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「人と違うことが怖かった」68歳でゲイだと告白した俳優が政治家に伝えたいこと

「スタートレック」のジョージ・タケイさんが来日し、11月7日、日本の政治家にマイノリティと権利について語った。

その昔、彼は宇宙船の操縦士だった。あらゆる民族、文化、星に生まれた船員を乗せた船で銀河中を飛び回る彼らの冒険譚に、人々は夢中になった。

彼の名はジョージ・タケイ。80歳。

世界中に熱狂的なファンを誇るSFシリーズ「スタートレック」で、エンタープライズ号の操縦士ヒカル・スールー役を演じた日系アメリカ人の俳優だ。

日経3世としてロサンゼルスに生まれたタケイさんは第二次世界大戦中、日系人であることを理由に強制収容所に収容された。

そして2005年、68歳のときにゲイだとカミングアウト。民族と性的志向、二つのマイノリティの当事者として声を上げてきた。

来日したタケイさんは11月7日、超党派の国会議員でつくる「LGBTに関する課題を考える議員連盟」との意見交換会(LGBT法連合会主催)に参加した。

そこで、彼が日本の政治家に語った人生、思いとは。BuzzFeed Newsはタケイさんの発言を一部書き起こした。

5歳のときに強制収容所へ

タケイさんは1937年4月、日系3世としてアメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれた。

不動産業を営む両親と、幼い弟妹の5人家族。平和な日々を送る一家に転機が訪れたのは1941年12月7日、日本軍による真珠湾攻撃だった。

それまで普通の生活を送っていた日系アメリカ人に、一夜にして疑いや恐怖の目が向けられた。

翌年2月、当時のフランクリン・ルーズベルト大統領は西海岸とハワイの一部地域に住む日系アメリカ人に立ち退きを命じ、強制収容所へ連行させた。

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5歳だったタケイさんは、生まれ育った家を追い出された日のことを忘れることができないという。


ある朝、両親が私と一つ年下の弟、まだ生まれたばかりの妹を揺り起こしました。急いで着替えをさせ、私と弟にリビングで待つよう言いつけると、自分たちは急いで荷物をまとめ始めたんです。

すると、窓の外に銃剣を持った二人の兵士が家に向かってくるのが見えました。兵士は家のポーチに踏み込むと、拳でドアを叩きました。父が出ると、まさに銃を突きつけた状態で家から出て行くよう命じました。

父は私と弟にそれぞれ小さな荷物を持たせ、私たちは家を出ました。片手で妹を抱え、もう片方の手に重い荷物を持った母が、涙を流していたことを覚えています。

ロサンゼルスの家から追い出された私たちは、遠く離れたアーカンザスの沼地にある強制収容所に送られました。

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収容所を取り囲む有刺鉄線を、私は覚えています。見張り塔の上からマシンガンを向けられていたことも、よく覚えています。

夜に家の外にあるトイレへ行くときは、いつもサーチライトに照らされていました。まだ5歳で幼かった私は「おしっこに行く道を照らしてくれるなんて親切だなあ…」と思っていたことも覚えています。

私は子どもでしたが、両親が経験した屈辱は比べ物にならないでしょう。自分たちが人生をかけて築いてきた家、仕事、安全を何の理由もなく奪われたのですから。

こうした屈辱は私たち家族だけが経験したものではなく、さらにひどい状況にあった人々もいました。私たちはみな、人としての尊厳を踏みにじられたのです。


タケイさんは、終戦までの3年あまりを強制収容所で過ごした。解放されたときに家族に残されていたのは、故郷ロサンゼルスまでの片道切符と政府から支給された25ドルだけだった。

当時、強制収容された日系アメリカ人の数は12万人を超えた。

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もう一つの「差別」

タケイさんはその後、人生で「もう一つの差別」を経験することになる。同性愛者などLGBT(性的少数者)に対する差別だ。

10歳くらいの頃から、タケイさんは自分が日系人である以外にも、「人と違う」部分があることに気がついた。

だが、日系人であることを理由に強制収容所に送られた経験から、再び自分が生まれ持ったもののせいで、「普通」から外れてしまうことが何よりも恐ろしかったという。


10代の頃は、誰もがみんなと溶け込みたい、仲間になりたいと必死になるものです。

だから、周りが彼女をつくるようになれば、私も彼女をつくりました。男友だちからダブルデートに誘われたら、ダブルデートに行きました。

でもいつも私は自分の相手よりも、男友だちのことが気になって仕方がありませんでした。

「普通」でいたかった。安全でいたかった。日系人だというだけで犯罪者や敵と扱われた経験があったからこそ、とにかく「普通」でいたいと思いました。

歳を重ねるにつれ、自分の中にある気持ちと向き合わざるを得なくなりました。ですが、同時に俳優というとても公で、多くの人の目に晒される仕事をする上で、「普通」でいることはとても重要なことでした。

だから上映会や業界のパーティーには、必ず女友だちを連れて行きました。私は仮面をかぶって生きていたのです。

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当時、タケイさんが唯一心から安心してくつろげる場所は、仲間たちが集うゲイバーだけだった。

だがそこでも警察が客を署へ連行し、指紋や写真をとって名簿を作る抜き打ちの「捜査」が行われていたという。

逮捕された人々にとっては、情報が外部に漏れれば仕事や家族を失う恐れもあった。絶望した友人たちの中には追い詰められ、自ら命を絶ってしまう人もいた。

その苦しみは、タケイさんやその家族が日系人として経験した出来事と重なった。


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あのひどい、正義に反する仕打ちは、私が5歳の時に日系アメリカ人として経験したのと同じ差別でした。

私の両親が生活全てを奪われたように、バーにいたLGBTの人たちは誰も傷つけずに、友人との時間を楽しんでいただけでした。なのに、その行為が犯罪とみなされ、逮捕されたのです。

差別は「無知」から生まれます。人の生まれ持った違いや本質に目を向けないことから生まれるのです。

また、差別は社会的な圧力や臆病から生まれます。人々は自分のありのままの姿を認めることを恐れ、正しいことのために立ち上がることが怖かったのです。


二つのマイノリティとして、先頭に立つ

タケイさんは二つのマイノリティとして、声をあげ、先頭に立ってきた。

2015年にはブロードウェイで、自身の実体験をもとに強制収容所での暮らしを描いたミュージカル「アリージャンス(忠誠)」の上演をはじめた。

トランプ大統領が日系アメリカ人の強制収容に賛同するか問われ、「当時の状況にいなければ正確には答えられない質問だ」と濁した際には、Facebookに動画を投稿し、こう呼びかけ、批判した。

「では、私のミュージカルに招待します。恐怖を煽る政治によって、不当に収容所に閉じ込められた家族がどんな経験をしたのか、あなたも知ることができるでしょう」

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また、2005年にゲイだとカミングアウトし、2008年にカリフォルニア州の最高裁判所が同性婚を認めると、20年来のパートナーだったブラッド・オルトマンさんと結婚した。

ゲイだと公表したのが、68歳。結婚は、71歳。「俳優としてのキャリアを捨てる覚悟もできていました」とタケイさんは言う。

その後、同性婚をアメリカ全土に広げようと活動を続け、2015年に実現した。より多くの人の支援を集めるために大切にしたのは、「私たちはみな家族である」というメッセージだ。


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LGBTの人たちはみな、誰かの家族なのです。私たちは息子であり、娘であり、兄弟であり、姉妹であり、場合によっては父親や母親なのです。

血縁者であり、血と肉を分け合っているのに、その仲間を差別することは自然ではありません。

最も自然なのは子から親への愛、そして親から子への愛なのです。私たちはそれを(アメリカで)強調しました。

家族であること、血縁があること、私たちは家族の一員であること。それが議員たちに伝わり、彼らは自身の息子や娘たちがゲイであることを知り、その子供たちの大きな支えになりました。


日本の政治家への問いかけ

意見交換会では、タケイさんから集まった議員たちに向けて質問も投げかけられた。

それは、渋谷区が2015年11月に同性カップルに交付を始めた「パートナーシップ証明書」には実際、どんな意味があるのか、という問いだった。

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アメリカ全土で同性カップルが結婚できる権利を得るために、私たちは長く大変な戦いを続けてきました。そしてついに2015年、同性婚を憲法上の権利として認める連邦最高裁判所の判決を得ることができました。

だから私は渋谷区の「パートナーシップ証明書」について聞いたとき、不思議で仕方がなかったのです。

日本の一都市である東京の、ある区のみで認められている「結婚」には、どんな意味があるのでしょうか。彼らがもし新宿やお台場などへ引っ越したら、その「結婚」はどうなってしまうのですか?

渋谷区で認められている「パートナーシップ」にはどのような意味があるのか、皆さんは説明できるでしょうか?


会の終了までに、議員から明確な答えが得られることはなかった。

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オリンピックまでに虹色の国に

最後にタケイさんは、レインボーという言葉に込められた意味と、3年後に控えている東京オリンピックを引き合いに出し、こうメッセージを送った。


私が今回泊まっているお台場のホテルからは、レインボーブリッジが見えます。

虹はたくさんの色が一つになって、分断を生む水の上に橋を架ける。レインボーという言葉は、私たちLGBTにとって本当に多くのことを象徴する言葉なんです。

3年前に日本へ来たとき、ファーストレディである安倍昭恵さんが(LGBTヘのサポートを表明する)東京レインボープライドのパレードに参加したときの話をしてくれました。

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アメリカのプライドパレードに、私たちのファーストレディが参加したことはありません。

あなたたちはもうそのサポートを得ることができている。これはすごいことなんです。

だからこそ、3年後に世界中から最高のアスリートたちが集まってくる祭典が開かれるときまでに。日本が真に「虹色」の国になっていることを、私は願います。


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アップデート

冒頭に取材の日付を加筆しました。


BuzzFeed JapanNews
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