美術館の前に、人、人、人。
ある絵にたどり着くために、最大で5時間を超える行列ができた。まだ5月だというのに、給水所まで設けられる事態に。
東京都美術館で5月24日まで開催されていた、「若冲展」だ。
伊藤若冲(1716-1800)は江戸時代中期に京都で活躍した画家だ。その展覧会が、なぜこんなに混雑したのか。人はなぜ、若冲に惹かれるのか。
「30幅からなる『動植綵絵』と、『釈迦三尊像』の3幅、伊藤若冲の代表作が一堂に会したこと、これに尽きると思います」と話すのは、「名画謎解き鑑賞」の著者で、美術史に詳しいライターの佐藤晃子さんだ。
釈迦三尊像
『動植綵絵』『釈迦三尊像』はいずれも若冲が相国寺に寄進した傑作。だが『動植綵絵』が明治22年、宮内庁に寄進されたため、離れ離れに。それが再会したのが今回の展覧会だった。
動植綵絵
――なぜあんなに混んだんでしょうか。
1カ月という短い会期。これがまず、原因でしょうね。若冲に限ったことではないですが、たった1カ月だからこそ、これだけの作品が集まった、ということだと思います。
――なるほど。期間が短いのなら夜遅くまでやったり、予約制にしたりすればいいのに、と……。
照明が当たりっぱなしだと、作品が色あせてしまうんです。キャンバスに油彩だと、比較的丈夫なんですが、日本画は紙か絹に描くので、光に弱い。私が持ち主だったらやっぱり、やめてくれって言いますね(笑)
予約制にしたところで即日完売になって、ネットで転売、なんてことになるんでしょう。展示会の内容と期間、東京という場所を考えたら、純粋にキャパオーバー。どう頑張っても混雑するのは必然だったと思います。
――なぜ今、若冲がこんなに注目されたんでしょうか。
色鮮やかさでしょう。若冲が生活に不自由しない家の生まれだったので、最高の絵の具を使っているんです。だから、現代の私たちも、あたかも昨日描いたように見える。古いものだからありがたいんではない、今ここにある素晴らしいものとして、現代美術、ポップアートのようなものとして見てるんだと思うんです。
――若冲の独自性は?
「知る人ぞ知る」画家で、専門家は若冲のことを知っていましたが、一般層にまで有名な存在ではありませんでした。
だんだんと人気が高まっていったのは、1970年前後から。辻惟雄先生が『奇想の系譜』という本で若冲をとりあげたのも、その頃です。2000年に開催された京都国立博物館の若冲展で、ブームになりました。インターネットが普及した時期と重なったことも大きいでしょうね。
18世紀、江戸時代中期頃にもなると、経済的に余裕があり、教養豊かな人々が増えました。京都、大坂の上方と、江戸という東西の大都市圏で、腕が立つ画家たちが活躍するようになりました。
「若冲は時代を超越していた」という言い方をされることもありますが、実態は当時の京都の絵描きの中で、個性派の一人といったところでしょう。
裕福な町人の家に生まれた若冲は、本格的に画家になっても、基本的に生活のために絵を描く必要がなかった。
だから、狩野派や土佐派の画家とは違い、流派の枠内で縛られることがなく、さまざまな絵画のジャンルから学び、自らの画風を形作ることができたんです。既成の流派とは違う、どことなくユーモラスな画風が現代の人の心を惹き付けるのでは。
――若冲展は終わってしまいましたが、今回の展覧会で日本画を知った人も多いと思います。次に見るのにオススメな画家を教えてください。
9月にサントリー美術館で展覧会が始まる、鈴木其一はどうでしょう。若冲と同じように、シャープで色鮮やか。直接、若冲と関係があるわけではないですが、ポップな感じが共通していると思いますよ。