「おばあちゃんの家でありたい」ブルーボトルコーヒーの味は、職人技と最新技術から生まれている

    喫茶店のマスターが黙って淹れるコーヒーはおいしい。計算し尽くされた設計のドリッパーとデジタル機器を使うと、「匠の技」はここまで再現できる。

    「喫茶店は、おばあちゃんの家のようだ」

    ブルーボトルコーヒーの創業者、ジェームス・フリーマンの言葉だ。アメリカ・カリフォルニア州で生まれたサードウェーブコーヒーは、2015年に日本初上陸。東京・清澄白河の1号店を筆頭に、現在6店舗を展開している。10月にオープンした中目黒カフェは、わずか8席の小規模な店。コーヒー豆の香りとともに、ゆるやかな時間が流れている。

    「私の解釈では、おばあちゃんは身内だから安心できても、自宅ではないから大騒ぎはしづらい。規律はあるけどリラックスできる空気感が、どこか喫茶店と似ているんです」

    Blue Bottle Coffee Japan合同会社の取締役であり最高責任者の井川沙紀さんは言う。最先端でありながら懐古的。その絶妙さはどこから来るのか?

    職人の技術を標準化する

    ジェームスは来日した際、昔ながらの喫茶店を訪れ、1杯ずつ丁寧にコーヒーを淹れるマスターの「匠の技」に感銘を受けた。個人に帰属するスキルを標準化することができたら、いつでもおいしいコーヒーを飲むことができる。テクノロジーを駆使することで、この道30年の職人でなくてもコーヒーをおいしく淹れられる方法を追求したのが、ブルーボトルコーヒーのはじまりだった。

    「日本は職人の技術で語る世界が尊重されていて、匠の技を『黙って盗め』みたいなカルチャーがある。アメリカでは、それを技術力でどう再現するかが考えられている。日本の良さにアメリカのアイデアが加わり、多店舗展開できるブランドに育った。それがまた日本に戻ってきたんです」

    井川さんは2014年11月に広報・人事マネジャーとして入社し、日本初出店に携わった。15年6月、入社7カ月で取締役に就任した。

    創業者のジェームスが来日すると、一緒に喫茶店をめぐることがある。マスターが「どうだ!」と言いたげに渾身の1杯を運んでくる。一口飲んで、表情で「いいね」と返す。言葉は通じなくても、コーヒーを通して会話ができる。

    有田焼のドリッパー

    12月5日に日米同時発売したオリジナルのコーヒードリッパーにも、先鋭と懐古の要素が詰まっている。

    開発は、マサチューセッツ工科大学(MIT)の卒業生で物理工学を学んだ研究者たちが主導。ドリッパーの薄さ、高さ、内側にある40本の溝の間隔、強度など、すべてが計算されている。

    そのデザインを製品にしたのが、創業400年の歴史を誇る、日本の有田焼の窯元だった。研究者がアメリカから佐賀県有田市の「久保田稔製陶-久右ヱ門」を訪れ、製造の検討や交渉をした。

    「MIT卒の研究者たちと日本の職人の技術が融合し、一つの商品が生まれた。嬉しかったし、誇らしかった。この会社に入ってから、日本の技術や文化の素晴らしさに気づかされることが多いです」

    職人技は再現できる

    コーヒーの味には、条件によって変わる要素がいくつかある。豆の種類、豆の焙煎方法、挽き目(挽いた粉の大きさ)、湯の量、湯を加えるスピードや回数ーーなどだ。そのうち、固定できる要素がいくつあるか。そこでブルーボトルはドリッパーのほかに、テクノロジーの助けを借りている。

    アカイアスケール

    TDSメーター

    「使用する豆の個性や状態を考え、最適なレシピにしている。そのため、挽き目以外の変動要素を固定しているので、挽き目を変えることで味の調整ができるようになる。こういう感覚もアメリカっぽいですね」

    とはいえ、機器だけが味を決めるわけでもない。

    「おいしさって、人それぞれ。たくさんあるコーヒーショップそれぞれにもおいしさの定義はあり、それに正しいも間違いもない。私たちが定義するおいしいコーヒーは、きちんと学習し、トレーニングを受ければ誰でも実現できるといえます。ボタンひとつでマシンからコーヒーが落ちてくるわけではないので、ツールと同時に人材が重要。バリスタ教育に力を入れています」

    人材派遣会社や海外の飲食店でキャリアを積み、現在5社目の井川さん。コーヒーについては学ぶことばかりだが、「一番消費者に近い社員」と自分のポジションを定義している。

    「コーヒーはあまりにも日常的なものすぎて、コーヒー豆がフルーツだということさえ、意識していなかったりする。地球の反対側から生豆が届き、焙煎、淹れ方、いろんなこだわりがバトンのように農園からつながって、お客様の手に届くストーリーを大切にしたい」