免許返納しても運転できる 高齢者の暮らしを変える、新しいクルマの可能性

    高齢者ドライバーによる事故に注目が集まっている。不安なのは、免許を返納した後の生活だ。テクノロジーは高齢化社会を支えることができるのか。

    広島県に住む88歳の吉岡七郎さんは、3キロほど離れた農協や診療所にも、ひとりで移動している。乗用車ではなく、このクルマを運転して。

    吉岡さんは10年前に自動車運転免許を返納した。きっかけは、交通事故だった。

    軽トラックを運転中、後方の確認不足によって、駐車場に停車していたトラックにぶつけてしまった。幸いけが人はなかったが、「子どもを轢いてしまうなど、一歩間違えば大惨事になりかねない」と心配した家族が、半ば無理やりに返納させた。

    横浜市で今年10月28日、集団登校していた小学生の列に87歳の男が運転する軽トラックが突っ込み、1年生の男児が死亡した。高齢ドライバーによる事故は、吉岡さんの家族にとっても他人事ではなかったのだ。

    会話がなくなりテレビ漬け

    免許を失った吉岡さん。以来、出かけるときは同居している60代の息子に頼み、送ってもらうようになった。遠慮もあり、外出の回数は激減した。部屋でテレビを見て過ごし、家族と食卓についてもほとんど会話をせず、部屋に戻ってまたテレビを見る。時々、手押し車を押して庭先に出るだけの毎日。孫の吉岡伸浩さん(38)はこう話す。

    「祖父は足は悪くても気持ちはしっかりしていて畑仕事もしていたので、免許返納を納得していなかったんでしょう。田舎では、車がなければ生活が成り立たない。どんどん元気がなくなっていきました」

    免許返納後の暮らしは

    警察庁の運転免許統計によると、2015年末時点で、65歳以上の運転免許保有者は約1710万人で、全年代の20.8%。人口の高齢化に伴い、高齢ドライバーは増えている。運転に自信がなくなった人には免許の自主返納を促しているが、2015年に自主返納した65歳以上は27万人で、前年末の免許保有者の2.5%に過ぎない。危険だとわかってはいても、車を手放せない高齢者は少なくないようだ。

    免許を返納した人にバス運賃の割引サービスなどをしている自治体もあるが、もともと公共交通機関が整備されていない地域では、車を手放すことで暮らしの質が大幅に下がることがある。引きこもり、買い物難民、認知症の進行などにつながりかねない。

    吉岡七郎さんもそんなリスクを抱えていた。2年前、新しいクルマを手に入れるまでは。

    おじいちゃんのクルマが届いた!

    孫の伸浩さんが2014年、ソニーを退職し、パーソナルモビリティの生産・販売会社WHILLに入社した。同社のパーソナルモビリティ「WHILL」は、いわゆる電動車いす。だが、ガジェット好きが飛びつきそうな洗練されたデザインなのだ。

    営業担当の伸浩さんは、地方営業に回るついでに実家に寄り、七郎さんに試乗を勧めてみた。従来のシニアカーを「足の悪いじいさんみたいだ」と一蹴していた七郎さんだが、WHILLをすっかり気に入った。家族がプレゼントすると、自転車のカゴを背面に取り付けてカスタマイズし、乗り回すようになった。

    「80代でも、お年寄りっぽく見られることに抵抗を感じる人がいる。そのために電動車いすを使いづらいのだとしたら、価値観を変えたい」(伸浩さん)

    車いすのネガティブなイメージを、ポジティブに変える挑戦。成功例はある。例えば、めがね。もともとは視力矯正のための福祉機器だが、オシャレなデザインが登場した。視力が悪くなくてもファッションとして伊達めがねをかける人も出てきた。めがねをかけている人でも、視力が悪いのかファッションなのかわからなくなり、そして、そんなことはどうでもよくなった。

    「障害の有無や年齢を問わず、誰もが乗りたいと思えるようなクルマを目指します」

    スマホで遠隔操作できる

    デザインだけでなく機能でも、WHILLは電動車いすの”常識”を超えようとしている。4輪駆動で、7.5センチの段差も乗り越えられる。PCのマウスを扱うように片手で自在に前後左右に操作でき、手を離すことでブレーキになる。スマートフォンのアプリを使えば、介助者が遠隔操作することも可能だ。2015年には東京モーターショーにも出展した。

    同社で働いているのは、平均年齢32歳の若きエンジニアたち。テクノロジーを駆使し、どこまで機能的でスタイリッシュなクルマを作れるかにこだわっている。

    一方、営業の現場で対峙するのは、テクノロジーとは無縁のお年寄りたち。「公園に行けるようになったから、ラジオ体操をするようになった」「みんながカッコイイと言ってくれる」といった感想が寄せられ、エンジニアのヒントになっている。

    「聞いたこともない会社から、1台100万円もするクルマを買ってくれ、使用感を話してくれる。人生の大先輩から応援してもらっている気分です」(伸浩さん)

    車から安全に「乗り換える」

    自動車販売のヤナセは2015年10月、全国175カ所のグループ販売店で、WHILLの取り扱いを始めた。「『車は好きだけど、高齢なので自分では運転しなくなった』といったシニア層のお客さまとの関係を継続するアイテム」としている。

    WHILLの販売台数は現在、日本とアメリカで約800台。介護保険レンタルでは、月約5000円で利用できる。

    いつまでも自由に動き続けたい。超高齢化社会に向け、そんな夢を安全に叶えるクルマへの「乗り換え」が始まっている。