「俺の名前はアリ・カーサ。MC. AK.って呼ばれてる。はるばるシリアからやってきたぜ。俺の話を聞いてくれ」

18歳のラッパー、アリ。まずは、彼の"Burning Bridges(燃える橋)"のビデオクリップから話を始めよう。どこにでもあるような工業地帯を背景にマイケル・ジョーダンのTシャツを着て立つ彼は、他のヒップホップのミュージシャンを目指す若者となんら変わらないように見える。彼の歌も、どこにでもある郊外のガレージで録音されたように聞こえる。
彼のフリースタイルのラップは、自分抱える葛藤や女の子についての語りから始まる。他の多くのラップミュージックとなんら変わりはない。
しかし、2番目のパートに入ると、歌詞に変化が出てくる。死に至るような毒薬、命からがら逃げること、そして「死した王のライオンを食らうハヤブサ」などの言葉が現れる。ここにきて、アリが同じ年頃のティーンエイジャーより、はるかに多くのことを乗り越えてきたことに聞き手は気がつくのだ。
彼にとって、歌詞の中の"燃える橋"は現実のものなのだ。
「俺は内側から捕らわれる、左を見て右を見て
走り続け息ができない、
まるで盗人のように逃げる、
死した王のライオンを食らうハヤブサ、
俺から見える天国はまるで火の海のようだ
毒が全てを殺す」
アリは、たった13歳で家族と故郷であるシリアのアレッポをあとにした。マレーシアまでたどり着きましたが、苦難はそこで終わらなかった。
「戦争が起こって、母親をおいてきたんだ。家族一緒に平和な場所で暮らしたかった」と彼はBuzzFeed Newsに語った。
「俺達の唯一の選択肢は、シリアのパスポートで入ることが比較的簡単な、人殺しのない平和な国に移住することだった」と彼は言う。
しかし彼の父親は労働権を持っていなかったため、それは難しいと判断されてしまった。
「父親と俺は、家族がもっと良い国でで暮らせるよう、自分達を犠牲にしようとしていた。その希望に一番近い国がオーストラリアだった。2013年、俺と父親は国を離れ、インドネシアへ違法入ったんだ。亡命志願者としてオーストラリアにボートで渡り、保護を求めるためにね」
アリが歌を書き始めたのは、ナウルにあるオーストラリアの収容センターに収容されているときだった。

多くの亡命を試みた人たちと同じように、ビザがなくボートで入国しようとした彼は収容センターに入れられた。そこで、オーストラリアに移住することは不可能だと言い渡されたのだ。
ナウルの収容センターは、いくつかの調査でその生活環境の詳細が明らかにされているように、子供にとって安全な場所とは言えない。オーストラリアの上院の調査に対し、看守や収容者から子供への性的虐待などに加え、水漏れのするテントや不発弾が放置されている教室など、おぞましい生活環境を、ケースワーカーが明らかにしている。
収容生活は子供の心の健康に非常に大きな影響を与えることが分かっている。政府から委託された調査では、17人の子供に、口を縫ったり、首つりを試みるなどの自傷行為が見られたことが分かった。看守たちは彼らを名前でなく、乗っていたボートの番号で呼んだりしていたという。
アリが彼の歌の中で言う「俺だって人間なんだ」はただの事実でなく、強い政治的メッセージなのだ。
「思いを声に出そうとしているんだ
そうすればみんな難民を疫病みたいに見なくなるだろ?
自分を飛べない鳥みたいに感じる
暗闇の中にいる鳥のようだ」
「俺が音楽を始めたのは収容センターにいたときだった。そうすることで気持ちが落ち着いた。そしてオーストラリア政府に向けて、政治的メッセージを送っていたんだ」と彼は語る。
「俺のラップは、自分が直面している現実と、俺たちのような人間がどれだけ虐げられ、不公平な人生を送っているかについてなんだ。そこから脱出して、自由をつかむことを歌っている」
ナウル収容所で難民の子供たちにパフォーマンスをするMC.AK。
アリは英語、アラブ語、ペルシャ語、フランス語が話せる他の収容者たちとグループを作った。そして、センターの他の収容者たちのためにパフォーマンスをした。
「彼らのおかげで、がんばって彼らの痛みをマイクに乗せようと思えたんだ」と彼は言います。
グループの何人かが他の収容センターに移送されてしまった後、彼は、歌の録音を手助けしてくれたセンターのスタッフに勇気づけられる。
「スタッフの一人が俺の音楽を録音しようとしてくれた。彼は本当にいくつかの歌をこっそりレコーディングするのを手助けしてくれたんだ」
彼は"I Feel Like a Fighter." という歌の中で、彼の危険に満ちた5日間のボートの旅について歌っている。オンラインのビデオ制作会社と共同制作されたこの動画でアリは、ネット上で探した難民の写真を見ながらその物語を語る。その歌詞には、彼の若さと、広い海に直面した自分の弱さが表わされている。
「ボートでのあの数日間、
波にどこかへと流されていた
親父の肩にもたれて眠った」
2015年、2年間の収容センターでの生活のあと、アリは難民認定を得て、島の中を自由に動き回れるようになった。そして、ミュージックビデオの制作し、地元のコンテストに参加させてくれた、2人の音楽プロデューサーに出会った。
アリの物語はハッピーエンドで幕を閉じる。今年彼は家族の支援により、カナダに移住することができたのだ。

アリはまだ音楽は続けているが、今、勉強をする機会を得た。アルバムを出して、人々に彼の物語を届けたいと彼は言う。彼は、人権保護の弁護士になり、難民の権利のために戦いたいと思っている。
彼はFree The Children Nauruのページ上の、センターに収容されている友人達へのオーディオメッセージの中で、希望を感じさせる短いメッセージを綴っている。
「みんな覚えておいてくれ、君たちはもっと良い場所に生きる価値があるし、きっと俺みたいにそこから出ることができるよ。外に出て生きる道を見つけ、他の人間がしているみたいに君の人生を生きるんだ。だからあきらめないで、前を向くんだ。
神の御加護がありますように、MC. AK.からのメッセージだ。みんなのことが大好きだよ」