三浦が手掛ける広告は「熱い」。
クラウドファンディングサービスの広告では、「#夢を諦めてはいけない」と、青臭いまでのド直球をTwitterに投げ込んだ。
歴史ドラマを描いたベストセラー漫画『キングダム』を、いまを生きる人間のための最高のビジネス書、として光を当て直した。
新聞広告という伝統的なフィールドでも、三浦の手にかかるとただでは終わらない。
クライアントからの受注を争うコンペは、広告業界の華。メガネ製造販売のJINSの広告では、その闘いの過程をショーとして漫画にした。いままで個人には手が届かなかったテレビやラジオの広告を気軽に使えるものにした。

三浦の仕事は、話題を、賛否両論を呼ぶ。
その三浦が1月、初の著書『言語化力』を出版した。モヤッとした思いを言語化し、力に変えよう、という本である。言語化は4つのステップでできる、と三浦は書く。
0. スタンスを決める1. 本質をつかむ2. 感情を見つめる3. 言葉を整える「スタンスを決める」が、1ではなくて、0なのはなぜ…?
方法の詳細は本に任せるとして、ネット炎上。自分探し。社会問題。金。簡単には「言語化」できないことを聞いてみよう。
炎上、どう思う?
三浦には、Twitterのフォロワーが約6万人いる。
ソーシャルメディアで目立つ人が、自分のファンのために作り、売る本はいくらでもある。それと今回の本は何か違いますか。意地悪な質問をぶつけた。
「僕に求められてるものが、ファンブック要素の強い自己啓発本だっていうのも分かっていました。だから、悩んじゃった(笑)」
意地悪な質問で張り詰めた空気が、一瞬でゆるんだ。
「今の俺に書けることって何なんだっけ? どうすれば、ワックなファンブックにならないかって、すごく気にしてました。でも強い言葉をつくる、これなら書けるなって」
言葉は常に三浦とともにあった。
断言して引っ張っていく人は強い。本にもそう書いた。
しかし断言はある意味で、諸刃の剣でもある。広告にも、ソーシャルメディアでの発言にも、炎上、批判はついてまわる。怖くないのか。
「Twitterがあって発言が便利になったんじゃない。Twitterによって発言させられてるのが今の社会なんですよ」
三浦は断言する。
「ソーシャルメディア上で何か批判する人って、あんまり相手にする必要はないと思ってます。何か言いたいことがあるからソーシャルメディアが機能してるわけじゃなくて、ソーシャルメディアがあるからみんな何かが言いたくなっちゃってる。金槌を持ってるとあらゆるものが釘に見えてくる。僕も、Twitterのフォロワー増やすために一時期、1日に5、6ツイートしてましたけど。やべーつぶやいてねえ、何かつぶやかなきゃって。そうなったときにダークサイドに落ちるんです。つぶやくことがないから、何か特定のものを見つけて批判する。一番簡単なんです。賢く見えるし」
強い言葉は、誰かを傷つける。でも…
強い言葉は、必ずどこかで誰かを傷つける。そう肝に銘じる。
「表現が人を傷つけなかった時代なんてないんです。言葉なんて体重乗っけたら、世の中に対して必ずどっかで誰かを傷つける可能性がある。それに対して臆病になったり敏感になるのは、基本いいことだと思うんですよ」
でも、と三浦は言う。眉に、目に力が入る。
「もしかしたら誰かを傷つけてしまうのかもしれない。だが、今この瞬間、僕には私には、これを言わなきゃいけない、言うべき時代の要請がある。今このことを言わないと自分が生きてきた意味がない、そう思った時に初めて主張すればいいんですよ」

「#夢を諦めてはいけない も強いメッセージです。広告に夢を持たなきゃいけないなんて言われたくないとか、押し付けに感じるっていう人も一定数いる。でも最大公約数、今の日本の多くの人に夢を持つ力を持ってほしい。夢を諦めないでほしいって思うから、覚悟してああいう広告を出してるんです」
語りだすと止まらない。
「世の中に大きなインパクトを与えたいと思ったら、強いメッセージを打つ必要がある。そしてそれは誰かを傷つけてしまうことがある。だけど今の時代それを言わなきゃいけないし、多くの人にとって意味があるなっていうこともある。そう言う時は勇気を持ってやるしかない。ただ、やったときに僕等の見えてないところで誰かが傷ついてる可能性が高い。その人に対するケアを絶対おろそかにしなきゃいけないよって」
「でも、逆だとダメ。『傷つく人がいるから気にしないとね』から始まっちゃうと本当に人の心を動かすものは作れないんですよ」

貧困→早稲田→博報堂→干される日々
三浦は1983年、東京生まれ。裕福な家庭に生まれたが、両親が事業で失敗すると、一転した。「板橋の団地で、ド貧困でしたよ」。
勉強して、大学に入って、なんとかするしかねえ。早稲田大学に入った。小説家になりたい。
しかし、なかなか簡単に書けるものでもない。言葉で勝負したい、という思いで、博報堂に入社した。自信はあったが、そこが裏目に出た。
「生意気だったんで、速攻で干されました」
仕事も与えられず、干される日々。ありあまる時間を使って、ひたすら考えた。
なぜ、自分はこの仕事を選んだのか。なぜ、広告はあるのか。2011年の、ひとつの答えとして、論文の形となった。
業界誌で金賞を取ったこの論文は、異色のものだった。掲載された他の論文の多くが、最新の事例やビジネスモデル、テクノロジーを論ずるものが多い中、三浦は冒頭から、いきなりこうぶち上げた。
「広告の使命は“世界を少しでもよくすること、少しでも多くの人々を少しでも幸せにすること”である。抽象的だが、これ以外はありえないし、ここから逃げてはいけない」
論文は、金賞を獲った。当時の最年少記録だった。
「このとき考え抜いたのが、原点です。ほんとにずっと考えてましたから。今はその結果です」
独立したのも、今働くのも、思いは変わらないという。
社会問題は? お金は?
「世の中をよくする」。でも、社会問題って難しくないですか。解決しない問題ばかりで。
「映画『パラサイト』観ました? うちはあんな感じだったんですよ。もうド貧困家庭。僕の両親が本当にそうだった。メディアには社会で見過ごされてる問題について報道する責任があると思うんです。でも、なぜそれが難しいかといったら、市場原理がないから。報道しても、興味のない人ばかりだから」
では、どうすれば。
「世の中をよくする義務のある人たちが動かなきゃいけないと思っていて、社会においては僕は、企業だと思うんです。資本主義経済が成り立っているからGoogleって儲かってるわけですよ。資本主義経済が成り立たなくなったらFacebookは儲からなくなるんですよ。同じことはサントリーにもトヨタにも言える。資本主義で恩恵を預かってる人が、その前提となる社会に対してセーフティーネットを敷くのはある種の義務だと僕は思っています」

前提にあるのは、人間への信頼だ。
「人間はそんなに愚かじゃないし、人間はそんなに弱くはないと僕は思ってるんで」
金の問題も、いつでもついてまわる。社会問題でも、会社の経営でも、個人のキャリアでも。
「『お金』と『価値』と『評価』は全部バラバラだってことは覚えておかないといけない。お金を稼いでるけど価値がない人もいれば、価値はあるんだけど、評価されてない人もいると思うんですよ。例えばホームレス支援をやってて、10年で1万人ぐらいの人を餓死から救っても、その人の年収がそんなにない、とかあるんです。価値を生む人が正統に評価されて正統に金銭が得られるっていう状況はつくらなきゃいけない。けれども、現実問題、今の社会は金銭、価値、評価が全部バラバラになってる。だからどれかがないことを必要以上に悲しんだり、自己評価を下げるのは損だよと思います」
「やりたいことが見つかりません」
多くの人は、何を「言語化」したいと望むのか。
若い人もそうでない人も、みんながモヤモヤ思ってること。「やりたいことがみつらかない。自分は何をすればいい?」。
あらゆる質問に即答する三浦が、少し考えた。
「まずは徹底的に自分が何に喜びを感じるか、自分が何を面白いと思う人間かどうか分析して言語化した方がいいと思います」
三浦はいつも、自分にそれを課してきた、という。
「自分の人生のKPIは何だろうなって考えた方がいい。自分が本当に成し遂げたいことの解像度を上げなきゃいけない。それの道具として一番役立つのが言葉なんです」
言葉は生きる、道具になる。
「人生のKPIって数字じゃなくて言葉でできてるんです。誰かを幸せにしたいとか、お金なのか、達成感なのか、社会に対する貢献なのか、子どもの幸福なのか、死ぬまでに何本木を植えたかなのか、死ぬまでに何回トリュフを食べたなのか、有名になって死にたいとか、日本にジャーナリズムを根付かせたいとか。言葉で自分のKPIを設計すればお金ってどこまでいってもサブKPIにしかならないって気づくんです」
言語には、スタンスがまず最初に必要。三浦は本で断言している。
では、三浦のスタンスとは? どんなに炎上したとしても、言わなければいけないことって?
「僕の場合は、『社会に対して変化と挑戦を支援する』ってもう決めちゃってるわけです。人生をかけて、『変化と挑戦をした方がいい』ってことを証明しなきゃいけないんですよ、僕は」
三浦が立ち上げた会社のウェブページには、アランの『幸福論』の引用がある。
「いつだって悲観は気分。楽観は意志」