モハメド・アリ真実の姿 専属カメラマンが撮りためた現役最後の一年

    伝説のヘビー級チャンプを写した8000枚

    1977年、報道カメラマンのマイケル・ガフニーは、エルビス・プレスリーが亡くなったことを知った。ガフニーは、プレスリーを撮影する機会がなかったことを残念に思った。同時に、当時、伝説のボクサーとしてのキャリアを間も無く終えようとしていた世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリの写真を撮ることを、自分の使命とした。

    米ペンシルバニア州ディア・レイクのボクシングキャンプで、ロードワークに励むモハメド・アリ。

    「その時、モハメド・アリは(ガフニーのいたニュージャージーから)車で3時間ほどのペンシルバニア州ディア・レイクで、アーニー・シェイバース戦に向けたトレーニングをしていた。ちょうど2週間の休暇中で、チャンピオンの写真を撮りたいと以前から思っていた。自分の写真エージェンシーに電話をして、興味があるかどうか聞いてみた」

    1977年、マディソン・スクエア・ガーデンで、アーニー・シェイバース戦の数時間前に行われた記者会見。

    「モハメドに会いに、ボクシングキャンプに足を踏み入れると、彼はトレーニングルームの寝椅子にローブを着て、座っていた。彼はどこの所属なのかたずねた。私は国際的なフォトエージェンシー『Gamma-Liaison』だと話し、身分証明書を見せた。彼は目を細め『いいね。なんでも撮りたいものを撮ればいいさ』と言った」

    1975年、モハメド・アリとチャック・ウェプナーの試合を見て「ロッキー」の脚本を書いたシルベスター・スタローンが、試合前に健闘を祈ってロッカールームでアリに会う。

    「私はキャンプに10日間住み込み、全てのものを写真に撮った。アリとは、仕事仲間として友情を育んだ」

    アーニー・シェイバーズ戦の数時間前、一人きりで手足のスピード調整に取り組むアリ。誰もいないマディソン・スクエア・ガーデンで撮影した。

    ある時、アリがガフニーに短距離走を挑んだことがあった。「私は若く、体を鍛えていて、ランニング・シューズを履いていた。それでも、アリは私を完全に打ち負かした。あのスピードと体の大きさなら、アメリカンフットボールの選手になれたかもしれない。電光石火の反射神経を備えた、素晴らしいアスリートだった」

    マディソン・スクエア・ガーデンで。

    「オフィスに行き、翌日去ることを告げると、アリは『マイク、君は帰れないよ。専属写真家になって欲しいんだ 』と言った」

    試合の直前、ロッカールームでボクシング・トレーナーのアンジェロ・ダンディーがアリの手にテープを巻く。

    ガフニーは、新聞社のチーフカメラマンの仕事に戻るつもりだった。アリにも、長年の彼の友人の、ハワード・ビンガムという専属カメラマンがすでにいた。しかしビンガムは、ロサンゼルスの市議会に立候補しており、トレーニングキャンプを離れていた。

    アリとアーニー・シェイバーズ。1977年、マディソン・スクエア・ガーデンにて。15ラウンドを闘い、アリが勝利した。

    「アリはお得意のマーロン・ブランドのゴッドファーザーのモノマネをして『文句は言わさん』と言った。私は笑って『妻と相談してみないと』と言ったのさ」

    1977年、マイアミ・ビーチの五番街ジムで。

    ガフニーは1年間、アリの専属写真家になった後、3つの試合を写真に収め、計8000枚の写真を撮った。

    1977年、マイアミビーチで。アリは砂浜を重い軍靴で走って足を鍛えていたので、リングで履くボクシングシューズは軽く感じられたに違いない。

    「チャンピオンとのインタビューを録音するため、小さなカセット・レコーダーを持ち歩いていた。リムジンに乗っている間や、ふとした瞬間の音、破天荒な記者会見や彼の講釈を録音したんだ」

    車中のアリと家族。ディア・レイクからワシントンDCへ向かう道中。ホワイトハウスを特別訪問し、米国大統領ジミー・カーターに会いにいく道中。

    「当代で最も非凡な人物を、正直かつ正確に記録する責任が私にはあることがわかっていた。それに、チャンピオンがくれたこのチャンスを、尊重したかった」

    1977年、ミシガン州デトロイトの路上にて。リムジンを停めてファンたちと触れ合うアリ。

    「彼が人々に接する姿を見るのは驚きだった。彼は全員に、親しみ深く接した。ハグし、写真を撮り、自筆のサインをし、赤ちゃんにキスした。感動的だった。みんな彼を愛していた。彼も愛情を返してくれるからだ」

    1978年、鏡に向かってボクシングをしているアリ。

    その年の終わり、ガフニーは自分がアリの撮影を通じて得たものを、振り返った。

    歴史上最も有名な、ボクシングのコーナー。1978年のスピンクスとの初戦の後半に、チャンピオンのセコンドを務めたワリ「ブラッド」モハメドとドリュー「バンディーニ」ブラウン。

    「私は写真キャプション以上の文章は書いたことがなかったが、使命感に駆られて全ての写真とストーリーをまとめた。それが The Champ: My Year With Muhammad Aliという本にになったんだ」

    フロリダ州マイアミビーチの五番街ジムにて。世界ヘビー級チャンピオンシップでレオン・スピンクスに負けた直後のモハメド・アリ。当時36歳。7か月後、アリは王座を奪還した。

    「そこには全てがあった。モハメド・アリの人生の、ある1年の完璧な三部作だ。アーニー・シェイバースからの辛勝、レオン・スピンクスとの闘いにおける衝撃的な敗北、そして栄光の、贖罪ともいえるカムバック勝利だ」

    アリはスピンクスを破り、前人未到の3度目のヘビー級チャンピオンに輝いた。アリのボディーガード、パット・パターソンが即席の記者会見で片手を空に向けて「3」を突き上げた。

    マイケル・ガフニーの展覧会 The Champ: My Year with Muhammad Ali は ロンドンのProud Camdenで、2016年5月15日まで開催されている。


    修正

    エルビス・プレスリーが亡くなったのは1997年ではなく、1977年でした。訂正いたします。