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お父さんがガンになった時に学んだ4つのこと

フランスと日本。離れて住む父親の病気と向き合った話。

Mayumi Kochi / BuzzFeed / Via manabukochi.com

お父さんや、お母さんが突然、重い病気になる。そんな状況を想像したこと、ありますか?

私は、ありませんでした。これから書くのは、私の家族に起こったことです。あなたの家族は病気になるかもしれないし、ならないかもしれない。でも、私の家族の話から何か学んでもらえるかもしれません。

母からの電話

去年の7月、フランスに住んでいる母(65歳)から電話がきました。「お父さん、癌なの…」と聞いた瞬間のことは、今もはっきりと覚えています。

元気な父(64歳)が珍しく体調を崩し、病院に行ったところ、腎臓癌と診断されました。肝臓、肺、骨にまで広がり、手術もできない状態でした。

仕事で東京に住む私は、目の前が暗くなるような強いショックを受けました。家族にそういうことが起きると、本当につらい気持ちに襲われます。

しかも、遠く離れていて、何もできない。

みんなそれぞれ、その苦しみや悲しみと向き合う方法があると思います。時には、ネガティブなことがどうしても頭に浮かんでしまう。

私がどうやって来たのかを、お話したいと思います。

フランスに移住した両親

Mayumi Kochi / BuzzFeed

フランス、実家にある父のアトリエ

父は画家、彫刻家です。母と共に27歳の時、フランスに移住しました。絵を書き、彫刻を作る父。最初の頃は、母が仕事に出て家計を支えていたそうです。

10年経って父の作品が売れ始め、ようやく生活が落ち着いた頃に生まれたのが私です。

父は家で仕事をしていたため、食事はいつも家族揃って。会話が絶えない家族で、両親は日本語で、私はフランス語で。そうやって、きずなを深めてきました。

私は18歳までフランスの学校に通って、大学を卒業した後、6年前に、一人で日本に来ました。弟はオランダの大学に行き、両親は2人でパリ郊外に住んでいます。

私は東京の大学院を卒業し、そのまま就職。今はBuzzFeed Japanで働いています。フランスに帰るのは、年に1回ぐらい。日本語も上達して、両親とも日本語で話すようになってました。

母から父の病気を告げる電話があったのは、両親と離れた生活にも慣れた、そんな時でした。

父の病気と向き合って学んだことを4つ、紹介します。


1. 自分が落ち込むと相手も落ち込んでしまう

父が癌になったとき、遠く離れている自分が何も出来ないことがとてもつらかったです。父が日々どんな状態でいるかすら分からず、とても不安な思いをしました。

しばらくして、父からメールがきました。

「病気になるのは、ある意味人間の自然な事でもあると思う。最初は辛かったけど、一旦病気を受け止めたら、楽になったよ。今まで通り心配しないで頑張って普通の生活を送って欲しい」

そう言われた瞬間、複雑な気持ちになりました。

父は、私を心配させないように余計な感情は見せませんでした。でも、父のために何かできることはないかと思いました。

そこで私が始めたのは、自分の日々の生活の話をしたり、普通に父との会話を楽しんだりすることです。まるで、母から病気の話を聞く前のように。

それまでは、「お父さん頑張ろう」「大丈夫、お父さんなら乗り越えられる」というような言葉しか出てこなかった。以前のような自然な会話ができなくなっていました。

自分が落ち込んでしまって、相手も落ち込んでいるだろうと「頑張ろう」と声をかける。でも、そうやって会話を楽しむことができなければ、私も辛いし、父もそれを感じて辛いでしょう。自分が落ち込むと、相手も落ち込んでしまいます。

父からのメールが届いて、話し方を変えると、父と以前のように、ときには笑いながら、会話ができるようになりました。


2.本人だけではなく、周りで支えている人を支えよう

母は、必死で父の看病をしていました。辛い思いをしながらも、私には心配をかけないように、前向きに話をしていました。

でも、当たり前のことですが、本当はとても苦しんでいました。

その後、叔母から聞いたのですが、精神的なショックから1ヶ月間ほとんど眠れない夜が続き、精神安定剤や睡眠薬を取りながら、看病や生活をやりくりしていました。

私は、もっと早く気づくべきでした。すぐに母に電話をしました。

「気分転換に買い物とか友達と会ったりしたらどう?」

母は自分でもそうするべきだとわかっていたみたいです。でも、父の病気を治したい一心で、全てを背負いこんで、気分転換をする余裕がなかった。

娘である私に言われて、少し気が楽になったようでした。頭でわかっていることを、身近な誰かが背中を押してあげることが大切だったようです。

父のためにも、気分転換することも大事です。父も母のことを心配していたからです。それから、母は極度の不安状態から回復に向かっていきました。


3.同じ経験をした人に相談する

自分の事だから自分だけの事にしておく人もいます。周りには余計な負担をかけたくない。でも、一人で抱え込むことはあまりにも辛い。

父の病気を知った数週間後、誰かに相談したい気持ちになり、同じ経験をしてきた友達に連絡をしました。

友人も父と深い関係でいて、できるだけ病院に通ってそばにいました。

「病室」という空間は、ただ寝ている部屋ではありません。毎日幸せな時間も過ごせる空間でもあると教えてくれました。

一緒に映画をみたり、病気を忘れさせる会話やアクティビティもたくさん出来ます。

私の父の治療の場合は、家にいても大丈夫でした。

ただ、普段絵を書いてるアトリエに行けず、毎日、ベッドで休んでいる時間が多かったです。私はそれを知って、手元ですぐ使える様々なサイズのスケッチブックや本を買って、フランスに帰った時にお父さんに渡しました。

父は喜んでくれて、毎日複数のスケッチを描いていました。

少しでも気持ちを共感できることで、いろんな可能性が見えてきます。


4.後悔する前に、親と話したいことは今話そう

自分の親はまだ若いと思っていました。でも病気や事故は突然きます。

今になって、たくさん聞きたかった事が出てきます。若い時どんな生活をしてたかとか、一番嬉しかった日とか。

日本には「以心伝心」という表現があって、愛情を言葉で伝えることはあまりありません。

私は、フランスに住んでいた時、心に思っていても、親との会話は日本語なので、「お父さん、お母さん、ありがとう」など頻繁に伝えることはありませんでした。

もっと気持ちを伝えてこなかったのが、私にとっての大きな悔いです。「言わなくてもお互い通じあっているなら大丈夫だよ」と言われることもありますが、やはり気持ちはきちんと言葉でも伝えるべきだと思いました。


父が癌になってから、1年たちます。たったの一年かもしれませんが私にとっては、一番長い一年でした。

今、父は、ガン治療を続けながら少しずつ元気になっています。

そして、2018年6月19日にパリの国立アラブ世界研究所(IMA)の国立美術館に、父の作品45点が、永久収蔵されることが決まりました。

これは、私の名付け親でもあるフランス&クロード・ ルマン氏の美術コレクション財団が所有する美術品の中から1300点を、この美術館に贈呈する中に含まれるものです。作品は、永久収蔵されます。

常時展示は、改装工事の後にオープンする予定ですが、その前に来月から特別企画「実在しない鳥の肖像」展が開催されることになりました。その中に父の水彩画約20点も公開されます。

これら20点の水彩画は、父がガン治療中に描いた絵です。全部で約600点描きました。薬の副作用で皮膚も弱くなり、筆もまともに掴めず手の痛さを堪えながら描いていました。

Mayumi Kochi / Buzzfeed

パリの国立アラブ世界研究所(IMA)の美術館に展示される水彩画20点の2点

回復が順調に進んで安心している一方で、まだ心配もあります。でも、病を通じて、家族の絆はもっと深くなり、新たな幸せも発見できたと感じています。

「お父さん、お母さん、ありがとう」