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イメージ変わった…!ヤンキーのたまり場だと思ってたドンキ、まさかの治安改善するし地方から引っ張りだこだった

「ドン・キホーテ」のイメージが180度変わる書籍『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』を紹介!

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「ドン・キホーテ」のイメージが180度変わる書籍『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社新書)が、じわじわと注目を集めています。

著者は、全国各地の「ドン・キホーテ」を巡り歩き、さまざまなチェーンストアを研究する谷頭和希さんです。「ドンペンがいる理由」や「過剰な外観の理由」などを紐解き、「ドン・キホーテ」から見える現代日本の都市の姿と未来について綴った一冊です。

今回はそんな話題の本書から、ドンキに持たれがちなイメージ「ヤンキーのたまり場」に関する考察や、そんなイメージからは想像のつかないドンキが街に貢献している意外な事実について綴った第三章「チェーンストアは新たな地域共同体である」の一部を出張掲載します。


谷頭和希『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社新書)

ヤンキーとDQNとドンキと

 前章では、ドンキのテーマソング「ミラクルショッピング」を入り口に、ドンキの店内構造に注目しました。そこでは、ドンキの経営戦略である「権限委譲」のシステムが、ドンキの店内空間を多様で複雑なものにしていることがわかりました。各店舗の店長・店員がその地域に必要なものを個人で判断し、揃えることによって、ドンキが地域特有の姿を持つわけです。

 そこから見えてきたのは、ドンキとその周りにある場所の関係です。ドンキは都市のなかでは異質であるかのように見えるけれども、じつは周辺の都市を非常に敏感に感じ取り反映しているのではないか(ただし繰り返し述べているように、その多様性は、ドンキが企業として利益を追求する過程で自然に生まれたものです)。

 そこで本章では、これまでの議論から見えてきた「都市のなかのドンキ」というポイントに焦点を絞って話をしていきたいと思います。

 そのときに、テーマとしたいのが「ヤンキー」です。ヤンキーとは、不良行為を行う少年少女全般を指します。なぜヤンキーを取り上げるのか。それは、ドンキと結びつけて語られやすい存在だからです。「週刊東洋経済」のドンキ特集号の表紙に書かれた言葉を引いてみましょう。

かつて「ヤンキーのたまり場」でもあったドン・キホーテ。総合スーパーへの居抜き出店などで生鮮食品中心の店舗が急増し、客層は拡大。海外出店も加速中だ。(「週刊東洋経済」2019年3月30日号)

 ここには、ドンキが都市のなかでどう位置づけられていたのか、その変遷がわかりやすくまとめられています。かつてのドンキといえば、「ヤンキーのたまり場」だったのです。実際、ある時期のドンキにヤンキーが多く集まっていたことは事実として指摘できるでしょう。ドンキが全国に広がり始めたころ、その出店場所の多くは国道沿いでした。ドンキの一つのウリが「深夜営業」です。ドンキのようになんでも揃っていて深夜まで営業している店は当時珍しかったため、夜に車やバイクで集まってきたヤンキーたちが国道に渋滞を作ったというエピソードもあるぐらいです。

 これから述べるように、こうしたヤンキーとの結びつきは、現実には年々弱まってきているのですが、現在でもドンキとヤンキーはイメージとして強い結びつきを持っているようです。

 それを顕著に表しているのが、兵庫県で結成された人気ロックバンド・キュウソネコカミが2012年にリリースした楽曲「DQNなりたい、40代で死にたい」です。この曲にはドンキの前に溜まったDQNに胸倉を掴まれたという描写があります。

 DQNというのは、非常識な人や軽率な人を指すネットスラングで、ここではほとんど「ヤンキー」と同じ意味でとらえていいでしょう。キュウソネコカミは、2010年代に、若者の流行や日常で見かける光景を皮肉るような歌詞で共感を呼んでブレイクし、現在では音楽フェスのメインステージの常連です(ちなみに「DQNなりたい、40代で死にたい」をフェスで演奏すると何万人もの観客が楽曲の後半に登場する「ヤンキーこわい」というフレーズを大合唱します)。つまり、彼らが歌ったドンキの前にいるDQNに胸倉を掴まれるという光景は、若いリスナーにとって十分にイメージができる状況なのです。それほど「ドンキ=ヤンキー・DQN」というイメージの結びつきは強いものだと言えるでしょう。 

メディアが生み出したドンキとヤンキー・DQNのつながり

 さらにヤンキー・DQNとドンキのつながりを詳しく見てみましょう。注目したいのはDQNという言葉の起源です。ヤンキーという言葉は、ドンキが誕生するずっと前から存在している言葉でしたが、DQNになると、少し事情は変わります。

 DQNという言葉が誕生したのは、1994年から2002年にテレビ朝日系列で放送されていた『目撃!ドキュン』という番組がきっかけです。この番組は、不良や、とんでもない理由で離婚した夫婦を突撃取材するなど、一般的ではない生きかたをしている人々に注目したヒューマンバラエティです。そこで扱われた人たちが、番組名から派生して「ドキュン」と呼ばれるようになり、それがローマ字に変換されて「DQN」という言葉が誕生しました。

 興味深いのは、番組の放送時期。この番組が放送された1994年から2002年までというのは、奇しくもドンキが一号店を繁盛させ、社会的に有名になっていく時期とほとんど同じなのです。

 1989年の一号店開店直後は、創業者の安田が現在のドンキに見られるような経営手法を確立できていませんでした。そこから約四年の間、営業方法や経営戦略をめぐって試行錯誤の時期が続きます。そうして前章でも見た権限委譲の考えかたを生み出し、1990年代後半から2000年代前半ぐらいにかけて店舗数を増やしていくことができました。

 そのとき、先ほども述べたような、ヤンキーが国道沿いに押し寄せたという報道もあり、「ドンキ=ヤンキーのたまり場」的なイメージがだんだんと根付き始めました。そんなタイミングで、この『目撃!ドキュン』が全国ネットで放送されたわけです。つまり、ドンキとヤンキー・DQNが結びついているというイメージは、メディアによって生み出されたのではないでしょうか。

 『目撃!ドキュン』で取り上げられた人も誇張されていたでしょうし、国道沿いに車が大挙して押し寄せたのはわずかな店舗だっただろうと思います。ヤンキーやDQNと呼ばれる人々の全員がドンキを愛して使っていたかというと非常に怪しいですし、ドンキ自体も2000年代後半あたりからその業態や規模をどんどんと変化・拡大させていきます。つまり、世間でイメージされるヤンキー・DQNとドンキの結びつきはだんだんと弱まっていくのです。

 それが最もわかりやすく表れているのが、ファミリー層向けの新業態「MEGAドン・キホーテ」(以下、MEGA)の開拓です。MEGA業態の登場は2008年。これが、ヤンキー向けだけではないドンキのありかたを象徴しています。

ファミリー需要を生み出したMEGAドンキ

 MEGAとはなんでしょう。流通コンサルタントである月泉博は、創業者安田隆夫との共著『情熱商人』でこのように記しています。

ドンキとMEGAは同じ「ドン・キホーテ」という名前がついていて、業態分類的にはどちらも総合DS(引用者註:ディスカウントストア)に属するが、両者のターゲットとMD(マーチャンダイジング。引用者註:経営の仕方のこと)、業態構造はまるっきり異なる。(中略)ドンキの主力ターゲットは20〜30代のシングル族やノーキッズカップルで、彼らの夜型パーソナル利用が主体だ。対するMEGAは、これまでのドンキにはあまり来店しなかったファミリーや中高年層を含むオール世代がターゲットで、どちらかと言えば昼型のファミリー利用に対応している。加えて店舗面積も、ドンキが300〜1000坪に対してMEGAは1000〜3000坪だ。

 つまりドンキとMEGAの大きな違いとして「ターゲット層」と「店舗面積」の二つがあることがわかります。

 ここで注目したいのは前者のターゲット層です。面積が大きいぶん、ヤング層だけではなく、ファミリー層にも対応した、いわゆる「ふつうのスーパー」のような側面も持っているのがMEGAの特徴です。前章で渋谷本店に触れたとき、地下一階がスーパーのようになっているという話をしましたが、この店舗もMEGA業態です。また、同じく第二章で紹介した港山下総本店も、スーパーでよく見られるような冷凍食品を格納する什器がずらりと並び、その周りに大量に貼られたポップやけばけばしい張り紙を見なければ、そこがドンキであることを忘れてしまいそうなぐらいです。

 MEGAは国道沿線などの郊外やターミナル駅近くに建てられているのですが、ここからもわかるように、その周辺に住んでいるファミリー層の需要を見込んでいるわけです。注目すべきは、その数がどんどん増えていること。すでに全国に百店舗以上はありますが、その原動力は、2007年に「長崎屋」を買収したことにあります。長崎屋は、かつて日本に多くの店舗を持つ一大スーパーチェーンでしたが、ドンキに買収されてから、長崎屋を居抜く形で多くの店がMEGAに変わっています。もともと、郊外に多く立地しており、店舗面積が広かったこともあって、そのまま居抜けばMEGAのサイズになる店舗が多かったからです。

 居抜き戦略の重要性については第四章で詳しくお話ししますが、とにかくこのようなカラクリで、ヤンキーやDQNに代表されるようなヤング層だけではない、ファミリー層をターゲットに据えたドンキが全国に増えているわけです。

 しかも、ドンキ創業者の安田は『情熱商人』のなかで、MEGAについて興味深いことを述べています。安田は「過去の成功の延長に今後の成功はない」という信念のもと、「『従来型ドンキ』の役割は終わりかけている」というのです。その背景には、「ピュア・ドン・キホーテ」と呼ばれる従来型のドンキ業態が安定期に入ってきたことがあります。安定することが、逆に経営を危うくさせるのではないかと予想し、その状況を打開するための戦略として新業態であるMEGAの重要性を説いています。

 こうした安田の発言を踏まえると、今後はMEGAのほうに経営の重点が置かれることが予想されます。執筆段階ではドンキの詳しい中長期経営計画はあきらかになっていませんが、ファミリー向けのMEGA業態が拡大していることからもわかるように「ドンキ=ヤンキー・DQN」というイメージは事実としては過去のものとなり、むしろあらゆる人に開かれた業態へと変わりつつあるのです。いうなれば、都市や街のなかに溶け込んできたわけです。

町おこしに利用されるドンキ

 そのことを顕著に表しているのが、ドンキが町おこしに利用されるようになってきたことでしょう。 

 その代表例として、2011年に誕生した岐阜市の柳ヶ瀬店が挙げられます(2020年閉店)。柳ヶ瀬は岐阜駅前に広がる歓楽街で、かつては「柳ヶ瀬ブルース」という曲で歌われるぐらいの一大歓楽街でした。それが2000年代に入ると衰退してしまい、中心市街地に人が集まらなくなってしまった。その打開策として、地元商工会が中心となってドンキを誘致したのです。これには、ドンキの創業者である安田隆夫が岐阜県出身であることも関係していたようですが、地元活性化のためにドンキを出店する、ということが起こっています。 

 また、MEGAドン・キホーテ甲府店(山梨県甲府市)も、地元からの誘致で出店が決まった場所です。「産経新聞」の記事(2016年9月26日掲載)によれば、「閉鎖店舗の地主や、撤退による市街地の空洞化を嫌う地域住民などにとって、跡地に出店するドンキは引っ張りだこ」であるらしく、さまざまな地域で、町おこしの重要な要素としてドンキを誘致する動きが高まっているようです。 

 こうしたことからもドンキが町おこしに有用だ、という認識は高まっていることがわかります。かつて「ヤンキーのたまり場」として煙たがられることも多かったドンキは、現実にはかなりの変化を遂げてきているわけです。

 もう一つだけ、興味深い例を示しておきましょう。 

 それが、日本随一のターミナル駅、新宿の名を冠したドンキ新宿店です。この店舗は、新大久保のコリアンタウンのすぐそば、職安通り沿いにあります。道路を挟んだ向かいには、日本有数の歓楽街・歌舞伎町が広がっています。安田の著書『安売り王一代』の説明によれば、ドンキがこの場所に生まれた1990年代、歌舞伎町の裏手にあたるこの地域は相当薄暗く、治安が悪い場所だったといいます。チャイニーズマフィアもこのあたりを根城にしていたという話もあるぐらいで、創業者の安田は「新宿店の出店はリスキー」だと周囲から止められたエピソードも語っています。歌舞伎町が現在のような姿になったのは石原都政下の2004年から(一般に、歌舞伎町浄化作戦として知られる政策です)。それ以前には、この地域で商売を始めるというのは考えにくいことでした。 

 しかし、深夜営業という「鉱脈」を発見し、ナイトマーケットの拡大を狙っていた安田は断固として出店。もちろん、セキュリティー面にも相当のコストを払って営業を続けました。すると、なにが起こったか。逆にその周辺の治安がよくなったのです。なぜかといえば、24時間営業のため店のネオンがずっとついており、その周辺が明るくなったからです。さらにドンキ出店後に治安がよくなったことで、その裏手にある新大久保エリアに店を出す動きが活発になり始め、観光客向けのコリアンタウン化が進みました。いまでは原宿に代わる新たな若者の街とさえいわれる新大久保のコリアンタウン。この街は、ドンキの強気の出店が生み出したともいえるわけです。これも、偶然とはいえ「町おこし」をドンキが行った事例として数えていいでしょう。

 このようなことからも、ヤンキーが集まって周辺の治安が悪くなる、というドンキのイメージは変わりつつあるといえます。 

 しかし、ここで私が注目したいのは、それでもなお(キュウソネコカミが歌うぐらいには)、ドンキがヤンキー・DQNと深く関係づけられていることです。 

 現実には、ヤンキーのたまり場だけではなく、むしろファミリー需要が高まってさえいるにもかかわらず、あるいは、町おこしにおける重要な役割を果たしてさえいるにもかかわらず、人々の間ではヤンキーのたまり場という印象が、いまだにある。この強いイメージの結びつきはなにを表しているのでしょうか。 

 本章は、この疑問をきっかけとして、ドンキと都市の関係に迫ってみたいと思っています。

『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』は全国の書店やAmazonで好評発売中です。本書では、まだまだドンキ・ホーテの知られざる世界に迫ります。