2分の1成人式に母親として参加してみた。感動するだけでいいの? 大人の態度が試される。

    10歳の節目で子どもの成長を祝う2分の1成人式。子どもたちはどんな気持ちで、この式に臨んでいるのか。

    小学4年生の長男(10)の2月の保護者会は「2分の1成人式」だ。

    2分の1成人式は、子どもが10歳になる節目に、親に感謝を伝えたり将来の夢を発表したりする学校行事。親にとっては涙腺崩壊ものの儀式だという。

    しかし、私は「感動してたまるか」と少し斜に構えていた。

    以前、2分の1成人式の内容に一部異議を唱えている名古屋大学大学院准教授の内田良さんに取材をしたことがあるからだ。「多様な家族形態に配慮がない」「感動を強制する」といった指摘があることを知っていた。

    例えば、親から子どもへの手紙

    1/2成人式、やっぱりこんなん書いてサプライズで渡すって… だからさーうちは6歳でパパが亡くなったのが最大のエピソードだって。大切にしてくれてたパパがいなくなったんだよ。それ書いたら先生も目がさめるだろうか…

    大阪府に住む岡まゆみさん(37)の夫は2012年、溺れている子どもを助けようとして亡くなった。長男が6歳のときだった。

    岡さんは保護者会などで「父親の死を思い出させるようなことはさせたくない」と訴えてきた。学校からは、2分の1成人式は「将来の夢を発表する場にする」と回答をもらっていた。

    ところが、学校から便箋3枚の「子どもへの手紙」を依頼された。こんな注文とともに。

    子どもたちが読んで「自分は大切にされているんだな」と感じられるようなお手紙を書いていただけるとうれしいです

    式の最後には「お父さん、お母さん、育ててくれてありがとう」と児童が声をそろえる場面があり、先生からは「どうでしたか? 感動しましたか?」と聞かれた。

    「子どもが将来の夢を語る姿だけで感動するし、親子が感謝を伝えるのは日頃のコミュニケーションで十分です。あえて式に仕立てる意味がわかりません」

    学校ごとに内容を決める

    2分の1成人式は、ここ十数年で一気にブームになった。2006年度には、東京都内の公立小学校の約半数で実施されていたという。

    「最近は集計していないので数はわかりませんが、学校を訪問すると、実施しているという声をよく聞きます」と、東京都教育委員会義務教育指導課の指導主事はBuzzFeed Newsの取材に話す。

    学習指導要領に定めはなく、都教委が勧めているわけでもない。実施するかどうかや内容は、あくまで各学校の判断だという。

    親力が試される

    東京都内の区立小学校に通うわが息子の場合。

    2月下旬にある式の準備は、昨年末には始まっていた。息子は「名前の由来を教えて」「小さいときの写真を探して」といった親参加型の宿題を持ち帰ってきた。

    「子どもへの手紙」という宿題が、親に課せられるかもしれない。そこで「2分の1成人式」をググってみたら、「親からの手紙のオススメ例文」が多数アップされていた。

    「お腹に宿したときのことや病気をしたときのことを思い出してみましょう

    「お子さんの小さいときの写真を見ながら思い出に浸るのがポイント」

    手紙がうまく書けなくて困っている親は、実はたくさんいるようだ。

    感動的なエピソードを書ける親じゃないといけない。愛情いっぱいに育てたことを証明しないといけない。

    2分の1成人式は、親がどんな子育てをしてきたかが試される場ともいえる。

    親のために何度も練習

    息子の学校の2分の1成人式は、一人ずつ教室の前に立ち、スピーチをする形式だ。教室の後ろには、保護者がずらりと並ぶ。スピーチの内容は、生まれたときの様子、名前の由来、幼いころに好きだったもの、印象に残った出来事など。乳幼児のころの写真も黒板前に投影された。

    発表する児童に「頑張れ!」と教室内でエールが沸く。子どもたちは緊張と照れを必死に隠しているように見えた。

    「私がいま頑張れるのは、お父さん、お母さんのおかげです」

    「僕を産んでくれてどうもありがとう」

    下書きを見ずに暗唱している子がほとんど。この日のために何度も練習したようだ。

    声が消え入りそうな子、落ち着きなく身体をくねらせる子もいれば、胸を張って将来の夢を述べたり、「お母さん」ではなく「母」と呼びかけたりする子もいる。

    つい、こう願ってしまう。息子には堂々とした姿を見せてほしい、失敗しないでほしい。10年間の成長を喜ぶだけで十分なはずなのに、他の子と比べてしまう自分がいた。

    子どもはどう考えている?

    息子は父親の単身赴任のため、10年の人生のうち通算4年半しか父親と暮らしたことがない。今も父親が不在なことを、同級生にはあえて言っていないらしい。同じクラスにはシングル家庭やステップファミリーなど、さまざまな家族がいる。いわば中途半端な立ち位置にいると悟った、彼なりの処世術のようだ。

    「練習のときに、からかわれた子いた?」と質問してみたら、息子はこう答えた。

    「赤ちゃんのころの写真を指さして『ブサッ』『鼻デカッ』って盛り上がった。お母さんがいない子のことは誰もからかってなかったし、その子も一緒に笑ってた」

    私は質問したことを後悔した。

    画一的な対応や家族観の押し付けが、子どもを傷つけるようなことはあってはいけない。ただ、「事情」がある子どもに配慮するべきだ、と先回りして線を引いているのは、実は大人ではないのか。

    子どもたちは、たった1回の式で「写真がなくてかわいそう」と同情されたり、他の子と能力を比べられたりする。そのことの理不尽さを分かったうえで、大人の期待に応えようと精いっぱい、式に挑んでいるように見えた。

    これから先、彼らの前にはさまざまな差別やヒエラルキーが立ちはだかる。2分の1成人式はその「前哨戦」だ。

    式をやると決める教師たち、式に参加する親たちには、まっさらな目で子どもを受け止める態度が必要ではないか。10歳の子どもの成長ぶりを目の当たりにし、そんなことを教わった。

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