アートは不要不急?コロナでどう変わった? 美術手帖・編集長にきく

    「コロナによって、政治における、文化への興味のなさが分かった気がする」

    コロナウイルスの世界的流行により大きな打撃を受ける業界が多いなか、アートも、その例外ではない。コロナウイルスは、アートから何を奪い、何をもたらしたのか。美術専門誌「美術手帖」のウェブ版編集長を務める、橋爪勇介さんに聞いた。

    コロナウイルスによって変化を迫られる美術館

    --コロナウイルスの影響は、アートや美術にどのような影響を及ぼしているのでしょうか。

    アートシーンといっても、作品、アーティスト、マーケットといろいろなレイヤーがありますが、目に見えるかたちで変わったのは、やはり美術館でしょう。2月末から美術館が休館になり、6月ごろから本格的に、美術館も新しい運用でスタートしています。

    いつでも行ける美術館ではなくなり、日時指定の予約制になったこと。密を防ぐために入場制限をしているので、ふらっと美術館に行けなくなりました。

    これにはプラスとマイナス、両面あると思います。

    プラスの面は、結果として観賞の質が上がったことです。これまで、企画展はとにかく混んでいました。土日や会期末になると行列ができ、中に入ってもぎゅうぎゅうの状態で作品がよく見えない、という状態は、多くの方が経験しているんじゃないでしょうか。決して、良い環境ではなかったと思います。それが密を防ぎ、人数を絞るようになった結果、作品の鑑賞はしやすくなっています。

    マイナスの面では、誰もが行ける美術館ではなくなっていることです。デジタルに弱い方に取っては、オンライン予約は難しい面もある。現状を知らずに美術館に直接行ってしまった場合、どのように対応するのか。高齢者の方も含めて、どこまでケアできるのか、という問題は残っています。

    コロナウイルスは、思わぬ副産物を美術館に生み出しています。それは、非常事態宣言下で休館している期間が長かったため、デジタル化が進んだことです。東京国立美術館の「ピーター・ドイグ展」では、展示室を360度画像で見せる取り組みが、森美術館の未来と芸術展」は、3D空間で再現するという試みがありました。展覧会自体を、VRで記録するといった動きもあります。

    特設サイト頼みだった、美術館のデジタル施策

    --デジタルアーカイブは、外国の美術館では進んでいる印象ですが、日本の美術館で今まで進んでいなかった理由は?

    日本の美術展は特殊で、諸外国と構造が違うんです。大きな企画展は、美術館単体ではなく、テレビ局や新聞社などメディアと一緒になって共催するんですね。そうすると、企画展のためだけの特設サイトができ、そこにリッチなコンテンツが集まります。会期中はいいのですが、会期が終わってしまうと、更新が止まったり、サイト自体がなくなってしまう。そうすると、どれだけ素晴らしい展覧会をやっても、美術館のサイトにコンテンツが残らず、蓄積されないんですね。

    特設サイト頼みだったので、美術館のサイトはコンテンツが貧弱で、そのため運営主体のデジタルへの意識もリテラシーもなかなか向上しない。結果、デジタルにお金も人もかけていない、あるいはかけられないというのが現実だったと思います。

    ところがそこにコロナが来て、お客さんを入れられなくなった。デジタルシフトせざるを得なくなったのです。

    美術館は現地で現物を見るのが本筋であり、そうしないと作品の良さがわからないという部分があるのは自明です。

    しかし、これからの時代、本当にそれだけでいいのか。コロナがなくても日本は人口が減っていく。さらにコロナの影響が長引くことは確実です。移動もままならない中で、リアルな体験を補完する、デジタルコンテンツも用意し、地方や海外の人にも関心を持ってもらい、美術館へのアクセシビリティを高めていく。それがあるべき方向性だと思います。

    「あつまれ どうぶつの森」に見えた新しい流れ

    --しかし、これまで入場者収入に頼っていた美術館が、無料で見られるデジタルを拡充していく、というのはビジネスの面を考えるとなかなか難しいのでは。

    本当にその通りです。展覧会主催者にとっては、来場者数が指標になっていますし、我々専門メディアも、年間の入場者数をランキングで出していますから。ただデジタル化と関係なく、コロナによって、来場者に頼ることはもうできない。今までなら、人気の企画展は60万人が集まったりしていました。でも、コロナの影響で密を防いで時間指定のチケットを売っていたら、必然的に上限が決まってしまい、同じ収入は見込めません。

    1700円の入場料が2000円になったり、単価を上げる動きはあります。でもそこにも限界はあるでしょう。デジタルコンテンツで潜在的なオーディエンスにリーチし、美術館に足を運んでもらう。もしくは、直接コンテンツに課金する。どの方法を取るにしても、デジタルをどうやってビジネスに結びつけるかは、業界内での共通の課題意識だと思います。

    デジタル化に関しては、海外事例が引き合いに出され、同じように日本も、という話がよくされます。しかし海外の事例は、美術館に多くの寄付が集まっている、異なる事情があるんですね。そこの違いは大きいと思います。

    --日本でも起こった動きで、特筆すべきものはありますか?

    キャッチーなところで言うと、「あつまれ どうぶつの森」に美術館が参入したことは新しい流れですね。最初は北京の木木美術館やメトロポリタン美術館から始まり、日本でもポーラ美術館や太田美術館が収蔵作品を「あつ森」のコミュニティに開放しています。デジタルで作られるユーザーの場に、アートが進出していく。こんなことも、コロナがなかったら起こらなかったかもしれませんね。

    コロナによって、政治における文化への興味のなさが分かった気がする

    --アーティストや作品へ、コロナはどんな影響を及ぼしていますか。

    作品についてはまだなんとも言えないですね。アーティストの中で消化し、時間をかけて制作されていくものだと思います。

    アーティストをめぐる支援の状況は厳しい状態です。演劇や音楽と同じように、発表の場が奪われてしまっている。演劇に比べると、美術分野の表現者は、補償を求める動きが遅れています。ただ、有志が集まり、緊急支援を要請した #artforall_jp というキャンペーンが生まれました。こういう動きは今までになかったものだと思います。作家による業界団体というのは、存在していませんでしたから。しかし、成果はまだ明らかになっていませんね。

    もうひとつ、東京都がアーティスト支援のために立ち上げた、「アートにエールを」というプロジェクトがあったのですが、これは制作した動画に対してお金を払う、というものでした。これは制作の対価を払っているだけで、アーティストの自由な活動に対しての支援ではないと思います。もっと直接的な支援が必要です。

    今回の件では、政治における、文化への興味のなさが分かった気がするのです。

    文化庁も、抽象的な行動を伴わないメッセージを出したきり。ドイツのメルケル首相にしても、イギリスのジョンソン首相にしても、もちろんスピーチライターはいるのでしょうが、一国の首長がアートに対して、自分の言葉で語ることができる。しかし日本にそれはなかった。アートと政治の距離はどう保つべきか、という問題は別にあります。それでも、国家が文化に対してどのように捉えているのか、心に響くメッセージを出せれば、疲弊しているアーティストや国民が勇気づけられるとは思います。

    一方で、政治は声を上げ、要望する人に対して動いていくわけですから、文化への関心のなさは同時に、業界がロビイングをしていなかったことの表れでもあります。密接であればいいわけではない。政治との距離を適切にとりつつ、豊かな社会には文化が必要である、ということを主張し、いざというときに支援を引き出す。それは自由な表現のためにも必要で、大事なことだと思います。

    社会とアートを接続していく。それがウェブ版でやる意味

    --「美術手帖」についてお聞きします。特にウェブ版では、あいちトリエンナーレにおける「表現の不自由展」の問題から、今回のコロナウイルスに至るまで、アート業界の専門誌という枠を超えて、社会とアートの関係について掘り下げる記事が目立つように感じています。

    「美術手帖」は70年以上の歴史がある雑誌です。雑誌の強みは、特集で深く掘り下げた重みのあるパッケージで届けられること。でもネットによって情報流通のスピードが上がっている今、起こったことをその都度、より多くの人に届けたい。「アート」だけで括ってしまうと、ややもすると狭くなります。業界に閉じこもって、そこの中で褒められるように、深くいくこともできる。でもそれだけでは緩やかに業界が死んでしまう。

    --だからこそ、業界の話題だけではなく、社会との接点を意識している、と。

    そうです。

    ウェブ版ができたのは2017年ですが、その時から、「アートを社会に実装させる」というテーマを大事にしています。専門誌ですから、コアなところをやってくれればいい、という声ももちろんあります。

    でも、現代美術のコアなところもアートですが、ファッションも、食も、建築も、「あつ森」も、やはりアートの一種です。入り口はなんでもいい。多くの人に届いて、そのうちの何割かが、また深く掘り下げてもらえたら嬉しいんです。ソーシャルメディアがこれだけ力を持っている今、雑誌では届かない人たちに向けて、こちらから出て行って、社会とアートを接続していく。それがウェブ版でやる意味だと思っています。

    日本において、もっとアートが深く実装されていくポテンシャルはあるはずです。企画展に、あれだけの人が集まっていたわけですから。でも、GDP比で見るとアートの市場は世界に比べてまだまだ小さい。公的な補償においても、アートが不要不急だと後回しにされることなく、行政や政治家に動いてもらうには、普通の人の中に、もっとアートが内在化されていく必要があると感じます。

    コロナウイルスの影響は、もはや避けようがありません。全ての前提となって、人間やその営みであるアートに影響を与え続けていくでしょう。僕らはアートを伝えるメディアとして、関わる人の声を丹念に、拾っていきたい。そして、それを淡々と届けていきたいなと思っています。

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    橋爪勇介(はしづめ・ゆうすけ)
    ウェブ版「美術手帖」編集長。1983年三重県出身。立命館大学国際関係学部卒業。美術年鑑社『新美術新聞』記者を経て、2016年より株式会社美術出版社。17年にウェブ版「美術手帖」を立ち上げ後、副編集長を経て2019年より現職。