「ハマの番長」三浦大輔は、強いチームにいたら200勝できたのか。 データは語る

    200勝はできなかったけれど

    今シーズン限りでの引退を発表した、「ハマの番長」こと、DeNAベイスターズの三浦大輔投手。

    横浜一筋、24年の選手生活で、172勝183敗。惜しくも、名球会入りの条件である、通算200勝には手が届かなかった。

    だが、野球における「勝ち星」は打線の援護や、バックの守備の影響を受けやすい。三浦が在籍した24年で、チームがAクラスになったのは日本一になった1998年を含む、わずか6シーズン。恵まれたチームにいたとは言えない。

    もし他のチームにいたら、もっと勝てたのか。統計学的に野球を分析する手法に詳しく、「セイバーメトリクスレポート」を発行する株式会社DELTAの岡田友輔さんに、分析してもらった。

    「もし、三浦が平均的な援護を受けていたら…」

    この「もしも」は、数字で占える。周りの援護という条件を、他の投手と揃えて計算すればよい。

    172勝183敗の三浦の勝率は4割8分5厘。岡田さんによれば、もし平均的なチームにいれば、この勝率は5割1分2厘に上がる。この計算は、シーズン・リーグごとに投手が受ける平均的な援護を個人の成績に加味する、いわば「公平な数字」だ。

    5割1分2厘という数字を三浦の成績に当てはめると、182勝173敗。200勝には届かない。1980年以降に200勝を記録した選手と比べると、堀内恒夫より高いが、江夏豊の6割2分3厘、村田兆治の5割7分1厘という数字には遠く及ばない。

    だが岡田さんは「江夏の6割越えはとんでもない数値だと言えます。5割行けば、一流といっていいでしょう。この数字からも三浦が好投手だったことは十分証明できます」と評価する。

    では、三浦は200勝レベルの投手ではなかったのか。「そうではない」と岡田さんは言う。

    まだ「勝ち星」を重視しますか?

    名球会は200勝という基準を設けているが、今や勝ち星で投手を評価するのは難しい。

    「昔は完投が多かったので勝利数がある程度の指標だったが、中継ぎ、抑えと分業制になった今、勝利数だけでは投手の実績と乖離してしまう」と岡田さんは問題点を指摘する。

    勝ち星を基準に考えると、堀内、北別府のように、在籍当時にチームが黄金期にあり、その援護を受けたピッチャーが有利になる、というのが岡田さんの考えだ。

    一方、セイバーメトリクスでは、投手本人の力が及ばない要素がある勝ち星で評価せず、三振を取る力、四死球を出さない力、そしてどんな打球を許しているかなど、純粋に投手の能力に関わる指標で評価する。

    勝ち星重視主義とセイバーメトリクス。評価が分かれた代表的な選手が、今シーズンの菅野智之投手(巨人)だ。

    「投球内容を示す指標でいうと文句なし。リーグナンバーワンの投手と言っていい。9勝6敗だったから菅野が悪い、というのは不当な評価でしょう。勝ち星重視の犠牲者です」(岡田さん)

    そして、三浦は最後のマウンドへ。

    では、セイバーメトリクスは、三浦の成績をどう捉えるのか。岡田さんは同じチームのOBを引き合いに出して、こう話す。

    「三浦が記録した、3269 2/3投球回(9809アウト奪取)というのは、すごい数字です。ピッチャーはアウトを取るのが仕事。取れなかったら交代させられる。その中で積み上げたこの1万近いアウトは、まさに名球会級。この投球回も含めて、いろいろな数字が、大洋(現横浜)の平松政次に近いんです。低迷するチームを支える、大エースですね」

    1998年、12勝を挙げ、38年ぶりの日本一に貢献した三浦大輔。低迷期の2008年、FA権を取得し、阪神への移籍か残留かで悩み抜き、最後に「強いチームに勝って優勝したい」と話してチームに残った三浦大輔。140キロに満たない球速ながら、正確なコントロールとスローカーブでファンを魅了した、三浦大輔。かつて、「強いチームにいたらもっと勝てた?」との問いに、「ないです。俺は横浜の三浦大輔」と答えてファンを泣かせた三浦大輔。

    「ハマの番長」は29日、9810個目のアウトを取りに、最後のマウンドへと上がる。