全く荒れない被災地の成人式 南三陸町の若者は「今度は自分たちが支えになる」と誓う

    今年も日本各地で「荒れる成人式」が話題だ。でも、それとは全く違う光景がここにある。東日本大震災の被災地・南三陸町。

    全く荒れない成人式がある。1月8日、宮城県南三陸町。2011年3月の東日本大震災で、最も被害が大きかった町の一つでこの日、184人が成人を迎えた。

    スーツや振袖姿に身を包んだ参加者たちが被災したのは、中学2年生の時だ。激しい揺れと、町の中心部を飲み込んだ津波で、死者・行方不明者832人、建物の約6割が全壊した。

    同級生たちの中には、震災後に家族とともに南三陸を離れた人もいる。しかし、この日は「苦しかった時を一緒に過ごした友達と一緒に成人式を迎えたい」と遠方から参加する人もいた。

    町役場の職員たちによると、震災が起こる前は、荒れる成人式とまではいかなくても、私語でざわついたり、久しぶりに会う友人同士ではしゃいだりする姿があったという。

    佐藤仁町長はBuzzFeed Newsにこう語る。

    「やっぱり震災があってからですよ。成人式の雰囲気が変わったのは。みんな、『バカなことはやってられねぇ』って思うようになったんでしょうね」

    新成人の代表挨拶、誓いの言葉。参加者たちは静かに、じっと壇上を見つめる。

    新成人を代表して挨拶した町職員の浅野祐介さんは、誓いの言葉をこう述べた。ほぼ全文を掲載する。

    私達はこの町で多くの喜びや悲しみを経験してきました。同じ目標に向かい協力し合ったこと、同じ壁を共に乗り越えてきたこと。数え切れないほどの経験や思い出が私達を成長させてくれました。

    しかし、共に過ごしてきた日々の中にも、一人一人が置かれた状況は決して同じものではありませんでした。

    自分一人で抱えた孤独や不安、そして何にもぶつけることの出来なかった悔しさ。ここにいる誰もが、違った苦しみや葛藤を抱えながらここまで歩んで参りました。そうして自分自身で乗り越えてきた壁も、一つ一つが私達の成長へと繋がっているはずです。

    私達一人一人の目に映ってきた様々な景色と心に刻まれてきた光景は、これから先も決して色褪せることはないでしょう。そしていつの日かその思い出を糧とし、経験を誇りとしていきます。

    人は互いに全てを理解し合うことはできません。それでも私達は、“人の苦しみや痛みを考え、人を思いやること”を怠ったことはありませんでした。自分に出来ること、相手が出来ないこと、互いが互いを思いやり、共に支え合いながら困難を乗り越えてきました。

    人を思う優しさと、何事にも立ち向かう強さは、この町が教えてくれました。これから私達は、それぞれが選んだ新しい道を進んでいかなければなりません。その道でまた、乗り越えなければならない高い壁や、困難な状況に出会うかもしれません。それでも私達は前を向き、強く生きて参ります。

    この町は決して南三陸町民だけで創られてきた町ではありません。この町を思い、汗や涙を流してきた方々がたくさんいます。町民の方々は、町を盛り上げることだけでなく、私達の成長を温かく見守り、常に支えて下さいました。

    また、住む場所は違っていても、私達を思い、励まして下さった方々がたくさんいます。私達はその多くの思いを繋ぎ、これからの南三陸町を新しく創り上げて参ります。

    南三陸町に残った人も、離れなければならなくなった人も、南三陸町で培った経験や思い出を糧とし、これから互いに進むべき道を懸命に歩んで参ります。

    多くの壁を共に乗り越えたかけがえのない仲間と、今こうして南三陸町に再び集い、新成人を迎えることができたこと、私達を大きく成長させてくれた南三陸町に感謝申し上げます。そして何よりも、これまで私達を支え、南三陸町を創り上げてきたすべての方々に深く感謝申し上げます。

    今、社会の中で、多くの人々や町が、様々な状況に置かれ、困難な状況に立ち向かっています。これまで支えられ、助けられることが多かった私達はこれから、この町で得た経験と、これから互いがそれぞれの道で重ねる経験を最大限に活かし、社会を支え、大きく貢献して参りますことをここに決意し、誓いの言葉と致します。

    式典後にBuzzFeed Newsは浅野さんに話を聞いた。どういう思いをこの誓いの言葉に込めたのか。

    「今度は南三陸の私たちが力になりたい」

    「3つあります。一つはこの場にいる人の中でも、立場はそれぞれ違うということ。被災をした人も、していない人もいます。でも、みんなで南三陸を作り上げていきたいということ」

    「もう一つは、この場にいない人たちの中にも、いまの南三陸を作り上げてくれた人たちがいるということ。感謝の気持ちを込めました」

    「そして最後に、いまも全国に災害で苦しんでいる人がいるし、これからもいるでしょう。今度は南三陸の私たちが力になりたい。支えになりたい」

    南三陸の街の中心部。津波にのまれた防災庁舎の前の献花台には、この日も花が手向けられていた。かつて家屋が並んでいた周囲は、津波対策でかさ上げするための土砂がうず高く積まれ、見る影もない。

    6年が経っても、復興は道半ば。しかし、新成人たちの目は未来を見据える。

    この町を思い、汗や涙を流してきた方々がたくさんいます。私達はその多くの思いを繋ぎ、これからの南三陸町を新しく創り上げて参ります。