• metoojp badge

アラーキーの「ミューズ」と呼ばれた私のこれから。KaoRiさんが語る、告白後の心境

「荒木さんバッシングは望んでいません。未来につなげたくてブログを書きました」

「アラーキー」の愛称で知られる写真家、荒木経惟さんにモデルとして尊重されていなかったとして、16年にわたってモデルをつとめていたKaoRiさんがブログで告白した。

KaoRiさんは、性暴力被害を訴えて連帯する「#MeToo」の動きを受け、2017年11月からBuzzFeed Newsのインタビューに答えていた。3回にわたる面会とメールで考えを整理し、最終的に自分の言葉でブログを書くことを決断したという。

私について「現在のパートナーであり、ミューズ」と書いた記事もありました。曖昧にされたまま、勘違いされ続けるのは辛いので、とってもとっても怖いけれど、自分の言葉で綴ろうと思いました。(ブログより)

4月1日に公開したブログは12日現在で8万回超シェアされ、話題になっている。ネット上には荒木さんを批判する声があふれ、KaoRiさんのもとには多くのメールが届いた。ブログを書いた後、何を思っているのか。4月11日に再び話を聞いた。

「電話をしたが、わかりあえなかった」

「私は知名度もないので、きっと誰にも信じてもらえないだろうと思っていたので、これほど話題になるとは予想していませんでした。でも、共感したというメールをたくさんいただき、とても励みになりました」

「ただ、荒木さんが一方的にバッシングされることは望んでいません。さまざまな反響がある中で、荒木さんがコメントしない限り、その方向に流れてしまいそうなので、連絡を取ってみたんです」

4月10日、荒木さんに電話をした。KaoRiさんによると、荒木さんはブログを読んではいたが謝罪などはなく、話し合いに至らず電話を切られたという。

「やはり、わかり合えないということがわかりました。それはそれでいいから、私は新しい未来をつくっていきたい。新しい人生を守りたい。これからもずっと『アラーキーのミューズであり、パートナー』と都合よく書かれたり、放送されたりすることがあってほしくないのです。それがわかってもらえたら、十分です」

「#MeTooの動きがなかったら、いまもドキドキして怯えながら日常生活を送っていたんだと思います。2年前は死ぬことしか考えられませんでしたが、いまは過去は過去として丸ごと受け止め、この経験がどこかの誰かの役に立てばいいと思っています。#MeTooのおかげで自分の意思を表明したいという気持ちになれました。とても前向きな気持ちです」

「学びの場のようにとらえていた」

荒木さんは、数々の賞を受賞し「天才」と呼ばれた、日本を代表する写真家だ。特に、女性のヌードやエロティックな表現には独特の世界観がある。

その写真の中でKaoRiさんは、艶やかな着物の前をはだけ、時には縛られ、挑戦的な目つきでカメラを見据える。2001年から16年間にわたってモデルをつとめ、荒木作品には欠かせない存在となっていた。

KaoRiさんは9歳の時にダンスのモデルを始めた。フランス留学後、ダンサー、振付家、モデル、役者など国内外で幅広く活動してきた。現在は東京でダンス教室を主宰している。

KaoRiさんが荒木さんと出会ったのは2001年の夏。フランスから一時帰国した際、荒木さんの写真集を出版している出版社の紹介で、事務所を訪ねることになった。

荒木さんの写真集は子どもの頃から自宅にあったため、荒木作品のモデルになることには興味があった。当時、フランスと日本を行ったり来たりする生活だったので、次に帰国したら撮影しようということになった。

2001年秋、最初にモデルをしたときは、ヌードではなかった。六本木のスタジオでポートレートを撮影し、モデル料として現金5万円が渡されたという。

「フランスでは必ず契約書を交わしてきました。ヘアメイクのスタッフに『契約書はないんですか』と聞いたら、『荒木さんはそういうのないなあ』と言われました。そのときにまだ20歳そこそこだった私は、日本ではそうなんだと思ってしまいました。関係が深まるにつれて、言い出しづらくなりました」

しばらくは一時帰国のたびに撮影し、ヌードも撮られるようになった。

「私の表現を認めてくれ、一緒に作品をつくることにやりがいを感じていました。学びの場のようにとらえていました」

帰国してからは、月1〜3回のペースで荒木さんに呼び出され、スタジオで撮影されるようになったという。

「荒木さんからは、彼の都合のいい撮影日を決めたうえで電話で呼び出されました。時間と場所だけ告げられて切られることもよくあったので、日程を変更することも断ることもできず、常に予定をあけておかないといけない。他の仕事と重なると、そちらを断るしかありませんでした」 

「雇用関係でも愛人関係でもなかった」

KaoRiさんは事務所に所属しておらず、荒木さんの事務所との専属雇用契約をすることもなかった。撮影後は毎回、領収書の記入と引き換えに、現金を手渡された。荒木さんが雑誌やテレビの取材を受ける際、同席を命じられることも多かったが、その報酬は一切なかった。

関係者が集まって食事をするときなども、自分の話をしようとすると「しゃべるな」と話を遮られ、編集者から名刺を渡されても「連絡すんなよ」と言われていたという。身近な関係者に対しても「ミステリアスな女」であることを求められていた。

「取材では荒木さんが冗談交じりに『KaoRiは誰のもの?』と言い、私が『アラーキー』と答えるようなやりとりもありました。気づいたら『ミューズ』と呼ばれるようになっていました。雇用関係でもなければ愛人関係でもなく、私は荒木さんの自宅に行ったこともありませんでした」

それでも、アーティストがお金の話をするのは恥ずかしい。それを乗り越えてこそいい表現ができる。と言われ何も言い出せなくなり、彼の持論「私写真」「写真は関係性」「LOVE」「ミューズ」を信じて私なりに理解して、貢献しているつもりで飲み込むようになってしまいました。(ブログより)

荒木さんの知名度が上がるにつれ、通常の撮影だと聞いて現場に行くと、雑誌やテレビの取材が入るようにもなった。

「雑誌やテレビは、荒木さんが撮影している様子を取材・撮影するものでしたが、なぜか取材のカメラマンが私の足元のほうにいて、荒木さんが『脚を開け』と言ってきたこともありました」

媒体からの報酬を受け取ったことは一度もなく、いつもの撮影と同じ金額を手渡されるだけだった。取材されているのは荒木さんで、裸になっているKaoRiさんではないからという理由で。KaoRiさんは心身ともに疲弊していった。

その陰で、やっぱり私はどんどん疲れていきました。今振り返ると全てが過剰で過激でした。何かが麻痺していたとしか、思えないほど、普通ではないことを求められ、それをこなすことが当たり前になっていきました。アラーキーのミューズでいることと日常生活を両立させるのは、ギャップが大きくて、自分を隠して、隠れるように生きる毎日は今振り返ればとても不健康なことでした。(ブログより)

書店で自分のヌード写真を見つけた

2008年、深夜に自宅近くの大型書店に立ち寄ったKaoRiさんは、雑誌の平積みの棚を前に目を見張った。

一般の雑誌と並んで、左の乳房をあらわにした自分が表紙になった雑誌が、うず高く積まれていた。

写真誌「Photo GRAPHICA」の2008年10月号は、170ページの1冊まるごと荒木経惟特集で、そのタイトルが「KaoRi Sex Diary」だったのだ。

オランダで出版した1冊目に続き、2冊目の写真集を出版することは聞いていた。だが、それが大々的に売られることになるとまでは想像していなかった。

「一般的な書店でこんなに目立つように、顔も名前もはっきり出されて売られていて......私はこれからどうしたらいいんだろうと途方に暮れました。セックスをアピールしたくて荒木さんのモデルになったわけではなかったのです。人に気付かれたらこれから先、私は生きていけるのだろうか、結婚とかちゃんとできるのだろうか、と思いました。実際、その後から次々とストーカー被害が始まりました」

このときのことをKaoRiさんがブログを公表した後、Photo GRAPHICA元編集者の沖本尚志さんはTwitterとFacebookにこのような投稿をしている。

雑誌にはヌードもストリートスナップも作家が載せたい作品はすべて掲載してきたので、いつかはこういう日が来るだろうと覚悟はしていた。でもまさかKaoRiさんが声を上げるとは思わなかった。9年前の夏、荒木さんに特集をやらせてくださいと頼んで、荒木さんは500枚の写真を持ってきた。(続く)

荒木経惟の写真は誰かの犠牲の上に成り立っている、それはKaoRiが身を挺して発したメッセージだ。そう思うともう気軽に彼の写真を見ることはできない。こういう忖度の空気をつくったのは我々なのだとも思うし、僕にも責任の一端は多分にある。写真に関わる者が皆等しく負うべき負の遺産だ。(続く)

テレビ番組でも、知らないうちに写真が放映されていた。それを周りの人から知らされることが本当につらかったという。

2015年9月25日に放送されたTBS「ゴロウ・デラックス」は荒木さんの特集で、KaoRiさんの半裸の写真が紹介された。荒木さんは番組内で、KaoRiさんのことを「俺の女」と呼び、「彼女を10年撮っているのは、好きだから。恋人(コイビト)じゃなくてコイジン。愛人になるとマンションくらい買ってあげなきゃいけないだろ。だからコイジン」などと発言していた。

2015年11月22日に放送されたNHK「日曜美術館」の荒木さんの特集では、撮影の現場に取材カメラが入った。ファインダーを覗く荒木さんがKaoRiさんに近づき、着物の襟元を広く開けながら、「いいなぁ、NHKにおっぱい出るといいなぁ」とつぶやいていた。

荒木さんは2008年に前立腺がんの手術をし、2013年には右目を失明。ネガティブな出来事も作品に昇華し、精力的に活動を続けていたときだった。

「私は、16年間すべてが搾取されていたような感覚だったわけではありません。最初の数年間は、映画や展覧会を見に行くなど、恋人ではないけれど、仲がよかったこともあります。でも、少しずつ何かがズレていきました」

荒木さんが病気になり、さらに失明してからは連絡の回数は減り、2014年頃にはほとんど会わない時期があったという。

「病気のことは心配でしたが私からは連絡できなかったので、元気かなぁ、もう私たちの関係は終わったのかなぁ、と思いながら、私は自分の生活を立て直すことに専念していました」

「2015年になって、再び毎月連絡がくるようになりました。元気を取り戻して、余っている生命力を思い切り出したかったのだと思います。それを知ってか、テレビや雑誌などの取材が急激に増え、私のことを取り上げられることも増えていきました。元気になったのは本当に、純粋に、ただただとてもうれしかったから、私にできることはしたいという思いでした」

「作品のために裸になることには誇りを持っていた」

「私写真」であるがゆえに、食事中や入浴中などスタジオ以外でのプライベートショットも撮影された。それらの写真の拡散やストーカー被害に悩まされ、写真の取り扱いについて何度も荒木さんに交渉したが、対応してもらえなかったという。

「荒木さんは取材などで私のことを『俺の愛』『俺のミューズ』『娼婦のような女だ』などと言っていました。世間的には囲い込まれている愛人のように見られ、日常生活に支障をきたしました。気まぐれに名前を出すのはやめてほしいということも再三、伝えてきました」

「アラーキーのミューズ」としての自分と、本当の自分。その間で、引き裂かれそうになっていた。自分より、写真の中の自分のほうが価値があるのではないか。そんな感覚にずっととらわれていた。

もうこれ以上この生活を続けてはいけないと、周りにどう思われてもいいから、せめて私生活では「ミステリアスな自分」でいるのはやめようと思い、あっちの世界とは全く切り離した日常を作ろうと思いました。でも軌道に乗ってくると、再び彼の身勝手な行動に生活を壊されていきました。「俺の女」「ミューズがいるから死ねない」と自分にとってあたかも大切な存在のように使われる時もあれば、「娼婦」「マンションは買う必要のないレベルの女」「私生活は一切知らない」と都合に合わせて表現されました。(ブログより)

雑誌「et Rouge」2015年11月号の「愛、のようなもの。」と題したインタビュー記事で、荒木さんはこのように述べている。

いろんな女を撮ってきたけど、この10年はKaoRiという女とだけ続いてる。彼女はミステリアスなんだ。そこが他の女と違う。謎を暴こうとは思わない。私生活で何をしてるか知らないし、知りたくないんだ。すべて知るとつまらなくなる。謎が一番の魅力だからね。女だって、わからない男に惹かれるだろ?

「私は表現者として、写真家としての荒木さんを尊敬していましたし、作品のために裸になることには誇りを持っていました。私は芸術に貢献しているつもりでしたが、都合よくモノのように扱われていたんだと気づいたのです」

2016年、荒木さんに対応の改善を訴えた。

「生活を壊されるのはもう耐えられない。テレビで『俺の女』と言われたり、勝手なことをされると困る。だからルールを決めたい。ちゃんと話し合いたい。そういうことを伝えたかったのですが、逆に営業妨害、名誉毀損だと言われてこじれてしまいました」

2016年の2月に我慢の限界がきて、はっきりと環境の改善を求める手紙を送ると「連絡すっから」という電話がきただけで、数ヶ月放置されました。ある時からは私から電話をすることも許されていなかったので、時間をあけて電話をすると、一度は会う気になってくれたものの、逆ギレされ「有限会社アラーキーに対する名誉毀損と営業妨害に当たる行動を今後一切いたしません」という私の名前入り文書を勝手に作られ、そこにサインを強要されました。(ブログより)

荒木さんと会社代表の女性の対応に深く傷つき、ずっと胸の中にしまっておこうと思っていた。しかし2017年に元モデルの女性が荒木さんからの性的虐待を告白したことや、世界的な「#MeToo」の動きを受け、公にすることを決めた。

米ニューヨークのセックス博物館で開催中の展覧会「The Incomplete Araki: Sex, Life, and Death in the Work of Nobuyoshi Araki」がモデルと写真家の関係に踏み込んで物議を醸していることにも背中を押された。

「信頼関係がすべてだった」

KaoRiさんは当時、荒木さんに求められるままに行動していたことについて「いま振り返ると、おかしかった」と話す。

「留学から戻ったばかりできちんと社会を知る前から、荒木さんとその世界しか知りませんでした。もっと外に出て社会を知っていたら、おかしいと思えたのかもしれません。当時の私にとっては、荒木さんとの信頼関係がすべてでした」

ブログには、モデルになりたい女の子たちへのメッセージも書いている。

どれだけ仲のいい関係であっても、お互いが納得できる契約書を作ることを妥協しないでください。それから、モデルがどんなに頑張っても、撮られてしまった写真は写真家の「モノ」になる。ということは肝に命じて。(ブログより)

「モデルをする子は、好きでやっているという子がほとんどだと思います。でも、その写真が何年も何十年も先まで残ることのリスクを、きちんと説明されているでしょうか。自分の知らないところで自分が消費されていくことにずっと耐えられるでしょうか。作品は後世にまで残ります」

「失敗しない人はいません。大事なのはその失敗をどう今後に生かすか。私の失敗を生かして、社会が変わってくれたらと思っています」

「私は、自分を信じた行動をしたかった。そして、ずっと一人で抱えていたこの話を、誰かに聞いてもらいたかった。ブログを公開してからたくさんのメールをいただいていますが、共通しているのは、誰かに話したい、最後まで自分の話を聞いてもらいたい、という傷なんです。聞いてもらえるだけで、少し楽になって前に進めるんです。だから公表したことは後悔していません」

ブログの公開後、ネット上には「アラーキーの写真は大嫌いだった」などのバッシングがあふれている。だが、KaoRiさんは「全てを否定したいわけではない」と強調する。声を上げたのは、作品鑑賞の一つの視点として背景を知ってほしいから、そして、モデルに限らず同じような目に遭う人を少しでも減らしたいからだ、と。

ブログの最後を、こう結んでいる。

立場が上の人は、どうかどうか、自分の力だけでなく、弱さも自覚してください。無意識に、自分の弱さを下の人間に押し付けていることがあるかもしれないのです。自分より立場の弱い人の意見を遮らないで、どうか、どうか、とにかくまず最後まで話を聞いてあげてください。いまの時代、自分の非を認めて謝ることは、カッコ悪いことではないのです。居心地の良さに感けて、若さや新しさを拒まないでください。補い合って循環する関係性を、見つけようとしてください。

立場の上下なく、お互いがお互いに尊重しあって発展する世の中になりますように。

(ブログより)

なお、BuzzFeed Newsは事実関係を確認するため、4月2日と4月8日の2回、荒木経惟オフィシャルサイトからメールを送った。返信がなかったため、4月9日に自宅を訪ねた。

インターフォン越しに対応した女性は「ブログについては昨日(4月8日)、人から聞きました。対応は事務所が一括して承っています。(事務所に)いる者が誰でも対応します」と話した。

同日、事務所を訪ねると、インターフォン越しに男性が対応した。「ブログのこととか、ちょっとわからないので。わかる人がいないので」と話し、「コメントを出す予定はあるか」と尋ねると、「そういうのはありません」と答えた。質問事項をメールと手紙で送っており、回答があり次第、追記する。

BuzzFeed Newsはモデルの告白について「モデルは物じゃない」水原希子が撮影の無理強いを告白という記事もまとめています。


BuzzFeed Japanはこれまでも、性暴力に関する国内外の記事を多く発信してきました。Twitterのハッシュタグで「#metoo(私も)」と名乗りをあげる当事者の動きに賛同します。性暴力に関する記事を「#metoo」のバッジをつけて発信し、必要な情報を提供し、ともに考え、つながりをサポートします。

新規記事・過去記事はこちらにまとめています。

ご意見、情報提供はこちらまで。 japan-metoo@buzzfeed.com

BuzzFeed JapanNews