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お笑いのネタは「米軍基地問題」、沖縄の芸人が探し求めていた答え

きっかけは、沖縄国際大学に米軍のヘリコプターが墜落した事故だった。

沖縄で「基地を笑え!お笑い米軍基地」という舞台がある。県内では重くて話題にしにくい米軍の基地問題を、あえて笑いのネタにしている。

主宰するのは、演芸集団「FEC」に所属するお笑い芸人、小波津正光さん(44)。

基地に対する賛否を示すためにやっているわけではない。反対運動をする人をネタにすることだってある。

なぜ基地問題を笑いに変えるのか。

そう尋ねると、小波津さんは「東京の空がびっくりするほど静かだったんです」と語り始めた。

小波津さんは那覇市出身。沖縄の本土復帰(1972年)から2年後に生まれた。

「生まれた時から、生活の一部に米軍基地がありました。基地の中のフリーマーケットによく行ったし、芝生の上でサッカーをしている姿を見ては羨ましく思った。基地内の豊かな生活は憧れでした」

高校を卒業して、地元でお笑い芸人になった。単独ライブや舞台の脚本も手がけ、軌道に乗った。

だが、いくら自分に問うても答えが見つからないことがあった。

沖縄出身である自分にしかできない笑いとは何か。東京や大阪のお笑い芸人との違いはどこにあるのか。

考えても説明ができないことに悩んだ末、2000年、上京を決意した。

事務所には「東京に10年間出て、売れてようが、売れてなかろうが帰ってきます」と告げ、沖縄を離れて自分と向き合う生活に身を置いた。

その生活がなければ「お笑い米軍基地」は生まれなかった

2004年8月13日、宜野湾市にある沖縄国際大学の構内に、米軍のヘリコプターが墜落する事故が起きた。

幸い夏休み中だったため学生や教職員に負傷者はいなかったが、一歩間違えば多数の犠牲者が出ていてもおかしくない、重大な事故だった。

妻と生活していた東京の4畳半のアパートで、後日届いた沖縄の地元紙の1面に目を落とすと、事故が大々的に報じられていた。

一方で、東京で配られる全国紙からは、違う印象を受けた。

13日はアテネオリンピックの開会式だった。その翌朝の新聞は聖火の写真とともに「平和の祭典開幕」との見出しが飾っていた。

さらに、渡辺恒雄氏が巨人のオーナーを電撃辞任した日でもあり、墜落事故の扱いは小さい、と感じた。

事故への認識を巡る、本土と沖縄のギャップ。それに怒りを覚えた。「沖縄のことはほったらかしかい。なんだこれ」と心の中で叫んだ。

東京で大ウケしたネタ

数日後、新宿でお笑いライブがあり、急遽ネタを変更した。当時の相方には「俺がばーってしゃべるから、お前はつっこんでこい」と託し、アドリブでネタを始めた。

小波津さん「いやー、盛り上がってますね」

相方「盛り上がってますねー、アテネオリンピック」

小波津さん「何がアテネオリンピックや。それで盛り上がってるのは東京の人間だけだ。これを見ろ!」

沖縄の地元紙の1面を掲げ、「沖縄は米軍ヘリが墜落して盛り上がってるよ」。そう言うと、会場に笑いが起きた。

「アテネでは聖火が燃え上がってるかもしれないけど、沖縄では米軍のヘリコプターが燃え上がってる」

大きな笑い声に包まれながら客席に降り、観客に「東京の人間、これを回して読め」とその新聞を差し出した。東京の人たちに「説教」をするこのネタは、観客の心をつかんだ。

「ウケると思った半分、怒り半分でした。説教をしなきゃと本気で思っていた。だから、ウケても収まりはつかなかったですね」

その後、同じネタをいろんな場所で披露したが、観客の反応は上々だった。

もしかしたら、米軍基地問題だけをネタにしたライブができるのではないか。やるなら沖縄の人間を相手に大人数でやったほうがいい。そう閃いた。

その場で沖縄の事務所に電話し、「お笑い米軍基地」をやると決めた。

沖縄より静かだった東京の空

沖縄では、米軍基地問題は深刻な社会問題だ。笑いごとにはしにくい雰囲気がある。

しかし、そんな「タブー」にあえて切り込んだ。

例えば「普天間基地」というコントがある。

医者が患者に、深刻な表情でガンの告知をしようとする。だが、米軍のヘリが上空を飛び、声が伝わらない。

「これは『沖縄あるある』なんですよ。ヘリが近づいたら、テレビの音量を上げ、遠ざかったら音量を下げる。学校の授業中、ヘリが近づくと、先生が説明を止め、通り過ぎると自然と再開する。沖縄では当たり前の話です」

東京で暮らしたことで、そういう沖縄の暮らしを客観的に見ることができた。そして「異常だった」ということに気づいた。

「東京は街に人がいっぱいいて、うるさい。でも、ヘリや戦闘機がうるさいから自宅でテレビの音が聞こえないなんてことは、一度もなかったことに、びっくりした」

「高いビルの間から見えた東京の空は、沖縄より静かだったんです」

県民が抱える「相反する矛盾」

沖縄では、反対運動をしている人がデモのあとで基地内のフェスティバルに行くことだってある。

米軍基地はもともと沖縄の人々の土地だ。しかし、米軍に強制接収され、沖縄の人は許可無しに入れない。けれど、基地内に暮らす米国人の子どもたちは自由に行き来できる。

「相反する矛盾があるのが沖縄なんです。一方で、客観的に見ればおかしいのに、当たり前すぎてツッコミを忘れ、違和感すら覚えなくなってしまっているものがたくさんあるんです」

だから、お笑いのネタにする。沖縄の人には自分たちの姿や現状を客観視し、本土の人には沖縄の現実に興味を持ち、知ってほしいからだ。

「右も左も前も後ろも笑えるものを」

県民が笑うことで、米軍基地問題はギャグにしていいんだ、笑っていいんだと確信した。沖縄に転がってる問題はコントそのもの、ギャグなんだ、と改めて思った。

ただ、基地受け入れに容認だの、反対だのと考えを伝えるために舞台をしているのではない。

ネタの対象も、米軍や日本政府といった権力側だけでない。

普天間飛行場の移設予定地である名護市辺野古や県民大会で反対運動をしている人などもネタにし、笑いを誘う。

「反対運動をしている人からすると、失礼にあたることもあります。でも、笑いが起きる。客観的に見て、共感するところがあるから笑えたり、泣けたりするんですよ」

「お笑い芸人として、右も左も前も後ろも、誰もが笑えるものを作る。それがこれからも目標ですね」

「お笑い米軍基地」は2005年にスタートし、毎年6〜7月、県内各地で開催している。約20人の芸人が出演し、コントや喜劇は全て新作を貫く。毎回反響が大きく、現在でもほぼ満席だという。

かつては東京や大阪でも舞台をやっていたが、今は沖縄県内に限っている。なぜか。

「客席を含めてお笑い米軍基地だと思っています。沖縄の人がどこで笑い、どこで共感し、涙するのか体感してもらいたいんです」

14回目となった今年の舞台では、9月30日に投開票がある沖縄県知事選もネタに取り入れた。

「ただただ笑ってほしいんですけど、沖縄の人でも笑えないコントを一つ、はさんでもいます。お笑いを通り越して、観た人に少しでも棘みたいなものを刺せれば。なんでネタにしているのかを全員に考えてもらいたいんです」

探し求めていた答え

沖縄出身である自分にしかできない笑いとは何か。探し求めた答えは、自分の足元に転がっていた。

本来であれば笑ってはいけない基地の問題をあえてネタにし、県民が抱える違和感を浮き彫りにする。そんな「お笑い米軍基地」をいつまで続けようと思うのか。

小波津さんは「基地がある限りはやります。ネタも尽きませんから」と返し、こう続けて笑った。

「そりゃ、沖縄の人間としては基地はないほうがいい。でも、お笑い芸人としてはいつまでもあってほしいなと思っていますよ。これも相反する矛盾ですね」