「ちょっと押して」 ”車イスヒッチハイク”で日本全国の旅 脳性まひの元歌舞伎町ホストの挑戦
目標は、2年で47都道府県。「後押し」をもらいながら進む、感謝と笑顔の旅。
車椅子を押してもらって、どこまでいけるかな?
路上で「車椅子を押してください」と声をかけ、”親切のリレー”で日本を旅しよう、という前代未聞のヒッチハイクがはじまった。
挑戦しているのは、寺田ユースケさん(26)。4月22日正午に、東京の国立競技場駅を出発した。まず目指すのは、山梨県。
ちょっと寒そうですね。
「HELPUSH」と名付けたこのプロジェクト。なぜこんな取り組みを? BuzzFeed Newsは寺田さんに聞いた。
寺田さんは、脳性まひによって生まれた時から足に障害があり、ふだん車椅子を使っている。
2年ほど前のこと。東京のある駅の改札を出ると、10メートル先に階段があった。手すりにつかまれば階段をのぼることはできるので、駅員に「車椅子を運ぶのを手伝ってください」と頼んだ。すると「そこは管轄外なので手伝えません」と断られた。
そのことを友人にこぼすと、友人はこう言った。
「そんなの、道行く人に『ちょっと助けて』と言えばよかったじゃん」
「僕は『ちょっと助けて』と言えない自分に気がつきました。一方で、親や友人など身近な人には、助けてもらって当たり前だという感覚もありました。駅員に断られたことにも腹を立てていたんです。相手の事情を考えられていませんでした」
そして、これまでの自分のことを振り返る。
自分は「障害者」じゃない。みんなと同じだ、と思いたかった。

寺田さんは小中学生の頃、少年野球のチームに入っていた。打ったら一塁まで歩き、代走を立ててもらう。だが高校1年生の時にドクターストップがかかり、いったん野球をやめる。
高校3年で両足の手術を受けた後、1日12時間のリハビリを自らに課し、歩ける距離が長くなった。再び障害者野球でピッチャーとして活躍するが、下半身を使わず投げるため肩に負担がかかり、やはり諦めざるをえなくなった。
「万能感」と「挫折」の繰り返し。大学入学でひとり暮らしをはじめ、「障害者みたいだ」と敬遠してきた車椅子に乗るようになり、ようやく前向きになれたという。
「車椅子でも笑えるお笑いをつくりたい」と吉本興業の芸人養成所(NSC)に入る。
だが、笑いはあまり取れなかった。
歌舞伎町でホストになり、気づいたこと。

2014年に上京してからも舞台に立っていたが、生活費が尽きそうになり、新宿・歌舞伎町のホストクラブ「Smappa! Group APiTS」に入店。
体調管理のためお酒は飲めず、終電で帰るホストだったが、「クララ」の源氏名で膝にトレイを乗せて接客すると、ランキングに名前があがるようになった。
「自分ではみんなと同じようにできていると思っていた。けど、そうではなかった。新人なのに閉店後に掃除をしない僕を『特別待遇だ』というホスト仲間に、代表が頭を下げてくれていたことを後で知ったんです」
「車椅子の芸人、車椅子のホストということでメディアが注目してくれたら有名になれるんじゃないか、という下心があった。順序が逆ですよね。目の前のことが見えていなかったんです」
自分の努力だけでなんとかなったわけじゃない。

そうした経験から「目の前のひとりひとりに伝えていきたい」と考えるようになったのが、「HELPUSH」のアイデアにつながった。
車椅子を人に押してもらうか、車に乗せてもらって進む。電車やバスには一緒に乗ってもらう。
2年かけて47都道府県。1県7日間のペースで予定を立てているが、体調管理のため、うち2日間は休養にあてるつもりだ。月に10日ほどは都内に戻り、冬場は体調がよくないので旅は休みだ。
無謀にも感じられる挑戦だが、果たして旅することはできるのか。
2日目は富士山を観光。
さすがの”芸人魂”。
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「押してくれた人に、押してよかった、と思ってもらえるように、旅のゴールまで頑張ります頑張ります」と寺田さん。
いまどこにいるの? 旅の様子はこちらから確認できます。
Instagram: @helpush_story
Twitter: @HELPUSH_STORY
LINELIVE: HELPUSH 車イスヒッチハイクの旅
YouTube: HELPUSH CHANNEL
車椅子を押してみると、道路のちょっとした段差や勾配、お店の入りづらさ、地下鉄の使いづらさに気がつきます。
見かけたら、声をかけてみませんか。「ちょっと押しましょうか?」と。
サムネイル:yusuke terada