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【プロ野球】ドラフト指名で、過去に入団拒否した選手たち

4回拒否した選手も…

日本ハムからドラフト6位指名を受けた山口裕次郎投手(履正社)が、入団を拒否する方針であることが報じられました

▲山口裕次郎投手(上左)
時事通信

▲山口裕次郎投手(上左)

報道によれば、同校の岡田龍生監督は「本人が『行きません』と言っているので、こちらとしても(プロへ)行かせることはできない」と話しています。

山口投手は、ドラフト前から、家族と話し合いを重ねており、4位以下なら社会人野球に進むと明言していたとのこと。

プロ行きも、最後は自分の意思次第。では、過去に入団拒否した選手は? まとめてみました。

江川卓

▲阪急、クラウンと指名を2度拒否。1978年に阪神に1位指名され、入団後すぐトレードされ、念願だった巨人に入団。この一連の騒動は「江川事件」「空白の一日」と呼ばれる
時事通信

▲阪急、クラウンと指名を2度拒否。1978年に阪神に1位指名され、入団後すぐトレードされ、念願だった巨人に入団。この一連の騒動は「江川事件」「空白の一日」と呼ばれる

菅野智之(現・巨人)

▲巨人と日本ハムの重複指名の末、日本ハムが交渉権を獲得するものの、入団を拒否。大学の卒業延期制度を利用し、翌年、巨人に入団
時事通信

▲巨人と日本ハムの重複指名の末、日本ハムが交渉権を獲得するものの、入団を拒否。大学の卒業延期制度を利用し、翌年、巨人に入団

長野久義(現・巨人)

▲2006年に日本ハム、2008年には千葉ロッテの指名を拒否。2009年に念願だった巨人にドラフト1位で指名され入団
時事通信

▲2006年に日本ハム、2008年には千葉ロッテの指名を拒否。2009年に念願だった巨人にドラフト1位で指名され入団

新垣渚

▲1998年、オリックス1位指名を拒否。2002年に、入団を希望していた福岡ダイエーホークス(当時)に自由獲得枠で入団。その後、ヤクルトスワローズに移籍
時事通信

▲1998年、オリックス1位指名を拒否。2002年に、入団を希望していた福岡ダイエーホークス(当時)に自由獲得枠で入団。その後、ヤクルトスワローズに移籍

江本孟紀

▲1965年に西鉄の4位指名を拒否し、1970年に東映へドラフト外で入団した。1981年、「ベンチがアホやから野球がでけへん」と監督を批判。謝罪するも同年限りで現役を引退した
時事通信

▲1965年に西鉄の4位指名を拒否し、1970年に東映へドラフト外で入団した。1981年、「ベンチがアホやから野球がでけへん」と監督を批判。謝罪するも同年限りで現役を引退した

谷沢健一

▲1965年に阪急の4位指名を拒否し、早稲田大学に進学。1969年に中日に1位指名され入団。現在は、プロ野球解説者などで活躍
時事通信

▲1965年に阪急の4位指名を拒否し、早稲田大学に進学。1969年に中日に1位指名され入団。現在は、プロ野球解説者などで活躍

元木大介

▲1989年に福岡ダイエーホークス(当時)の1位指名を拒否。1年間ハワイに野球留学したあと、翌年に巨人の1位指名で入団した
時事通信

▲1989年に福岡ダイエーホークス(当時)の1位指名を拒否。1年間ハワイに野球留学したあと、翌年に巨人の1位指名で入団した

山田久志

▲1967年に西鉄の11位指名を拒否。翌年に阪急の1位指名で入団した。アンダースロー投手としては、日本プロ野球最多となる通算284勝を記録
時事通信

▲1967年に西鉄の11位指名を拒否。翌年に阪急の1位指名で入団した。アンダースロー投手としては、日本プロ野球最多となる通算284勝を記録

門田博光

▲1968年に阪急の12位指名を拒否し、1969年に南海2位指名で入団。40歳で44本塁打を記録するなど、ホームランへのこだわりが強く、「ホームランの当たり損ねがヒット」と語ったこともある
時事通信

▲1968年に阪急の12位指名を拒否し、1969年に南海2位指名で入団。40歳で44本塁打を記録するなど、ホームランへのこだわりが強く、「ホームランの当たり損ねがヒット」と語ったこともある

川口和久

▲1977年にロッテの6位指名を拒否し、1980年に広島の1位指名で入団。現役時代はリチャード・ギア似の甘いマスクから女性の人気も高かった
時事通信

▲1977年にロッテの6位指名を拒否し、1980年に広島の1位指名で入団。現役時代はリチャード・ギア似の甘いマスクから女性の人気も高かった

福井優也(現・広島カープ)

▲2005年、巨人に4巡目で指名されるも、指名順位が低いと入団拒否。2010年、ドラフト1位で広島カープに指名され入団。巨人の指名を拒否した珍しい選手のひとり
時事通信

▲2005年、巨人に4巡目で指名されるも、指名順位が低いと入団拒否。2010年、ドラフト1位で広島カープに指名され入団。巨人の指名を拒否した珍しい選手のひとり

平松政次

▲1965年に中日の4位指名を拒否し、翌年に大洋の2位指名で入団。入団後は得意のシュートを武器に、通算201勝をはたす。現在は解説者として活躍
時事通信

▲1965年に中日の4位指名を拒否し、翌年に大洋の2位指名で入団。入団後は得意のシュートを武器に、通算201勝をはたす。現在は解説者として活躍

内海哲也(現・巨人)

▲2000年、オリックスの1位指名を拒否。2003年、3年越しの願いが叶い、自由獲得枠で巨人に入団した
時事通信

▲2000年、オリックスの1位指名を拒否。2003年、3年越しの願いが叶い、自由獲得枠で巨人に入団した

小池秀郎

▲1990年に西武、ヤクルト、阪神、ロッテ、中日、広島、日本ハム、近鉄から1位指名を受ける。これは、野茂英雄と並ぶ8球団競合指名となった。ロッテが交渉権を獲得するものの、入団を拒否。松下電器を経て、1992年に近鉄に入団。
時事通信

▲1990年に西武、ヤクルト、阪神、ロッテ、中日、広島、日本ハム、近鉄から1位指名を受ける。これは、野茂英雄と並ぶ8球団競合指名となった。ロッテが交渉権を獲得するものの、入団を拒否。松下電器を経て、1992年に近鉄に入団。

新井宏昌

▲1970年、近鉄の9位指名を拒否し、法政大学経営学部に進学。1974年に南海から2位指名を受け、入団した。1985年には、山口哲治との交換トレードで近鉄バファローズに移籍している
時事通信

▲1970年、近鉄の9位指名を拒否し、法政大学経営学部に進学。1974年に南海から2位指名を受け、入団した。1985年には、山口哲治との交換トレードで近鉄バファローズに移籍している

福留孝介(現・阪神)

▲1995年、7球団から1位指名を受ける。近鉄が交渉権を獲得するが、福留は拒否し、社会人野球に進む。3年後の1998年のドラフト会議で中日を逆指名し、ドラフト1位で入団した
時事通信

▲1995年、7球団から1位指名を受ける。近鉄が交渉権を獲得するが、福留は拒否し、社会人野球に進む。3年後の1998年のドラフト会議で中日を逆指名し、ドラフト1位で入団した

藤沢公也

▲1969年、71年、73年、76年と指名を4度拒否。ドラフト5回指名と4回入団拒否は日本プロ野球史上最多である。1978年オフに中日に入団するも、1984年に引退
時事通信

▲1969年、71年、73年、76年と指名を4度拒否。ドラフト5回指名と4回入団拒否は日本プロ野球史上最多である。1978年オフに中日に入団するも、1984年に引退