッチでしか描けなかった曲線、曲面が図面になり、実際に建てられるものにした。彼女自身も90年代半ばまで、技術的に達成できず、『アンビルド(建築不可能)の女王』と言われていましたが、航空系のCAD技術を応用して実現しました。自由なデザインでありながら、建築可能にする技術を、他の建築家より何年も早く達成した。その国の威信を発信できるような建物を設計できる、数少ない建築家でした」

    新国立競技場の白紙撤回をめぐっては、「狭い敷地内に8万人、自動開閉屋根のスタジアムを作ろうとしたら、2500億円くらいはかかるんです。それは建築家のせいではない。発注者側のプロジェクト管理能力がなかったのをザハの責任に帰したのは間違いだった」とし、ザハさんを擁護した。

    さらに片山氏は、「日本はこの20年間、建物にお金をかけられない時代になっていて、建築技術の進歩が止まっていました。ザハの3D設計による新国立競技場は、日本の建築界にとって黒船のようなものだったんです」と撤回になった案を惜しむ。

    技術革新によって建築界に新風をもたらしたザハさん。ともに働いた人は、何を思うのか。

    ザハさんの事務所に勤務する大橋諭さんはBuzzFeed Newsの取材に対し、「最高のリーダーであり、長年の友人を失いました」。

    ザハさんを中心としたチームは「不可能を可能にしろ」という姿勢を大切にしていたという。「ザハはこれまで通り、こうした情熱と魂とビジョンを持ち続けることを望んでいることでしょう」

    新国立競技場の設計にも関わり、ザハ事務所に在籍していた内山美之さんにも話を聞いた。多忙にもかかわらず、一言、故人の人となりをこう振り返ってくれた。

    「僕には、シャイでチャーミングな女性というイメージです。仕事は厳しいですが」

    サムネイル写真:Ian Gavan / Getty Images