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ありのままの自分?そんなものありません。トランスジェンダーの教員が子どもたちに伝えたいこと

35歳のとき、自分がトランスジェンダーだと気付いた。42歳から「いつき」として生きてきた京都府立高校の教員が、セクシュアルマイノリティの子どもたちへ伝えたいこと。

あの日を境に、男性として生きてきた人生が一変した。自分がトランスジェンダーだと気付いたのは35歳のときだ。

京都府立高校に数学教員として勤務する土肥いつきさんは、そのときすでに結婚をしており、妻との間には2人の子どもがいた。トレードマークはパンチパーマとたくましく生えたひげ。どんな生徒にも真正面からぶつかり指導する、熱い教員だった。

「女性の服が着たい」
「女性になりたい」

小学生の頃に芽生えたそんな気持ちは、誰にも打ち明けられない自分だけの秘密。だから、「心の中の小さな箱」にそっと閉まって蓋をしていた。

1997年、「同性愛」をテーマに据えた教職員劇を作る過程で、同僚からゲイであるというカミングアウトを受けた。そして、彼から手渡された1冊の本を読み、自身のセクシュアリティに気付く。トランスジェンダーという存在を知ったとき、「これは私だ」と思ったという。

とはいえ、トランスジェンダーとして生きることには迷いがあった。

トランスジェンダーの夫を持つ妻の気持ちを、トランスジェンダーの父を持つ子の気持ちを、そして彼らが抱えうる困難を何度も何度も考えて、話し合いを重ねた上でトランスジェンダーとして生きることを選ぶ。

2004年、謙一郎は「いつき」に変わった。

トランスジェンダーであることを自認してから22年。いつきさんは、2001年からセクシュアルマイノリティの教員のコミュニティ「STN21」に関わり、2006年から「トランスジェンダー生徒交流会」を運営している。

文部科学省は2010年2015年と性的マイノリティとされる児童生徒への配慮と対応を求める通知を出した。こうしたことを背景に学校現場の状況は刻々と変化してきている。

これまでは「いない」ことにされてきたトランスジェンダーの生徒たち。だが、現在はそうした生徒たちへの配慮がときに「ガラスの天井」として立ちはだかると明かす。

正解は提示せず、「闘うのは君だ」と伝える理由

2006年から年に5回実施しているトランスジェンダー生徒交流会。医師や知り合いの教員、卒業生たちからの口コミで幼稚園児から高校生まで毎回20人程度の子どもたちが大阪の会場に集う。

生徒交流会に初めて足を踏み入れた子どもたちは呆気にとられる。自己紹介などは一切せずに、いきなり料理をつくる時間が始まる。食事後にようやく自己紹介が始まったと思えば、それぞれの近況報告が続き、気付けば日が暮れていることも少なくないという。

トランスジェンダーの生徒たちは、「性別のアイコン」である制服についての悩みや、思い通りのトイレが使えない悩み、水着や着替え場所が理由で水泳の授業を受けることが苦痛など、様々な課題に直面する。

最近の学校生活を振り返る生徒、来年に向けた抱負を語る生徒。ときには涙も交えてこうした一人ひとりの体験が語られる。だが、そこに集まった仲間と「トランスジェンダー生徒交流会」から巣立っていった先輩たちは、こうした言葉をただ受け止めることはしない。

「例えば『今年、学校のトイレが使えるようになった』と報告する生徒がいたとします。でも、その子に対して『来年の修学旅行はどうすんねん?』って厳しいツッコミが入るんですよ」

「誰かが誰かにアドバイスしそうになると、『お前がそんなんするな!』言うて、『うるさいんじゃ!』言うて止める。ある子を巡って喧嘩が起きるんです」

そこに集う高校生たちは、それぞれ切実な課題を抱えているはず。ときにはアドバイスを欲することも自然なことでは?

「何が良いのかってその子が決めることでしょ?『こういう風にすればいい』って言葉はその子自身の中にある揺らぎや試行錯誤、葛藤を奪ってしまう。揺らいだり、葛藤したり、苦しんだりする様をみんなで聞くことが大事。そこに一つの回答を与えることには何の意味もない」

なぜなら「回答を与える人間は、本当の意味でその子の状況を知ることはできない」から。だからこそ、目の前の生徒に「闘うのは君だ」と伝え続ける。

「私たちはその子のところへは行けない。裏から手を回すことは時々あります。でも、基本的に支援することはできない。その子が闘うって意識を持たなかったら、そこで終わってしまうんです」

これまで生徒交流会に参加した子どもたちは、制服の変更や通称名での通学、自認する性別でのクラブ活動など、自認する性別での学校生活を勝ちとってきた。

4月の交流会では、子どもたちがようやく勝ちとった制服で参加し、ファッションショーを行うことが恒例となっている。そんな先輩の後ろ姿を見て、後輩達がそれに続いていく。

「正解」を示すのではなく、その子自身の言葉に耳を傾ける。そんな姿勢を貫く原点にあるのはある"失敗"だ。それはいつきさん自身がトランスジェンダーであると気付く13年前、1人の生徒との間に起きた。

その生徒は在日朝鮮人で、日常生活では日本名を使用していた。いつきさんは、そんな彼女が本名を名のることにこだわった。ときに煙たがれながらも関係を持ち続け、高校を卒業し就職することを機に、彼女は本名を名のることに決める。

しかし、本名を名のったことで彼女は就職面接で差別的な発言を受けてしまう。

事を荒立てることを望んではいなかった生徒の意向に反し、いつきさんは企業に申し入れをして徹底的に抗議した。彼女を説得するとき、「日本人のために」「今後のために」そんな言葉が突いて出た。正当性は自分にあると信じて疑わなかった。

その後、彼女はいつきさんの前から姿を消した。

数年後、いつきさんは同窓会で彼女と再会する。「あの時はごめん」と謝罪したいつきさんを、彼女は「そんなこともあるよ」と笑って受け入れた。

あの日の先生の行動は自分を想ってのことではない、自分は先生の運動に「利用された」だけなのだと気付いていたはずだ。

それでも彼女は、そんないつきさんを許したのだ。

いつだって胸の内には忸怩たる思いがある

生徒たちが自認する性別での生活を勝ち取っていく、そんなストーリーはあまりに綺麗すぎる。それを続けていては社会の側はいつまでも変わらないのではないか。思わず、そんな違和感をいつきさんにぶつけられずにはいられなかった。

翌日が仕事の日には日本酒は2杯までと決めている。この日は月曜日だった。だが、「まぁええか」とつぶやき、3杯目を注文すると訥々と語り始めた。

「そりゃ、綺麗な理念を掲げているけど、個々のケースに関してはもうグダグダですよ」

柔らかい雰囲気をまとった関西弁が消えて標準語に変わる。話すスピードも心なしか速まったように感じた。

「医師が入って解決している場合がほとんどです。それがいまの学校現場の状況です」

いまも学校の「配慮」の名のもと、修学旅行で友達と同じ部屋に泊まることを許されない生徒がいる。あるいは部活に所属することはできても、性別で分かれてしまう大会には出場できない生徒がいる。

セクシュアルマイノリティへの理解のある管理職も増えつつある。だが、多くの学校現場の現状と文科省の通知との間には未だに大きなギャップが存在するのも事実だ。

こうしたケースを解決するために学校が頼るのは医師だ。生徒への適切な配慮を行う上で、「性同一性障害」という診断名を欲している側面は否定できない。

「その子が抱える課題を医師の介入によって何とか解決するたび、医師も私も忸怩たる思いを持つ。課題が解決して良かったねなんて思ったことはない。これはもう本当に忸怩たる思いですよ。『なんでこんなことせんといかんかったんや』って常にボヤきながら、目の前のケースに関わってます」

しんどさを抱えている子ども一人ひとりのケースに対応することは、例えるならばパッチワークのようなもの。それだけを続けていても、子どものしんどさを生む社会の仕組みは変わらない。だから、いつきさんは5年前から研究に希望を見出した。

「目の前の子のためにパッチワークは必要です。でも、パッチワークはどれだけやってもパッチワークなんですよ。社会のあり様と向き合うために、研究をしています」

現在は教員を続けながら大学院の博士課程に在学中。博士論文を書くために研究を続けている。

テーマは「トランスジェンダー生徒と学校」。たしかに性別を意識することは社会で生きる上で避けられない。だが、性別は1つのカテゴリーに過ぎないのだといつきさんは研究を行う中で気が付いた。

「ふさわしい振る舞いであるとか、ふさわしいとされているものが性別というカテゴリーと結びつき、その人々をカテゴライズする。そして異性愛が当たり前とされることで、いまの社会では性別というカテゴリーが強化されているんです」

「同性愛について教えるのはいつがいいですか?」という疑問を投げかけられるたび、「性の多様性について、生まれた瞬間から教えるべきです」と断言してきた。

「生まれた瞬間から、子どもたちは親を通じて異性愛について学習している。だったら、同性愛についても同じ瞬間から始めんといかん。教育の現場は学校だけじゃない。家庭や社会の中にも『隠れたカリキュラム』があるんです」

そうしてポツリと言う。

「君は生きたい性を生きられる、君は生きたいパートナーと生きられる。もちろんシングルでもいいんだよ、いろんな生き方があるんだよ、どんな生き方を選んでも不利益を被りませんって言ってもらえたら楽やんな」

「ありのままの自分」なんてない

セクシュアルマイノリティそのものが知られていない時代から数多くの取材に応えてきた。だから、検索エンジンに「土肥いつき」と打ち込めば自分が何者かは誰でも知ることができる。学校で自身のセクシュアリティについて話すことも、ごくたまにある。しかし、はっきりと全校生徒に向かってカミングアウトはしていない。

その裏には、「トランスジェンダーであることに依拠しない」ことが重要だといういつきさんなりの想いがある。

「いちいち自分の性別を言う教員もおらへんから、私も言わん。喋るとしても関係ができてからかな。だって一般的にそうじゃん。いきなり男性の○○です、なんて言わないでしょ。生徒も一緒。『トランスジェンダーの土肥先生』って言われるのが嫌なんです。土肥ちゃんは土肥ちゃん(笑)」

「『あんたは当事者やからね、だからやっているんやね』って言われたくないんです。トランスジェンダーの子どもたちの前であっても、当事者である前にひとりの教員だと思っています」

セクシュアルマイノリティについて理解が広がりつつあるいま、カミングアウトした当事者の声が拡散されることも少なくない。そんな中でありのままの自分で生きることを考えたとき、カミングアウトばかりに注目が集まりやすい一面がある。

だが、いつきさんは「カミングアウトを欲してるのは、実は社会の側とちがうん」と、そんな流れに疑問を呈す。なぜなら、カミングアウトだけが自分らしく生きる方法ではないと考えるからだ。

失敗も繰り返し、周囲に迷惑をかけながらも生きてきたからこそ思う。どれだけ必死に探しても「ありのままの自分」なんてないのでは、と。

「大切なのは葛藤や挫折、喜びや楽しさを全部ひっくるめてとりあえず生きていてよかったと思えること。それが『ありのまま』やろ。『ありのままの私』を自分の生きる先に見据えようとしたって、そんなものはない」

「振り返って見ると右往左往してばかり。でもね、失敗もいっぱいしたけど、楽しいことだっていっぱいあった。そんな自分が生きてきた軌跡をありのままって言うんじゃないかな」

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BuzzFeed Japanは東京レインボープライドの公式メディアパートナーとして、2019年4月22日から、セクシュアルマイノリティに焦点をあてたコンテンツを集中的に発信する特集「レインボー・ウィーク」を実施します。

記事や動画コンテンツのほか、「もっと日本をカラフルに」をテーマにしたオリジナル番組「もくもくニュース」を配信中(視聴はこちらから)。また、性のあり方や多様性を取り上げるメディア「Palette」とコラボし、漫画コンテンツも配信します。

4月28日(日)、29日(月・祝)に開催されるプライドフェスティバルでは、プライドパレードのライブ中継なども実施します。