ローマの王・トッティは生まれ育ったクラブで、キャリアを終えることを決めた

    東京ヴェルディの交渉は失敗

    今季限りでASローマを退団し、去就が注目されていたフランチェスコ・トッティが、日本時間7月18日、現役引退をフェイスブックで発表した。

    ASローマは、公式ホームページでトッティのディレクター職への就任を発表。

    トッティはクラブの公式ページでのインタビューで、ディレクター職就任について「サッカー選手として過ごした人生の第1章は終わり、ディレクターとしてのより重要な役割が始まる。ピッチで見せたようなインパクトを与えられたらうれしい」と話している。

    トッティの去就については、J2東京ヴェルディが獲得に乗り出しており、交渉を担当した良藤辰夫氏は9日にローマ入りしていた。

    だが16日には「東京ヴェルディサポーターの皆様、ごめんなさい。力及ばずでした」と破談したことを明かしていた。

    東京ヴェルディサポーターの皆様、ごめんなさい。力及ばずでした。詳しいことはここでは書きませんが、これまでの事、ここで起きたことは、近々何かの形できちんとお話しできればと思います。 今夜の湘南戦、素晴らしい試合を期待します。

    ヴェルディの羽生英之社長は16日、日刊スポーツの取材に対し、日本でのプレーについて家族の了承が得られず、「1回も会えずに終わってしまった」と直接交渉に至らなかったと明かしている。

    偉大なるバンディエラ

    華麗なプレーと高い得点力から“ファンタジスタ”の名をほしいままにしたトッティ。

    イタリア代表では2006年にW杯を獲得し、世界有数のプレイヤーと呼ばれたが、クラブレベルでは中田英寿も所属した2000-2001シーズンのセリエA制覇、2回の国内カップ制覇とタイトル獲得はあまりに少ない。

    1989年に下部組織に入団してから28年間、けして金銭的には恵まれていたとはいえない ASローマ一筋のサッカー人生だったからだ。

    タイトルが欲しくなかった訳ではない。2003年にはレアル・マドリードへ移籍寸前となったが、最終的に家族と友人の説得もあり、生まれ育ったローマへの残留を決めた。

    イタリアではチームを長らく支える中心選手をバンディエラ(旗頭)と呼ぶが、有力選手が国内外の強豪チームに引き抜かれる現在のサッカー界において、トッティのキャリアは一つの奇跡といえる。

    5月28日、ローマ最後の試合の後に行われたセレモニーで「君たちと俺はいつもともにある。もうこの足で楽しませることはないだろう。けれど、心はいつも君たちとともにある」とサポーターに呼びかけたトッティ。

    今後はディレクターとして、生まれ育ったクラブ、サポーターのために奮闘していく。