ワンオペ育児が限界になった私は、ソファに包丁を突き立てた

    「もう限界」。夫に助けを求めたいが、これが地獄だということは、実際に見なければわからないだろう。そして私は最悪のことをしてしまった。

    子どもからのSOSを機に働き方を変えた父親が書いた記事「消せないメール」(NHK)が話題になっている。

    子ども3人をひとりで面倒を見ていた妻が限界だと長男からのメールで気づき、短時間勤務に切り替えたという内容を、記者自身が反省をこめて綴っている。

    何度も読み、心をえぐられ、希望を感じつつも、怒りと後悔が襲ってきた。

    私は逆の立場。ワンオペで限界を迎えた母親だったからだ。

    当時、私はBuzzFeed Japanのニュース部門でエディターをしていた。6人の記者から出稿される原稿をチェックしたり、記事を書いたりする業務だ。

    子どもは、小学5年生の長男と5歳の長女。夫は東北地方に単身赴任していた。夫は転勤が多く、ワンオペ歴は長男が生まれてから通算7年になっていた。

    BuzzFeedに入社する前、週刊誌の記者だった頃は、月3回ほど担当の記事の締め切り日にはベビーシッターをお願いしていた。しかし、インターネットメディアは忙しさが事前に読めない。午後6時にとりあえず会社を出て、電車とバスの中でスマホで原稿をチェックし、保育園に滑り込むような綱渡りの働き方が続いていた。

    帰宅時間帯は、ネットメディアにとって一日で最も重要な時間帯だ。一刻も早く記事を公開しなければならないわけだから、同僚にも迷惑をかけていた。保育園の玄関に着いても原稿チェックや電話のやりとりが終わらず、ドアの前まで来ていながら延長保育が15分、30分と延びることが何度もあった。

    帰宅したら、お決まりの兄妹げんか。お腹が空いていると機嫌が悪くなるので、一刻も早く夕食を作り始めなければならない。


    その日も、いつもと同じだった。

    お湯が沸くまでの間に濡れた手でスマホを確認すると、同僚から最終チェックの依頼がきている。いったん料理はあきらめて、パソコンを開く。複雑な原稿だった。

    「今ちょっとだけ静かにして、ちょっとだけ!」。声が荒くなる。

    原稿を確認しているうちに20分が過ぎていた。追加の連絡がないかスマホをチェックしつつ、料理に戻る。子どもたちを先に風呂に入らせようとすると、入る順番をめぐってまたケンカになった。

    こんなとき、大人がもう一人いてくれたら。子どもに声をかけてくれるだけでいいから。いや、これは大変な状況なんだということを、知ってくれるだけでもいいから。なんで、私はたった一人でこの全部をやらなきゃいけないんだろう。

    何もかも投げ出したかった。

    こんなに大変なんだから、一度くらい投げ出してもいいだろう、と思った。

    でも、投げ出したものも、怒りをぶつける相手も、間違えてしまった。

    「もうママはママをやりたくない!」

    私はそのとき、豆腐を切るために手に持っていた包丁を投げ出してしまったのだ。

    包丁は真っ逆さまに落ちて、ソファに縦に突き刺さった。

    地獄の場面だった。

    ワンオペ育児の真っ最中、夕食の準備中に子ども2人がケンカを始め、思わず「もうママはママをやりたくない!」と包丁を投げ落としたことがある。すぐに謝ったけれど、子どもを傷つけてしまった。私が逮捕されてもおかしくなかった。だから、児童虐待は #ひとごとじゃない https://t.co/Nr53cptu7c

    Twitter: @akiko_kob

    ちょうどその頃、「ワンオペ育児」という言葉が広まっており、2017年のユーキャン新語・流行語大賞にもノミネートされた。

    2017年に著書『ワンオペ育児』を出版した社会学者の藤田結子さんによると、母親が一人で育児を担うという実態はそれ以前からあり、「孤育て」「母子カプセル」などと言われてきたという。

    「ワンオペ育児」という言葉ができたことで、自分の置かれた状態を気軽にシェアできるようになったと私は感じていた。「ワンオペつらいよね〜」と励ましあったり、「ワンオペ長いんで」と意味不明のマウントを取ってみたり。

    軽くシェアできるようになったから気持ちも軽くなっていたと思っていたけれど、実態は軽くなどなっていなかったのだ。


    次の瞬間、我に返って「ごめん!」と言ったが、ソファに突き刺さった包丁に、子どもたちの目は釘付けになっている。一生、消えない心の傷を残してしまった。

    近くの警察署に行くべきか迷って、キッチンをウロウロした。児童相談所に通報されるどころか、現行犯逮捕されるレベルではないのか。カッとなって子どもの心を傷つけた。育児を放棄したいと思ってしまったことも事実だ。

    児童虐待に関する取材をしてきただけに、自分が専門家の介入が必要なレベルにきているのだと理解できた。後日、信頼できるカウンセラーに相談した。

    「やばいからかえってきて」 「パパすぐにかえってきてくださいねほんとうに」 「パパみんなないてるぞだかはやくかえってきて」 子どもからのメールが来たとき、私はもっと早く察するべきだった。 まともに見ることも、消すこともできない70通余のメールの話です。 https://t.co/T0FkLA39kP

    Twitter: @nhk_seikatsu

    NHKの記事によると、3人の子どもの面倒を一人でみていた妻は、「肉体的、精神的なストレスが限界にきてモノにあたったり、1人で部屋にこもって泣いていたようだった」「とっさに長男に手を出してしまったことも、1度だけあった」という。

    長男が父親にメールを送らなければ、家の中でどれだけ大変なことが起きているかが伝わることはなかったのかもしれない。

    男性の育児休業の取得率は2020年度、12.65%で過去最高となった。男性の育児に関する議論も、ここ数年で量(育休取得率や期間)から質(家事育児の分担内容や意識)に深化していると実感する。

    それでもなお、子どものそばにいられない親はたくさんいる。そのために子どものそばで追い詰められている親もたくさんいる。

    夫がひとりで長時間労働をし、専業主婦の妻が家事と育児をすべて担っている家庭。

    共働きの夫婦どちらかが転勤となったときに、他方が仕事を失わないために、また子どもの生活環境を維持するために、別々の暮らしを選ぶ家庭。

    経済的、精神的、物理的なサポートを得られていないシングル家庭。

    6歳の子どもが「パパすぐにかえってきてくださいねほんとうに。」というメールを送ることに心を痛める私が、子どもの目の前でソファに包丁を突き立てた母親だ。個人の問題ではない。家庭の中で閉ざされたまま、明らかになっていない問題はたくさんあり、何かのきっかけで最悪の事態になりえてしまう。

    じゃあどうすれば?という問いに最適解はないけれど、育休や時短勤務、フレックスタイム制や在宅勤務などで、少なくとも「物理的にいない」ということは回避できる。いくつもの我慢やあきらめによって積み重ねられてきた問題を、働き方の改革によって解決できるかもしれない。


    この"事件"があった翌年に夫が単身赴任から戻ってから、我が家の状況は劇的に改善した。

    私が料理をし、夫が片付けをする。夫が掃除機をかけ、私が洗濯をする。2人の子どもの送り迎えや行事の出席を分担し、週末はお互いひとり時間を持てるようにもなった。

    もちろん不満はたくさんある。「学校行事や予防接種のスケジュール管理を任せきりにしないでよ」などなど、あげるとキリがない。

    でも、そんな不満を言えるのは、存在としてそこにいるからだ。物理的に手が回らない状況を目の前で共有できているから、不満があればその場で交渉できる。

    そして、ワンオペ育児で限界を迎えた私が「ただそばにいてほしい」ということを夫や夫の働き方を左右する勤務先に望む最大の理由はーー。

    それがあるからこそどんなに大変でも子育てをがんばれる、ほんのささいな子どもの言動を、一緒に笑えるからだ。