これは、震度7に2度、襲われた益城町。崩れた家々があちらこちらに残る。解体が追いついていないからだ。
学生アパートが倒壊するなどの被害を出した南阿蘇村の黒川地区も、同じだ。近くの大学は熊本市内に場所を移し、町にはひと気がほとんどなくなってしまった。
土砂崩れによって崩落した「阿蘇大橋」周辺道路の復旧のめどは立っていない。
国宝の阿蘇神社も、あの日のまま。10月8日に噴火した阿蘇中岳の灰をかぶっている。観光客がようやく増えてきたなか、地域は「二重苦」に悩まされている。
県内でいまだに避難生活を続けている人たちも、188人残っている。仮設住宅の入居を待っていたり、行き場所が見つかっていなかったりするからだ。
県民のシンボルである熊本城は、瓦が落ち、このような姿に。
石垣が崩れてしまった場所も多く、立ち入り禁止になっている。修復には20年かかるという。
でも、少しずつ、復興への歩みは進んでいる。崩落を免れ「奇跡の一本柱」と呼ばれた熊本城の「飯田丸五階櫓」では、応急手当が終わった。
家々の解体作業も徐々に始まり、更地も目立つようになった。
仮設住宅では、新たなコミュニティーが生まれている。約600人が暮らす益城町の「木山団地」の集会場では週に3回お茶会が開かれ、近所の人たちが集うようになった。
「人付き合い」が課題となる仮設住宅で、少しでも住民の孤立を防ぐ目的がある。
熊本県は10月14日、県出身者が登場する、こんな動画を公開した。水前寺清子さんの「三百六十五歩のマーチ」に合わせ、高良健吾さんやスザンヌさん、そして市民たちが歌って、踊る。
動画の説明には、こんなことが書かれている。
震災から半年が経過した熊本の今の記録。
そして、ふるさとを取り戻すために復興へと歩き続ける決意の歌。
うつむくな笑え、フレフレくまもと!
震災のとき、全国紙の記者として熊本に暮らし、自らも被災した私も思う。熊本はいつの日か、しっかりと、絶対に立ち直るはずだ。