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発想の転換…!多すぎて嫌われていた「田舎のカブトムシ」で、まさかの人気観光地になった話

福島県田村市にある、小さなテーマパーク『カブトムシ自然王国 ムシムシランド』。ここは多くの昆虫と触れ合える、言わば虫の楽園だ。「昆虫で町おこしをしたい」と語る施設長の吉田吉徳さんに、ムシムシランドが直面してきた困難や今後の展望を聞いた。

7月から8月の夏の間だけで、1万人以上もの来場者が訪れる人気テーマパークがある。

福島県田村市にある『カブトムシ自然王国 ムシムシランド』だ。

1989年にオープンしたムシムシランドは、その名の通りカブトムシをはじめとした昆虫と触れ合える、言わば“虫の楽園”。

常時1000匹以上のカブトムシが放たれたエリア「カブトムシドーム」では、多くの子どもたちが歓声を上げ、家族連れでにぎわう。

今や福島県を代表する人気観光地の一つとなったムシムシランド。しかし、その道のりは順風満帆ではなかった。

バブル崩壊や東日本大震災の影響で、存続が危ぶまれたこともあった。

施設長を務める田村市常葉振興公社の吉田吉徳さんに、そんなムシムシランドにかける思いを聞いた。

不人気だったカブトムシの幼虫が、町おこしのカギに

ーー福島県田村市では、当初はカブトムシで有名な地域ではなかったと聞きました。そんな中、カブトムシを主役としたムシムシランドはなぜ生まれたのでしょうか?

もともと田村市(旧常葉町)では、葉たばこの生産が盛んでした。生産に必要なのは、肥沃な土(農作物が肥えやすい土)です。そのためには、土の上に落ち葉を積んで、腐葉土(ふようど)にします。その集めた落ち葉に、飛んできたカブトムシが卵を生むんです。

春先、農家のみなさんは落ち葉ごとふるいにかけて、土とゴミで分別します。その際、木の枝などのゴミと一緒に、カブトムシの幼虫がゴロゴロ出てくるんですね。あまりにも数が多く、腐葉土を採取する邪魔になってしまうので、これを農家の方々は結構いやがっていたんですよ。

ただ、これだけ幼虫が採れるんだから、何か活用できることはないかと考えた結果、地元以外の方々に配ってみることにしました。1987年、当時の常葉町と姉妹都市だった東京の中野区で『花と緑の祭典』というイベントが開催されました。そこに幼虫を持っていき、腐葉土を販売しながら、幼虫を無料で配ったんです。

地元に住んでいる人からすると、「誰もほしがらないだろう」と思っていたのですが、都会の人にとっては珍しいのか、みなさん大事に育てるんです。その後、中野区から「もらった幼虫がたくさん成虫になった」とお礼の連絡をいただいて。これは何かできるのではないか、と同じ年に「カブトムシの会」を立ち上げたのが始まりです。

「カブトムシの会」では町役場とたばこ耕作組合、森林組合などが協力し、幼虫5匹と餌になる腐葉土を一緒にし、「カブトムシ幼虫観察セット」として通販で売り出すことから始めました。それがバーンとものすごく売れたので、どんどん広げていこうと。

「カブトムシドーム」が大好評。交流人口は10倍以上に。

ーーもともと自然豊かな田村市にたくさん生息するカブトムシを、田村の町おこしに活用しようと考えたんですね。

そうです。少しずつ地元の方にも理解してもらい、市からも応援してもらえるようになりました。そして、1989年には「ふるさと創生事業」という取り組みで、今のカブトムシドームを建設したんです。やはり一カ所にたくさんのカブトムシが集まっている光景はめずらしかったようで、県外からも多くのお客様に来場してもらえるようになりました。

それで自信がつき、翌年の1990年には、昆虫の標本を展示する「カブト屋敷」を建てました。当時、ムシムシランドができる前の町の交流人口は年間7000人程度だったのですが、「カブトムシドーム」と「カブト屋敷」ができてからは、一気に5万人ほどに増えたんです。

1991年には、大型の遊具を設置した遊園地『こどもの国 ムシムシランド』も建設し、交流人口は15万人にまで増加しました。

現在のムシムシランドは「カブトムシドーム」と「カブト屋敷」の2つから成り立っていますが、当時はその遊園地がムシムシランドの中心的存在でした。

バブル崩壊と東日本大震災の影響

ーー7000人から15万人まで増加……すごい集客効果ですね。

その頃は、バブルの絶頂期だったんです。バブルが弾けてからは、残念ながらお客様がどんどん減り、頭打ちになってしまいました。そんな状態が長く続くと、大型遊具はメンテナンス費用もかかるし「お金をかける価値はあるのか」と疑問を持つ人も出てきました。

決定的な打撃となったのは、2011年の東日本大震災です。

当初、地震による施設への被害はほぼなく、原発から31kmと避難区域からはギリギリ外れていたため、その年のゴールデンウィークから営業を再開する予定でした。

遊具のメンテナンスもして、安全かどうかすべてチェックしていたんですが、もうすぐ営業再開というタイミングで、施設のあるエリアが緊急時避難準備区域に設定され、オープンできなくなってしまったんです。

東京で販売していた「カブトムシ幼虫観察セット」も大きな痛手を受けました。

バブルが弾けた影響で、初めのうちは2000セットほど売れていたものが、当時は200セットまで落ち込んでしまっていました。

そこで、2011年は張り切って売っていこうと、2万匹のカブトムシを準備していたのですが、震災と原発事故が起こってしまいました。東京と福島のすべての郵便局に、販促のチラシを発送したタイミングでした。

東京の郵便局の方からは、「福島の土の中に入った幼虫を売っていいのか」という問い合わせが多くきてしまって。安全である証拠がないのなら、販売できないと言われてしまったんです。

当時、食品の放射性物質検査すらままならない状況だったので「カブトムシの幼虫の検査をしてくれ」なんてどこにも依頼できませんでした。

2012年に再オープン。しかし、遊園地は閉園

ーー震災の影響を受けながらも、ムシムシランドは翌年の2012年には営業を再開しています。停止していた期間は、どうしていたんですか。

再開に向けた除染作業を徹底的に行っていました。

そうして2012年に、なんとかカブト屋敷とカブトムシドームの営業を再開し、7500人ほどのお客さまに訪れていただきました。

ですが、遊園地は営業できませんでした。営業を止めている間にサビが入るなど、メンテナンスが大変な状態になってしまって……。膨大な経費がかかってしまうため、遊園地は苦渋の決断でしたが、あきらめることになりました。

ただ、カブトムシの事業だけは絶対にあきらめたくなくて。

田村市は、まだまだ知られていない観光資源がたくさんある町です。そのひとつが昆虫というわけです。自然豊かな田村市で育ったカブトムシを活用して、県外のみなさんに田村市を知っていただく仕組みがつくれたことは財産なんです。

だから、なんとしても続けたかったんです。

しかし、そうはいっても震災以降は来場者数が1万人に届かず、苦しい思いをしていました。2011年より前は、カブトムシドームだけで1万5000人くらいの方に来ていただいていたんです。

震災後、再オープンしてからは最大で1万人近くの方に来場していただいたものの、次の年からガクッと落ちてしまい、「もうダメなのかな」と意気消沈していました。

そんな時、2018年に転機が訪れたのです。

放送作家・鈴木おさむさんとの出会い

ーー震災後、客足が遠のいていた中、転機となる出来事が起きたと。

放送作家で有名な鈴木おさむさんに、ムシムシランドをプロデュースしていただくことになったんです。

鈴木さんは、経済産業省が主催する「福島WAKU-WAKUプロジェクト」という、福島の復興を目的としたプロジェクトの総合プロデューサーを務めていて、そのつながりでご紹介していただきました。

遊園地がなくなったムシムシランドは、200平米ほどのカブト屋敷とカブトムシドームがあるだけです。ガッカリされるのではないかと不安な気持ちでした。

しかし、鈴木さんは施設を見るなり「おもしろいね」と言ってくれて。「工夫次第でどうにでもなるよ。吉田さん、がんばろうよ」と声をかけていただき、びっくりしたと同時に、すごくうれしい気持ちになりました。

鈴木さんは、あまり人気のなかった標本のエリアを小さくして、その代わりに斬新な企画展の開催を提案してくれました。

どうせなら奇抜なものにしようと、2018年には「世界三大奇蟲展」という、ヒヨケムシ、サソリモドキ、ウデムシなどの珍しい虫と触れ合える企画展を開催したんです。

結果としてものすごく大盛況で、その年は震災後の目標だった来場者数1万人を達成し、最終的には1万4000人が来場してくれました。

翌年の2019年も鈴木さんのアイデアで、今度は参議院選挙のタイミングだったこともあり、「世界のカブクワ総選挙」をやりました。30種類のカブトムシとクワガタで人気投票をやったり、昆虫と触れあえる時間を設けたり。この年も1万4000人の来場者がありました。

地元に住む人々が、田村に誇りを持てるように

ーーさまざまな困難があったムシムシランドですが、鈴木さんとの出会いや斬新な展示企画で盛り返していったんですね。

バブル崩壊後、施設のマンネリ化や老朽化で厳しい経営難だったところに、震災による原発事故が起こり、正直どん底でした。ですが、鈴木さんをはじめ、いろいろな方の協力でV字回復することができました。今は、やっぱり虫で田村を町おこししていきたいなと強く思っています。

新型コロナウイルスの影響で減ってしまった県外のお客様も、だんだん戻ってきてくれている実感があります。それに、地域の人たちからのムシムシランドを見る目が、ここ5年で変わっていることも強く感じます。

ーーそれはどう変わっていたのですか?

最初は「地元の小さな観光施設」くらいに思われていて、地元民でも夏に1回行くかどうか。「うちの町にカブトムシドームがあるよ」って胸を張って話す市民は、どれだけいるのか……という感じでした。

田村市が、カブトムシや昆虫で町おこしをしていくなんて、ほとんどの人は考えていなかったと思います。

それを、「昆虫が大事」「地域資源や観光資源になるんです」とあきらめずに言い続けていたら、最近では新聞など、さまざまなメディアに取り上げていただけるようになりました。今年は「第1回全国クワガタサミット」という、田村市の自然環境をアピールするイベントが開催でき、「やっとここまでこれたな」という気持ちです。

ーー吉田さんは、なぜそこまで「虫で町おこし」にこだわるのでしょうか。

自分が住んでいる地元を、一番いいって言える場所にしたいんです。せっかく住んでいるんだから、「田村市なんて……」と思うのではなく、何でもいいから自信の持てる部分をつくりたい。

それを実現していく仕事ができればいいなあとずっと思っていて、それが自分にとっては大好きな虫だったというだけです。

今後のテーマは、共感者をどう増やせるかだと思っています。

こうしてムシムシランドが「虫」を武器に発信し続けることによって、興味を持った方々が集まり、昆虫でビジネスを考えている人たちの選択肢として田村市の名前が挙がってくるようになれば、立派な昆虫の城下町になれる。

「昆虫の聖地=田村市」として全国に認知してもらえるレベルまで、田村市を底上げしたいと思っています。

福島県田村市『カブトムシ自然王国 ムシムシランド』

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