秋田の、東北の夢かなわず。されど爽やかな風吹く。
第100回全国高校野球選手権大会の決勝が8月21日、阪神甲子園球場で行われ、大阪桐蔭(北大阪)が13-2で金足農業(秋田)に勝利し、4年ぶり5回目の優勝を果たした。
103年ぶりに秋田勢として決勝に進出した金足農業だが、東北勢として初の甲子園優勝の夢はならなかった。
金足農の吉田、6試合881球でついに降板
秋田、そして東北勢の悲願となる初Vか。史上初となる2度の春夏連覇か。100回記念大会決勝はどちらが勝っても史上初というメモリアルな試合となった。
注目を浴びた金足農のエース、吉田輝星投手。秋田大会の初戦から全て先発し、甲子園でも5試合749球を投げていた。
つらい終盤にも白い歯を見せ印象的な吉田だが、前日の準決勝も134球の熱投。さすがに疲れは残っていた。
1回裏、先頭打者の宮崎仁斗を四球で歩かせると、2番・青地斗舞が右前打。3、4番を連続三振に取るも、5番・根尾昂は四球で2死満塁。ここで暴投し、先制点を奪われると石川瑞貴の2点タイムリーを浴び、3点を先取される。
金足農も3回表、先頭の斎藤璃玖が四球で出塁。送りバント、ワイルドピッチで1死三塁とし、犠牲フライで1点を返す。
しかし、史上最強と言われる大阪桐蔭の壁は厚かった。
4回裏、セカンドのエラーと四球で1死一、二塁。迎えた1番・宮崎に高めの球をライトスタンドへ運ばれ、5点差となる。
吉田は試合後の談話で「序盤は粘れたが、4回くらいから下半身が思うようにいかなくなった。そこを大阪桐蔭にコンパクトに狙われた」と話した。
5回裏、先頭の4番・藤原恭大が技ありのヒットで出塁すると、吉田の球数は100球を超える。
迎える打者はプロ注目の5番・根尾。3球目に投じた高めの球をバックスクリーンへの一撃を浴びた。
この回、吉田は6失点。球数は132球となっていた。
6回裏、今大会で初めて吉田がマウンドを降りる。代わった打川和輝はランナーは出すも、なんとか無失点に抑える。外野の吉田はアウトを取るたびに打川に拍手を送った。
7回表、1死一塁から菊地亮太がライトを超える2塁打を放ち、1点を返す。
金足農のナインに悲壮感はない。バッターボックスに立つその顔には、笑顔が浮かんでした。
しかし大阪桐蔭の柿木も意地を見せ、追加点を許さず。
9回も大阪桐蔭の柿木が3人に打ち取り、試合終了。史上初となる大阪桐蔭の2度の春夏連覇が達成した。
敗れた瞬間、秋田市内で観戦していた人たちからは「金足農業ありがとう」と拍手が起こった。
金足農の応援で興奮しすぎると話題を読んだ秋田朝日放送のアカウントも球児たちに感謝のツイート。
地元紙・秋田魁新報は敗れても号外を出した。
東北勢として12度目となる甲子園優勝への挑戦だったが、念願は叶わず。深紅の優勝旗はまたも白河の関を超えなかった。
金成農の3年生は、ボールボーイを務めた川和田優斗も含めて10人。1番を務めた菅原天空の父は同校の野球部 OBで、現在はコーチを務める。吉田の父も金成農で投手を務めたOBだ。
地元秋田出身で、中学時代から知る仲で、3年間、この舞台を夢見てやってきた。
この夏は秋田大会初戦から甲子園決勝まで、代打などの途中出場は最後までなく、3年生9人で戦い抜いた。
1年生のころ、バセドウ病と診断され、一時は野球を諦めかけた主将の佐々木大夢は試合後「吉田を日本一のピッチャーにしたかった。中泉監督を胴上げしたかった」と涙ながらにコメント。
2番手投手として登板した打川和輝は「決勝までこれて一生の宝。吉田が打たれたら仕方がない」と吉田をかばった。
試合後の談話、吉田は「地域に支えられて、決勝の夢の舞台までこられた。大会を通じてチームメイトに救われた」と語った通り、地域に根付いた、団結力の強いチームだった。
閉会式、準優勝校として金足農が紹介されると甲子園に集まった大観衆からは万雷の拍手が起こった。
秋田県勢としては103年ぶり、農業高校としては戦後初の決勝進出と記録づくめのチームだったが、笑顔が絶えないプレー、全力で歌う校歌と数字では計れないひたむきさで、100回を迎えた甲子園にさわやかな風を吹かせた。