「優しさ」って、一体何なのだろう。
優しいがゆえに、誰かを傷つけてしまうのを恐れ、上手に言葉を紡げない。優しいがゆえに、他人の苦しみまでも一緒に背負い、時に自分自身を傷つけてしまう。
4月14日に公開された映画『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』には、そんな“優しすぎる”人たちが登場する。自分が発した言葉で他人を苦しめたくない彼らは、ぬいぐるみに自身の本音を吐露することで、心のバランスを保っている。
大前粟生氏の同名小説を映画化した本作は、ぬいぐるみと喋るサークルである「ぬいぐるみサークル(通称:ぬいサー)」を舞台に、世の中に生きづらさを抱える大学生を等身大に描いている。
細田佳央太が演じる七森は、当たり前のものとして押し付けられる「男らしさ」といったジェンダーバイアスに違和感を覚えながら、男性としての自身の加害性に思い悩む。一方、駒井蓮が演じる麦戸は、女性であるがゆえに、社会で生きていくことの辛さを感じ、大学へ通うことすらもままならなくなってしまう。
監督を務めたのは、『21世紀の女の子』(2019年)や『眠る虫』(2020年)で注目を集めた金子由里奈監督。彼女は、本作の映画化に至った経緯をこう語る。
「この小説を読んで、私自身の中にあった無自覚な加害性に気付かされて……。SNSなどで言葉による加害が広がっている世の中だから、これは社会に届けるべき物語だなと思いました」
『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』が映し出す「優しさ」とは一体どんなものなのか。また、繊細で傷つきやすい人々にとって、生きづらさを感じずにいられる方法はあるのだろうか。金子監督に話を訊いた。
自身の加害性に気づき、思い悩んでしまう……。けどそれは、ポジティブな始まりでもある
こわかったから笑ってたのかなって、いまは思う。学校のなかにぎゅっと詰め込まれた社会みたいなものが。それに加担している自分のことが。
大前粟生「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」より引用
——今回、自身の監督作品に『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』を選んだのはなぜだったのでしょうか?
金子監督(以下、金子):大前さんの小説を読んでまず気付かされたのが、自分自身の中にある「無自覚な加害性」でした。すごく読みやすい小説で、スルスルと言葉が入ってくるので、読後はすぐに打ちのめされたような感覚になりました。
今、SNSなどで言葉による加害が広がっている世の中で、この物語は社会に届けるべきだと思い、ぜひ映画化したいと考えました。
——「無自覚な加害性」とは?
金子:例えば、映画監督という仕事は、あらゆる場面で決定することを求められます。ただ、何かを決定していくことは、何かの排除の上に成り立っているのではないかとも思うんです。そういった権威的な立場に立っていると、無自覚に誰かを加害することが起こり得るのではないかと考えるようになりました。
今まで、誰かを傷つけるのは、加害するという明確な意志がないと成り立たないと思っていました。ですが、自分の何気ない行動により誰かを苦しめてしまうことがあるかもしれないと考えるきっかけになったのは、今までにない衝撃的な読書体験でした。
——そういった自分の側面って、目をそむけたくなる部分でもあるかと思います。
金子:もちろん、自分が他者を加害しているとは思いたくないけれども、自身の加害性に気づくことは必ずしも悪いことではないと考えています。
自覚することによって迷ってしまうことはたくさんあるかもしれませんが、立ち止まって思考することは私自身にとっても、社会にとってもポジティブなことだと思います。
——その後、映画化はどのように進んでいったのでしょうか。
金子:前作の『眠る虫』を撮影した後、数人のプロデューサーさんから次の企画について尋ねられた時に本作を打診したのですが、「商業的に考えると……」ということで、前向きな反応は得られませんでした。
そんな中、今回製作を担当していただいたイハフィルムズのプロデューサー・髭野さんとたまたまお話する機会があり、提案したところ「これは素晴らしい作品だね」と言っていただいて、映画化が実現しました。
——「商業的な面を考えると厳しい」というのは、作品のどのような部分でだと考えていますか?
金子:わかりやすく登場人物が何かを乗り越えて成長していく物語ではないですし、恋愛要素があるわけでもありません。「ぬいぐるみと喋る」という、一般的に見たら変わった行動をする人たちが主軸となるので、タイトルを見て「自分はぬいぐるみと喋らないし、優しくないよ」という反応を示す方々もいらっしゃると思います。人を選ぶ難しいテーマというのが理由なのではないかなと考えています。
その上で本作のプロデューサー・髭野さんは「他のプロデューサーが断ったということは、自分たちが進める意味がある」と、作品のメッセージを多くの方々に届けることの必要性に共感してくれました。
「優しさ」は「存在を頷く」ことから始まる。一人ひとりに違う「優しさ」がある
——本作では「優しすぎるがゆえに自分自身までも傷つけてしまう人々」を描いています。監督自身は「優しさ」をどんなものだと考えていますか?
金子:「その存在を頷く」ことが優しさの始まりだと思っています。
世の中には、可視化されていない存在がたくさんいると思います。例えば、本作に登場する七森や麦戸ちゃんのような存在は、これまでの日本の映画の中では可視化されていなかった存在だと考えています。それを、まずは“頷いて”みる。そこから自分がこれまで受け取ってきたさまざまな思いやりを、自分なりに混ぜていろんな形として提示していくことが優しさなのかなと思っています。
なので、「これが優しさだ」と一つの答えがあるわけではなく、一人ひとりによって違うのではないでしょうか。
——撮影を通して、実際に「優しさ」を実感するシーンはありましたか?
金子:たくさんありました。言葉の加害性に怯えて言葉を選ぶ人たちの物語なので、映画を制作する中でも、スタッフさんや俳優さんの中にもそういう空気感が生まれていました。現場でもみなさんそれぞれの優しさがあり、探り探り丁寧に物語を紡いでいくような雰囲気があったと思います。
先ほども話したように、私は監督として「決定すること」が役割ですが、「自分が決断を下したくない」と思うところに行き着くほど、みなさんや作品の優しさに包まれていました。
——『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』が表現する「優しさ」が、どんどん伝染していったのですね。
金子:そうですね。今後も映画を撮っていく上で、この原作を今27歳という年齢で監督できたのは、すごく意味のあることだったと思っています。
——それはどういうことでしょうか。
金子:「自己変革」という意味で、ですかね。
監督という仕事は、時に割り切ることも大事だとは思います。ですが、一回立ち止まるという体験をしてみると、立ち止まったところや、「できない」と思った部分を通じてこそ見えてくる景色があることを知りました。
抽象的にはなってしまいますが、ゆっくり進むことでしか得られないものもあるのだなと学べたのは、今の自分にとって非常に貴重なことでした。
傷つくことは避けられなくても、心をケアする方法にそれぞれが出会えるように
——作品に登場する「ぬいぐるみサークル」は、生きづらさを感じる登場人物が唯一安心できる場所として描かれています。実際に生きづらさを感じながら毎日を過ごしている方の心が少しでも楽になるためには、どのような方法があると考えていますか。
金子:そもそも、生きづらさを感じてしまうのは、それを抱えさせている構造の方に問題があるのではないかなと考えています。
ただ、「誰かを傷つけてしまうかもしれない」と思い悩んだりとか、他人のために「この言葉が正しいのだろうか」と怯えたり、立ち止まったりする方たちに対して「あなたは本当に素晴らしいことをしているよ」と思っています。
私としてはそういう人たちを肯定したいと思うんですが、どうしても生きづらさは感じてしまいますよね……難しい。
——結局は鈍くなれたほうが楽なのかもしれない、と思ってしまいます。
金子:原作者の大前さんが、本作についてのインタビューで「一人ひとりに合ったカウンセラーがついたらいいけど、それは不可能だから自分の話を聞いてくれる存在としてぬいぐるみを相手にした」と、以前話していて。
カウンセリングだけじゃなくても、自分自身の心をケアできるものにそれぞれが出会いやすくなれば良いなと思います。
——自分の心を守る方法をそれぞれが見つける、ということですね。
金子:例えば私は、心のケアとして山登りが自分に合ってると思っています。
——山登り?
金子:歩くことしかできないので、自分全部が間違いない存在になるというか……瞑想と近い部分があると思うのですが、無心になれるので好きですね。
正しさの押しつけをするのではなく、等身大の葛藤を描くことで多くの人に届けたかった
——本作では「ジェンダーバイアス」などの問題にもフォーカスを当てています。人へ届けるのが難しいテーマなのかなと思いますが、監督する上で心がけていたことはありますか?
金子:等身大の大学生が抱えている、ごちゃごちゃな名前のない違和感を大事にすることを意識しました。
例えば七森は、マジョリティ男性として自身の加害性を自覚しているけども、だからといって七森に伝えたいことを委ねすぎない、とか。
映画の中で七森が“正しい”ことを言って、鑑賞者の方々に気づきを与えることは手段の一つとしてあるかもしれません。ですが、「これが正しい」というよりは、こういう生き方をしている人たちを提示する姿勢を貫きたかったので、とにかく等身大の彼らの素直な葛藤を描くようにしていました。
——それはどうしてでしょうか。
金子:作品を広く届けたかったからです。
“正しさ”が全面に出ていると、人によっては説教臭く思えて、とても窮屈に感じるのではないかと考えました。多くの方に届けて、考えるきっかけになってくれればいいなと思っていたので、正しさの押し売りはしないと決めていました。
七森だけではなく麦戸ちゃんも、ぬいぐるみサークルのみんなも、『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』にはたくさんの魅力的な人物が登場します。私が映画の中のキャラクターに委ねるというよりは、ここに存在する人として忠実に描くことを優先しました。
——映画が公開され、観た人からはどのような声が寄せられましたか?
金子:上映後のサイン会などで感想を直接頂く機会があり、その際に「ありがとうございます」と言っていただくことが本当に多いなと感じました。今までの監督作品では「面白い感性ですね」とか「いろいろ考えさせられました」という感想が多かったので、最初は驚きがありました。
目を潤ませながら切実に「ありがとうございます」と言葉を掛けてくださる方々に対しては、私としても感謝の気持ちでいっぱいです。
金子:映画館にはぬいぐるみと来てくださる方が多く、すごく嬉しい気持ちになりました。それがウェルカムな映画って、今までなかったと思うので。
実際に観ていただいた方とお話すると、「今日はこの子と一緒に来ました」と紹介してくれたり、「うちのぬいぐるみはすごくお喋りなんですよ」と教えてくれる方がいらっしゃるんです。お部屋での、自分だけしか知らない内面的なやり取りが外に広がっていく空気を、この映画がつくれているのかなと感じました。
——人に普段見せない姿を見せられたり、そこからコミュニケーションが生まれるのはとても優しさを感じます。
金子:自分と重ね合わせて「映画と対話しているようだった」とか「映画に自分自身を観られているようだった」とも言っていただいて、そんな映画になれているんだなと。
私自身、この小説を読み終わった後、『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』が本棚からずっと自分を見つめているような気分になっていました。その感覚を映画でも表現できればと思っていたので、みなさんに伝わったのは感激でしたね。
ぬいぐるみと喋る人も、そうでない人も、自分ごとの話として「自分が参加しないといけない映画」と思えるような体験が提供できればいいなと願っています。